聞きゆく生き方
日中は蒸し暑い日が続いていますね。皆さま、いかがお過ごしでしょうか?
今週は岩田が担当させていただきます。
私事ですが、この春から生活拠点が変わりました。
お世話になった行信教校のある関西から離れ、地元である愛知に腰を据えての生活です。
行信教校には生涯を通して行信教校に居続け、支え続けてくださる尊い先生方・先輩方がおいでですが。
多くの行信生は、行信教校に身を置いてご法義を聞かせていただくのは人生の中のほんのわずかな時間です。卒業後はそれぞれの道・それぞれの場所で活動をしていきます。
そのために行信教校で学ばせていただいたのでした。
晴れて卒業。
卒業後の展望にワクワク。人によっては解放感もあったりして…(笑)
ですが同時に、なんとも言い難い寂しさと不安が起こってきます。
卒業された先輩方からも、卒業前後の胸の内を聞かせていただいたことがありました。
特に遠方から集い、卒業と同時に行信教校から離れなければならない者が、強く抱く思いなのかもしれません。
いや、距離の問題だけではないのかな。うーん、やっぱり人それぞれか。
先生・先輩・お世話になった事務のお二人・法友との別れは、ただただ寂しい。
先生も学生も一緒になってお念仏申した学舎は特別な空間です。
(空間といえば、いつもお昼ご飯を食べ、時に宴会会場となった食堂には、笑いと酒と思い出がいっぱいでした。)
いつでも、どんな初歩的な質問でも受けてくださった先生方には、簡単にお目にかかることは叶いません。
一番大事な阿弥陀さんのお心は繰り返し聞かせていただいた。でも僧侶としてご法義を厳密に研究していく力は、全く足りていない。行信教校から離れて、私、大丈夫なんだろうか。
きっと卒業生の多くが、大なり小なり味わってきた思いなのでしょう。
この春、私にもその時が訪れていました。
ところが、その寂しさを忙しさで紛らわせるような日々、一見仏教とは関係のないような場面で、行信教校で聞かせていただいた話が湧き上がってくることがあります。
例えば、父の病院受診に付き添った時、母の天然っぷりにイラっとした時、自らの再就職の面接の最中などなど。
不思議と先生方のお言葉が頭を駆け巡ります。
どっぷり浸かっていた時には、当たり前のように耳に聞こえ、記憶に留めようともせず、ボーっと聞いていた先生方のお言葉。
その内容は、阿弥陀さんのお慈悲を、親鸞聖人のご指南によって聞かせていただく浄土真宗の教えであります。
多くの先人方が格闘し、伝え、それを真摯に受け止めリレーしてくださる行信教校の先生方によって、私の耳に届けられたものでした。
行信教校に入学した頃は先生方のお言葉に対して「まったく理屈が分らない」と反抗期の悪ガキ状態で聞き、分かりたいと力めば本質から遠ざかる悪循環を招き、少しずつ角が取れてからはコロナ禍で(医療の仕事上の理由もあり)通学制限を余儀なくされていました。
そんな個人的事情もあって、「関西にいた年月の割りに、充分に聞けていなかった。勿体ない時間の過ごし方をしてしまった…」と悔やんでいました。
しかし、それらは私の勝手な尺度や価値基準で意味づけを考える、という独り相撲であって、阿弥陀さんの方を向いていなかったんですね。
これを、「はからい」と呼んだりします。
「はからい」は娑婆で生き抜くために必要なものですが、私がはからっても手に負えない「いのちのゆくえ」の問題に関しては、はからいが邪魔をして解決を遠ざけてしまうのです。
一生懸命あれもこれもはからって人生を良くしようと足掻いていた私ですが、行信教校に浸かっているうちに、いつの間にか「はからい」を弱めて「お慈悲を聞く者」に育てられていたようです。
おかげで、耳の底に沁み心に留められるところまで、先生方のお言葉が根付いてくださっていました。
「そういう場所だったのだなぁ」と、離れてみて感じさせられます。
そうそう。これまでの仲間達のブログを読んでお感じかもしれませんが、今の私の状況が特別というわけではありません。
行信教校界隈にいればお酒を飲み交わしていても、内輪ネタで盛り上がっていても(それがちょっとブラックなネタであっても…)
先生も先輩も同期も、最後はお聖教の言葉に繋げてくださり、
「あぁ、そうだった、そうだった。阿弥陀さんおってくださったなぁ」と阿弥陀さんのお慈悲を思い出すのでありました。
何を話していても、お聖教の言葉が浮かぶ。お聖教の言葉に私の生き方を尋ねていく。
そんな生き様が目の前で繰り広げられていました。
以前の私は、宗教的な問題と人間の実生活のどこに接点があるのかを探していました。
「仏教を学ぶ事で自己コントロールが出来るようになって、仕事や対人関係が上手に回るようになるのか?」と仏教の効用を聞かれても、
「そんな小手先ではないはずなんだけどなぁ」
「しかも自己コントロールって簡単に言うけど、現実には実践しきれないでしょう。それでは絵に描いた餅よね」
と答えるに留まり、歯痒い思いをしていました。
しかし探していたと言っても、歯痒い思いをしていたと言っても、遠巻きに眺めていただけです。
それも私を教えに導く手段であったのだと、今は阿弥陀さんの大きさに頭が下がる ばかりですが。阿弥陀さんの手の内にはまり、行信教校に身を置いてみて体感したこと。それは、
宗教的な信仰と生活が別物で、場面によって「それはそれ、これはこれ」と切り離せるものではなかった。
仏教が自己啓発モノのように、私の日常生活に何か使えるとか、役に立つといったものでもなかった。
ということです。
お慈悲にいのちが支えられて、そのいのちを燃やしての日常生活があるのでした。
言い換えれば、いのちの往き先はお浄土と阿弥陀さんが目的地は定めてくださった。そのお浄土までの過程が日常生活であり、その時間をどのような姿勢で生き抜くのかも、お聖教に聞いていく。そんな人々の姿が行信教校にありました。
お聖教を読み抜いていくことはとっても難解で、私にとっては一生かけても成し遂げることは困難です。ですが有難いことに、行信教校にはお手本となる方々が居てくださいます。
生き方の上にお慈悲が実現されている、そんな先生方・先輩方の姿を目の当たりにし、言葉を聞かせていただくことが出来ました。
何気ない日常の場面で、もしくは思わぬことが起きた時、阿弥陀さんのお慈悲を「生きる力」と思い出させる言葉が、スッと立ち上がって来てくださる。
有難い3年間を過ごさせてもらったのだなぁ、と味わうこの頃であります。
同時に、阿弥陀さんのお慈悲の心を・お念仏の道を・仏教に私の生き方を、「聞き続けていくこと」に終わりはない生き方。そんな人生が広がっていることを改めて思い出し、不安は和らいだのでありました。
今回は節目として、行信教校のことを思うままに書き連ねてみました。
行信教校をご存じでない方にはイメージが難しく、読み辛い文章となってしまいました。失礼しました。
「こんな学校が大阪の高槻にあるんだなぁ」と味わっていただけたら、幸いです。
節目と言いつつ、またまた、書いてしまうかもしれませんが、今日のところはこの辺りで…。
それではまた、ごきげんよう。
称名