「思い付き部長+虚栄心課長」 最強コンビを生み出す組織の闇に迫る
「思い付き部長」と「虚栄心課長」は、業務改善屋が最も恐れる最強コンビ。どちらか一方だけなら突破口を開くことはできますが...。
「思い付き部長」とは
その名の通りの部長、誰しもが想像に容易いでしょう。それだけ世の中に多く存在するということです。とにかく思い付きで、一貫性のない指示や方針を打ち出します。次々と突拍子もないことを言い出し、言い出したことを、後からいくらでもコロコロと変えます。当然、周囲の人は振り回されてしまいます。
周りから見ると「思い付き」のように見えますが、実は、常に様々な情報を仕入れ、その情報に基づいたことを言い出しています。
仕入れた情報をダイレクトに出力する“右から左タイプ”と、「謎の篩(ふるい)」にかけて出力する“インスピレーションタイプ”が存在すると考えられますが、いずれにしても自身で考えたものではありません。外部の情報を伝達する、単純な“装置”です。
しかし、そのような言動は、時として「アイデアマン」という評価に繋がります。
特に、新しいテクノロジーやサービスの活用云々を言い出すことが多くあり、革新的にも見えるかもしれません。新しいテクノロジーやサービスはリアルタイムに情報の露出が多く、彼らの目に留まりやすいだけですが、その情報の実体は単なる「宣伝」です。そして、そうした新しいものに取り組んでいる自分を演出することを、自身の地位確立の手段としています。
宣伝や営業目的の情報だけに基づいて、それを深く考察することもしていないため、言動には合理性も一貫性もありません。この先どうなるだろう、という考察も行われません。もちろん、知識や技術の蓄積にも繋がりません。
こうして、次々と為される言動は、時として「行動力がある」という評価に繋がります。
実際には、どこかで得た情報(=宣伝)を伝達しているだけで、何も行動していませんし、そもそも知識も技術もないため、何も行動できません。宣伝を見て、指揮命令権で、人を振り回しているだけです。
こうした「思い付き部長」の言動パターンは、外部から容易に活用することができます。部長にはそれなりの決裁権があることは、誰しもが知っています。新しいテクノロジーやサービスの情報を流してやれば、「謎の篩(ふるい)」にかからない限り、それが採用される可能性はかなり高くなります。「謎の篩(ふるい)」にかかるかどうかは、それを自分が発案するのに相応しいかどうかに左右されます。新しいテクノロジーやサービスの導入は、思い付き部長にとって相応しい発案になり得るので、謎の篩(ふるい)にかかる可能性は極めて低いです。
すなわち、営業マンの「格好の餌」です。思い付き部長の周りには、それを餌にしようとするハゲタカのような営業マンが集まります。その結果、思い付き部長は人脈が広くなり、それもまた、自身の地位を維持するためのステータスになります。
一方で内部、つまり、現場から挙がった声は「謎の篩(ふるい)」にかかる可能性は高くなります。現場から挙がった声は、現場が発案したもので、自分が“思いついた”ものではないからです。
余談ですが、部長に直接営業をかけるような営業手段は(旧態依然の)大企業に多く、思い付き部長と(旧態依然の)大企業が相互扶助関係を構築する傾向にあると考えられます。
「しかし、これが部長のあるべき姿では?」と、思われるかもしれません。実際、そう思われているから、部長にまで昇進しているのでしょう。
問題は、判断能力です。思い付き部長の情報の実体は宣伝広告や、営業トークです。その妥当性は、知識や技術、あるいは経験、その他様々な状況等を踏まえ、判断する必要がありますが、思い付き部長は、せいぜい「謎の篩(ふるい)」にかけるくらいしかできません。宣伝広告や、営業トークが、そのまま業務に展開されるだけです。これが、運よく成果に繋がれば良いのですが、だいたいは成果を生み出さず、人を振り回すだけの結果をもたらします。
多くの組織で、やったという事実だけを評価してしまっている実態があります。その「判断能力に欠けた行動力があるアイデアマン」の成果は、正当に評価さえすれば成立しないでしょう。人を振り回すだけの無駄なことを、盛大にやっているだけかもしれません。やった=成果とすれば、無駄なことをやっても成果になってしまいます。むしろ何もやらない方がマシなのに、無駄を増やすことが成果になっているのです。
このことは、全体の生産性が低いという事実から、容易に裏付けられます。このような組織の評価システムの不備が、思い付き部長の「格好の餌」となります。成果の質を問うような、正当な評価システムが機能してしまえば、思い付き部長は存在できなくなってしまいます。だからこそ、正当な評価システムは出来上がらないのです。
こうして、まんまと部長にまで昇りつめたところで、現場の人々は、誰も支持しません。そんな人が、なぜ少なからず存在するのでしょう?
ズバリ、ポイントは「部長」だということ。「部長」は、現場の人々に支持される必要はありません。
「課長」に支持されればよいのです。
「思い付き部長」を支える課長
それが思い付きでかどうかに関わらず、誰かが部長の意向を業務に落とし込んで、実行しなければなりません。思い付き部長は、思いつくだけではなく、それを実行してこそ部長としての地位を維持できます。
その役割を、有能な課長が担います。
思い付き部長には、特に有能な課長が必要です。思い付き部長は、必ず有能な課長を従えています。その課長は、以下の2パターンに分類されるでしょう。
パターン1 本当に有能な課長
思い付き部長の意向を踏まえつつ、それを上手くいなしながら、無駄な現場への負担を回避します。その人間力の高さから、思い付き部長だけではなく、現場からも頼りにされる存在です。
しかしこのタイプの課長は、思い付き部長の強力な“アシスタント”になってしまうため、有能なのに、それ以上の昇進は見込めません。
いずれは、くだらない思い付き部長の対応に、そうそう神経を減らすことは合理的ではないと気づき、転職を考えるでしょう。能力が高いので、転職は成功する可能性が高いと考えられます。
パターン2 虚栄心課長
虚栄心課長は、思い付き部長のどんな思い付きも、専門家のごとく“承り”、現場に丸投げします。
何ら専門的な知識があるわけではいのに、付け焼刃の知識+α(嘘も含む)で、思い付き部長の思い付きを、専門家“のような立場”で肯定します。思い付き部長には、せいぜいネット広告や営業マンから吹き込まれた知識しかありませんので、虚栄心課長が専門家になりすますことは容易です。
そして、思い付き部長の思い付きには、もともと明確な目的がありません。思いついたことを「やる」ことが唯一の目的です。成果はどうであれ、実際に着手し、何かしらの進捗があれば満足なのです。虚栄心課長は、時折、その進捗を現場に報告させ、思い付き部長に披露して忠誠を示し、評価を得ます。
もちろん、現場からは不満の声が上がります。現場には本当の専門家が居て、彼らを欺くことはできないのです。専門家からすれば、端から成果が上がらないことは容易に想像がつくこと。それにわざわざ振り回されるようなことはしたくありません。
現場を抑え込むのに、虚栄心課長は「業務命令」というカードを度々切ります。時には、自身の責任を回避するために「上からの命令」と言うこともあります。
虚栄心課長は、思い付き部長から見れば有能に見える、というだけです。有能ではなく有効、に見えているのかもしれません。
思い付き部長の下には、上記の2パターンの課長しか存在しえないと考えられます。普通の課長は、思い付き部長の有効なアシスタントにはならないからです。突拍子もない思い付きを、冷静に評価して「NO」を突き付けるのは、思い付き部長の下では、有能な課長とは言えません。現場の負荷を考慮して、無駄な報告を省いてしまうのも同様です。
しかし、本当に有能な課長は、その責任感から、しばらくは思い付き部長の思い付きに真摯に向き合うでしょうが、それは一時的なもので、前述の通り、ほどなくして自分が活躍できる場へと躍進していくでしょう。
業務改善屋が最も恐れる「思い付き部長+虚栄心課長」という最強コンビは、とても成立しやすいのです。
大勢の人は、知識や能力を高め、実績を積み重ね、評価を得ようとしますが、虚栄心課長は「虚栄」という手を使います。「虚栄」の実体は、言ってしまえば嘘。誰しも、嘘は悪いことだという認識はあるでしょう。それでも「虚栄」という手を使わざるを得ないには、知識や能力を高められない相当な理由があるのでしょう。ここでは、それについて細かくは触れませんが…(お察しの通りだと思います)。
しかし、企業にとって重要な人事に、「虚栄」という手が、どこでも易々と使える訳ではありません。
ここでも「思い付き部長」が、「虚栄心課長」の「格好の餌」になってしまうのです。
虚栄心課長と思い付き部長の関係性
虚栄心課長は、思い付き部長から絶大な信頼を得ています。虚栄心課長無くして、自分の「やった」という実績を挙げることはできません。
そして、自身の異動などに伴い、思い付き部長が虚栄心課長を部長へと昇進させます。思い付き部長の下には虚栄心課長しかいませんから、必然的にそうなるでしょう。
昇格して誕生した「虚栄心“部長”」は、どうなるでしょうか?
これまで、思い付き部長の思い付きだけを、一心に対応してきましたが、その思い付きはもう降ってきません。そうなると、できることは何もありません。部長としての成果を挙げるべく、上司であった思い付き部長のようにして、思い付くことを始めるでしょう。知識や経験もないため、せいぜいネットの広告か、営業マンから仕入れた情報が頼りです。
こうして虚栄心課長は、やがて立派な「思い付き部長」へと成長すると考えられます。
実は、虚栄心課長自身の誕生メカニズムも、思い付き部長の誕生メカニズムと似ています。
現場では、日々増殖する「思い付き部長」の思い付きから生まれた、「虚栄心課長」の業務命令に対応しなければなりません。求められるのは技術や知識ではなく、“うまくこなす術”です。その環境では、強い虚栄心でもない限り、わざわざ昇進したいとも思いません。虚栄心課長が、虚栄心が強い一般社員の「格好の餌」となってしまうのです。
虚栄心、虚栄心とうるさいようですですが、知識も技術もマネジメント能力も身に着けずに昇進する(世襲以外の)仕組みが、世の中には間違いなく存在します。
嘘をついてまで昇進したいという行動は、自身の賃金を上げたいとか、社会や組織を良くしたい、という目的ではなく、組織の階層構造で「“上”に行きたい」という執念だけによるものと考えられます。そうでなければ、嘘をつくことよりも、知識や技術の習得を優先するでしょう。
「虚栄心による昇進ライン」の形成プロセス
しかしなぜ、こんな「虚栄心による昇進ライン」が成り立ってしまうのでしょう。
例えば、直接的に売上を左右するようなフロントセクションでは、それなりの目標管理がされていることでしょう。その中で明確な実績が評価となり、昇進に繋がります。こうしたところでは、虚栄心による昇進は存在しにくいと考えられます。
一方で、バックオフィスのセクションは、そもそも目標管理の難しさがあります。バックオフィスの役割を簡単に言えば、「組織の合理的な存続」でしょうが、合理的でなくとも、組織は一応、存続できてしまいます。こうしたところでは、確固たる実績による評価が難しくなりやすいため、「虚栄心による昇進ライン」の温床になりやすいと考えられます。
フロントセクションであっても、補助や助成などの、いわゆる“公金”が多く投入される組織や、経営が安定した大企業などでは、目標管理の重要性が薄れるため、「虚栄心による昇進ライン」が形成されやすくなります。
明確な目標がなければ、成果が検証されることもありません。その状況では、人を正当に評価することはできないでしょう。
成果の検証がないまま、何かを「やっている」ことだけを評価軸とすれば、何かを「やっている感を醸し出すだけ」でも評価に繋がります。
そのような環境では、おおよその人の働く意欲は低下します。わざわざ知識や能力を得る必要もありませんし、まして、それを得て昇進に繋げようとは「絶対に」思いません。昇進に憧れません。
考えてみれば、明確な目標もないのに、「階層構造」があること自体が不自然で、無駄なのです。その階層構造は、マネージャーとプレイヤーの関係ではなく、単なる上下関係にしかなりません。
明確な目標がない組織やセクションの、右に倣えのようにして存在する無意味な階層構造が、虚栄心が強い人の「格好の餌」になり、「虚栄心による昇進ライン」の形成を助長すると考えられます。
業務改善屋が最も恐れる理由とは
業務改善屋は、「虚栄心による昇進ライン」の形成が、組織における重大な問題であるとともに、業務改善を進める上での最大の難敵だと捉えています。
「虚栄心による昇進ライン」が形成された組織やセクションは、無駄な業務で溢れかえっています。業務の原生林です。業務改善屋は、その点を恐れているわけではありません。その業務の発生源は、成果を検証されることもない思い付きなので、無駄かどうかの検証は容易です。片っ端から排除すれば良いだけです。
それを進めようと思ったとき、問題が発生します。業務改善の取り組みまでも、その成果を検証されることもない、思い付き業務と同じ扱いを受けてしまうのです。
まずもって、目標に向かって何かをするというマインドが、組織やセクション全体で皆無です。全員が、見事に目標=努力目標だと都合よく解釈し、やりました感だけを醸し出します。結果として、目標に対しては、「惜しい」とか「全然足りない」とかのレベルではなく、1ミリも進捗しない、一切何も変わらないのです。明らかに、何ら成果が求められない業務であっても、それが止まることはありません。
「やめる努力をしました。」
いえ、努力は必要ないのです。やめれば良いのです。努力する、という業務を、わざわざ生み出す必要はありません。頼んでもいないのに、「やめる努力をした報告書」が出てくることも、少なくありません。
そうすると、やりました感を醸し出すための労力(労働と言えるのかどうかはさておき)の増加だけが残ります。
現場:「業務改善と言っても、仕事が増えるだけじゃないですか。」
虚栄心課長:「このほうが、いいんじゃない?(明らかに的外れな提案をして、現場にやらせる。そして報告させる。)」
思い付き部長:「業務改善、ぜひ進めて“ください”(他人事。自分が思いついたものではないので、どうでもいいです。)」
経営者:「みんながそう言っていますので…。」
私の経験上、こうなってしまった組織は、評価システムの不備を正さない限り業務改善は「絶対に進まない」と断言できます。評価システムの不備を正すには、組織の改編や、一定の人事権の発動まで視野に入れる必要があります。
「虚栄心による昇進ライン」が形成された組織やセクションは、業務改善の発案自体が思い付きであり、「本気」ではありません。彼らが求める本質は「業務改善やってる感」ですので、人の異動を伴うようなガチ改善案までは受け入れられません。こうなると、まず、「本気」で進めて頂くことから始めなければいけませんが、だいたいその前に頓挫し、業務改善プロジェクトは失敗に終わります。
もっとも、彼らにとっては「やった」ということだけが成果ですので、それが頓挫しても成果として認められるのですから、彼らにとっては成功なのかもしれません。
まとめ
組織の改編や人事権の発動は、かなり大掛かりのように思われますが、直接的にやるべきことは、評価システムの不備を正すだけです。「虚栄心による昇進ライン」さえ解消できれば、業務改善は一気に進み、生産性が“爆上り”であることは間違いありません。実際、潰れる間際の組織が、これで救われたケースは少なくありません。
とはいえ、いよいよ経営が傾いてきた、というくらいの状況にならないと、そこまでは手が出しにくいのが実情でしょう。しかし、神風を期待しながら何もしない、というのは、無駄な業務が増殖し続ける中では、経営が傾くのを待っているような状態です。待つ時間が無駄なので、早急に策を打つべきです。いざとなっては、一気に大改編が必要になります。今できるところから、徐々に進めていくほうが、「傷口」は小さくて済みます。
「思い付き部長」と「虚栄心課長」のコンビは、間違いなく業務改善の強敵ですが、その本質は評価システムの不備、たったそれだけです。「本気」の業務改善をお考えでしたら、業務改善屋は全力でサポートをさせて頂きます。ぜひご相談ください。
ちなみに、「本気」でなければ業務改善自体が無駄だと言えるので、何もやらない方が合理的です。