見出し画像

諸行無常の只中で

こんにちは、那須野です。

お彼岸ですね。
今年は暑さで彼岸花が咲かないと聞きました通り、
確かにうちの彼岸花はまだ芽も出て来ていません。
お参りに行きがてら、神社の彼岸花も覗いて来ましたら、こちらは数輪咲いておりました。
杜は木が生い茂って幾分か涼しいのかも知れませんね。

本堂の背、琵琶湖の向こう、真西に沈む夕陽に、お浄土を想ってきた先人たちを想います。
おみのりを、私の所に残してくださってありがとうございます。


さて、先日6年ぶりに健康診断を受けました。
忘れた頃にやってくるのは天災だけではないようで。
(この度の能登半島の大雨の被害には、震災に続き重ねてお見舞い申し上げます)


先ほどお参りから帰ってきたら玄関に封筒が二つ。
「え!二つ!?
もしかしたら片方は良くない通知かも知れない。」
そんな気持ちでドキドキ開封いたしました。


なんのことはない、一つは一般検診、一つはオプションで受けた腫瘍マーカーの通知です。
裏側の基準値一覧表みたいなのと表の自分の数値を行ったり来たり、確認しました。



普段高齢の方とお付き合いすることが多い僧侶です。
「あっちもこっちもあきませんわ」
「年取ったらあきませんな、ごえんさんは若いでええなー」
そんな時、内心困りつつ、
「今まで使ってきた証ですね、そんだけ気張らはったら仕方ないですよ〜」
と返す私でありますが、今回血圧が高かった(普段上が100くらいなので低血圧だと思っていました)くらいで一日中血圧のことしか考えられない始末。
初めてのリアル実感、「老い」。


今までは本当に老いを感じることができなかったのです。
そりゃそうです、老いてない(つもりな)のですから。
しかし40を前に、明らかに成長曲線が下向きに。
どうもなかったバレーボールも、少しストレッチを怠るとどこかがピキリ。
なぜか踵が痛い。
血圧で右往左往。


あれ、人生の先輩は随分色んな不調を教えてくださっていたのに、私はいつも他人事やったなあと、気づいた時には仲間入りです。


いつか紹介したかも知れませんが、梯和上が残されたお言葉に、

「花が咲くのも諸行無常、赤子が大きくなるのも諸行無常」

という私が大好きな言葉があります。
衰退するも諸行無常、繁栄するも諸行無常。
老いることも、成長することも、枯れることも、芽吹くことも、全て諸行無常。


私のいのちがこれまで曲線の頂点(実際には随分昔に過ぎてるんですけど、ただ自覚がないだけ)に向かっていたのも諸行無常、下りカーブも諸行無常。

生まれ育った家を出たのも、大切な友人との別れも、新しい家族との出会いも、ただ「在るべきように在る」、変化しないものはないのでありました。


この老いの先には死があるでしょう。
想定よりもっと近くにあるかも知れません。


ご縁が重なって、私は今阿弥陀様のおみのりを聞かせてもらっています。
きっといざとなったら、大切な息子たちのこれからを思い、まだ死にたくないと思うでしょう。
けれど、その先にお浄土があって、これまでにお見送りしてきたじいちゃんばあちゃん、友人がそこで居ってくれるのかと思うと、寂しいけれど不安はないのだろうなと思います。

同時に、その大好きな人たちが仏となってそう思わせてくれてる所に、言いようのない温もりを感じます。



秋分の夜に。
称名

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?