そもそも中学、高校、大学時代を振り返ってみても、今、人前でお話をするお仕事をさせて頂く事は想像できませんでした。
それが今、講談師をしているんですから、人生は面白い!!
四代目・南陵が『講談師も弁護士も”し”がついているから一緒や』とおっしゃることがなかったら、今は何をしていたのか、全く想像もつきません。
でも、一度だけ人前でお話したいと思ったことがありました。
それがラジオのDJです。
僕が大学時代、ちょうど車に乗り始めた頃にFM802は花盛り!!
みんな車に『FM802のステッカー』を張って、そのラジオから流れてくるカッコいい音楽を聴きながらドライブをするのがお洒落な時代でした(笑)
そんな番組から聞こえてきたのが『DJ』募集のアナウンスでした。
その時に一瞬
『DJなれたら、カッコいいなぁ~。音楽好きやし、そんな音楽に戯れながら仕事できたら、最高やろうなぁ』
と思ったのでした。
講談師になって、幸いにも何回もラジオに関わるお仕事をさせて頂いて、『なんて世間知らずで甘い考えだったんだろう』
って、思うのですが(笑)、でも社会人になる前って、誰でもそんなもんですよね!!
そして、もちろんDJ募集に応募することなく、気づけば講談師になったのですが、この講談がよくわかんなかったんです(笑)。
そらそうです。
こっちの世界のこと、何も知らずに入っているんですもん!!
「そもそも伝統芸能って何?」
「なんで、こんなにしきたりが多いの?」
「なんでこれしないといけないの?」
「古典芸能って何がおもしろいの?」
「もっと面白い表現方法があるんじゃないの?」
今から考えると、『無知って素晴らしいなぁ』『無敵だなぁ』と思いますが、(笑)、当時は疑問だらけの状態のまま、意味がわからないまま、とにかく前に進んでいきました。
そんな状態では全然、講談うまくならないし、なんか面白くない…。
そんなある日、『講談ってノリノリで話している時がめっちゃ楽しかったやん』って思い出したんです(笑)。
そうなんです。
僕が講談を習ってみようと思ったのは、修羅場読みという講談独特の読み方が気持ちよかったからなんです。
この気持ちよさがなければ、師匠のお言葉があっても講談師にはなっていなかったと思います。
それを思い出してからは、下手でもいいから、ノリノリで講談をしまくりました。
お客様は全く喜んでいませんでしたが、僕だけ楽しんでおりました(笑)
そして、気づいたんです。
このノリノリの感覚は音楽だ!!って。
そして、音楽と一緒に講談がしたいとの衝動に駆られました!!
その時に決めたのは落語のハメモノのような形(効果音やBGM的なもの)ではなくて、音楽も講談も前面にでるもの、主従の関係にないもの、平等の関係でできる形のものを模索しました。
そんな時に、高校の同級生が声楽をしているとの情報を得ました!!
それはちょうどいい。
思い立ったが吉日。
すぐに連絡をしてみると、OKを頂いたので、初めての音楽コラボ講談『モーツアルト物語』を今はなくなってしまったトリイホールでさせて頂きました。
今から考えると、本当に稚拙なもので、一緒にして頂いた同級生には本当に申し訳なかったなぁと思うのですが、僕にとっては素晴らしいはじまりになりました。
今、どんなに素晴らしいものでも、その始まりはヒドイことが多いはず。しらんけど(笑)。
その後、『モーツアルト物語』では飽き足らず、『北原白秋物語』もご一緒して頂き、音楽×講談の企画がシリーズ化していくのでした。
そんな中、一本の電話がありました。
「あっ、もしもし、あの~」
とお話頂いたのが、
・OCATの裏にあるB-ROXYというジャズクラブの35周年のイベントがある事。
・そのイベントが3DAYSで初日はトランペット日野照正さんご出演で、最終日はゆかりのミュージシャン総出演と決まった事。
・中日をどうしようか、和モノとのコラボできないかという話になっている事。
・色んな方に相談したら、旭堂南陽(玉秀斎の前名)が音楽と講談のコラボがしていると聞いた事。
でした。
そして、最後に
「ジャズとご一緒して頂けますか?」
「ええ!!!もちろん、よろこんで♪♪♪」
その一言で、今に続くジャズ講談がはじまるのでした。
このあと一体どのようにして、初めてのジャズ講談ができあがっていくのか、それはまた次回のお楽しみ!!