真夏に思う(2)
お盆参りの途中、相棒の雪駄も暑さにやられたのか、ウレタン製の底がパカッと剥がれました。仕方なくそのまま、パタパタ音を立てながらご門徒さまのお宅にたどり着き、お勤めを済ませ冷たい麦茶を頂いて、それでは失礼しますと玄関に行くと、いつの間にか応急処置がされてありました。バレてましたか。そしてありがとうございます。そんなわけで(?)今回は久々に、裏メンバーの吉尾がお送りします。
ご門徒さまの中に、私が通っていた小学校の先生がいらっしゃいました。退職されて近所に引っ越して来られたことをご縁に、お寺によくお参りくださるようになりました。
私は長らく東京で暮らしていたので、お会いする機会もほとんど無かったのですが、大阪に戻ってきてからはその機会も増え、月参りを終えてお寺に戻ると、先生が「おかえり」と迎えてくださることもしばしばでした。
小学生時代の私をよく覚えていてくださり、悪さをして叱られている最中によそ見をして余計に叱られたことや、球技は苦手だったけれど逃げ足だけは速かったことなど、本人も忘れているようなことを懐かしそうにお話しくださいました。そして何より、私がようやく僧侶の道を歩み始めたことを、とても喜んでくださいました。
とはいえ、小学生だった私の先生に対する印象は、「厳しい」「怖い」というものでした。実際、こっぴどく叱られたことも何度かあります。その印象は、私の中に強く残っていました。法要でのお勤めのときなど、最前列に座っておられる先生の視線を感じるたび、文字通り背筋が伸びました。
ある夏の日、先生は体調を崩し入院されました。私も時々お見舞いに行っていたのですが、ある日、病室で話していると、ふと先生が「南無阿弥陀仏ってどういうこと?」と聞いてこられました。その時は、「南無」とはこういう意味で、「阿弥陀仏」とはこういう意味で、と言葉の意味を説明したように記憶しています。
ところが数日後、同じ病室で、同じ質問をされたのです。「この前うまく伝わらなかったのかしら? 答えが気に食わなかったのかしら?」と思いながら、今度は親鸞聖人のご解釈なども織り交ぜながら説明しました。先生は、ただ黙って聞いておられました。
その年の大晦日、先生はご往生されました。父とお葬式を勤めながら、私はあの病室での会話を思い出していました。なぜ同じ質問をされたのかは、結局聞けずじまいでした。教師気質でもって、私の理解度をチェックしようとされたのか。私の説明のなかに、ご自身のいのちの行き先を求めておられたのか。私の答えにどこまで納得されたのか。正確に答えようとするあまり、通り一遍の話に終始していなかったか。どう答えるのが一番良かったのか。今も思い出しては、あれこれ考えてしまいます。今も同じ問いを投げかけられ続けている気がします。
那須野さんが、前回の記事で「あんまり難しいこと考えんと、願われていることを素直に喜んだらええわいな」と真夏に思っておられます(思うだけじゃなく書いておられますが…)。私はどちらかと言えば、あれこれ考えて、理屈をこねくり回すタイプです。それでも、そのこねくり回したグチャグチャの中から味わえることも多くあります。色んなタイプがいます(笑)。
そのまま那須野さんの話に乗っかりますが(タイトルも乗っかってしまいました、スミマセン)、「亡くなった方は仏様となってすぐにこちらに還ってきて、私どもをお浄土に導いてくださる大仕事をなさっている」そうです。
「私どもをお浄土に導いてくださる大仕事」を、「善巧方便」ともいいます。仏様が衆生を教え導くための巧みな手段、という意味です。人それぞれのタイプに合わせた、この私には思いもつかない巧みな手段でもって、仏様はこの私を導いてくださるそうです。
きっと先生は、あの病室での問いでもって、今もこの私を導いてくださっているのでしょう。こねくり回す私にピッタリの、巧みな手段で。