芸人は才能の上に成立している。
よく才能と努力どちらが重要かという議論があらゆる分野で巻き起こるが、芸人においては才能がなければ話にならないのである。
そもそも芸人とは自分が面白いと思ってることをコントや漫才やトークで伝えるのが仕事である。つまりいくら伝える技術を努力で上げたとしても面白いと思ってる内容が客にハマらなければそこで話はおしまいである。
では才能とは何か?端的にいうと、着眼点、生い立ち、知識量である。
まず着眼点が面白ければ、世界観のあるコントが作ることができ、ツッコミワードで周りをギャフンと言わせることもできる。そして何よりその2つ等において他人に意外性を持たれるような着眼点であればあるほど評価が高まり、そして独自性を確立しやすくなるのである。
二つ目は生い立ちである。その人の人となりが分かれば、観ているものはその人の魅力に気づきやすくなるのである。例えば、コンビニの募金箱に日常的に500円玉を入れている家庭で生まれた芸人はそのエピソードだけで人の目を惹くことができる。
その上、立ち回り次第では生い立ちが似ている側と似ていない側どちらも味方につけ絶大な市場価値を生み出すことができるのである。
最後に、知識量というのが才能に該当する。
そもそも笑いとは知識の合致で発生する場合もある。とある漫才師のネタで色白小太り眼鏡の男性を””誹謗中傷アイコンアニメ顔””と表現していたのをみて私と兄は大笑いをした。だが、バイト先の人間にそれを見せたところ全く笑わなかったのである。それは、その人が誹謗中傷という文化に馴染みが薄く自身の知識の範囲から大きく離れていたため笑わなかったのである。その人自身非常に知識が少ないだけである。
実はそのバイト先の人間は、NCS東京16期にあたる人間である。芸歴13年で、コンビを3度解散しており芸人の友達もいないのである。
僕は、その人を見て芸人は才能が全てだと感じたのである。生い立ちこそ面白いものの、着眼点と知識が小学生と変わらない(誇張してません)からである。いっしょに行こうよ、の行くをカタカナでイクに変えただけで笑ってもらおうとしている愚か者である。誰でも思いつくようなことを得意顔でやられると見せられてる側も反吐が出る。その上、自分に才能があると思っているからもう目も当てられない。
その人はお笑いを諦めるのはダサい。やりたいことをやれというが、そもそも世の中需要と供給が合致して成り立っているため、その人のお笑いへの熱意がみんなからの評価と全く釣り合っていないためにただのお笑いに片思いしているものである。
私は、芸人を辞めるのはダサいことだと思わない。そもそも上記で記した才能の3つが揃っている人間は稀有である。そしてその3つが揃っている人間は他の世界でも大成するのではないかと思うことが少なくないのである。
芸人というのは、個人事業主ではあるが一般企業に例えれば扱いは下請けである。テレビマンに無理強いをさせられ、一般人や週刊誌に付き纏われ、そして薄給で使い倒され気づけば賞味期限が切れている。私は芸人を志す人間全員に問いたい。
あなたはそれでも芸人やりますか?
意外だと思われるかもしれないが、私は芸人を志すにあたって何も期待していないうえ数年以内に廃業しようとすら思っている。
でも、それ以上に芸人でいなければいけない理由が多すぎる。
それは、低学歴、奇人、人間関係への苦手意識、主張の偏り、である。
まず、私は低学歴にあたる高卒である。高校の偏差値こそ69(みんなの高校情報というサイトより)の明治学院大学附属高校であるが、大学受験に勝てるための学習内容は把握できていない。これに関して、嫌なエピソードがあるのだが東大に入れなければ幸せになれないと思ってたことと、大学に入っても中退してしまうのではないかと思っていたことである。
今考えてみたら全くそんなことないのだが。
二つ目は、私が奇人ということである。私は、周りにほぼ必ず変わっている人間として見られて、行動が読めないと言われている。私にしてみれば自分の行動は全て内なる知識に基づいた判断に過ぎず、わざと風変わりに仕立てているわけではないためこの現象にはもどかしさがある。
そもそも私は元来合理主義者の辞任があり、自分の日常的な行動にそれぞれうんちくがあり、生きやすくなるヒントがある。
例えば、ある日カフェインを100mg摂りたいと思ったとする。
レッドブル250mlだと82mg、モンスター355mlだと135mg程度カフェインが含まれている価格はそれぞれ二百円程度である。
だが、サプリメントでその量を摂取しようとすると5円程度である。(最近はカフェインの価格が暴騰しているためおそらく15円程である。)
私は価格を気にしてサプリメントで摂取しているだけであるのに、それをからかわれるのである。
では、このサプリメントの費用対効果の良さを職場や学校のみんなにプレゼンして回ればいいのかといわれるとそれは現実的ではないのである。
わたしにはこのようなこだわりが100個はあるだろう。だから、一般社会とは相入れないのだ。これは、人間関係への苦手意識、主張の偏りとも合点がいくだろう。
いっそのこと、私を笑ってくれ。