「ルナモス・無口な麗人 後編・完結」・・・誤解をあえて受け入れた和也の真意とは。
○前回のあらすじ
中学3年の初夏。
藤井和也は通学電車の中で、薄青の美しい蛾「ルナモス」を見つけた。
虫嫌いの同級生、梨花を助けた和也の行動が変な噂になり、
それについて話そうとした和也は梨花に誤解されてしまう。
「人の噂も75日だ。俺が貶されて、梨花が『悲劇の主人公』になれば、
少なくともあの連中には守られるし、電車の噂からも解放されるかもしれない」
和也は、クラスで四面楚歌になろうとも何も釈明しないことにした。
しかし、この噂は75日経つ前に大きな変化を迎えた。
月が替わると、三年生に変わり、新しい生徒会の選挙が行われる。
仕事が多く、放課後の時間も取られがちな生徒会は毎回なり手不足だ。
結局立候補したのは一人。
以前から事あるごとに、「私が生徒会長なら」と口癖のように言っていた
梨花を、担任が担ぎ出して立候補させたのだ。
大人の選挙なら無投票で当選なのだが、
学習の一環として選挙を経験させるのが目的の生徒会では信任投票を行う。
賛成票が半数以上入れば当選で、落選する事はほぼ無い。
ところが投票の結果、僅かな差で梨花は落選してしまった。
「ざまあみろだな」
以前梨花に遣り込められた深山卓が、和也の肩を抱いて笑った。
ありもしない恋の噂を流したのも卓たちだ。
梨花の立候補を聞き、これこそ意趣返しのチャンス、
とばかりにネガティブキャンペーンを始め
他の生徒たちもそれに乗って炎上してしまったのだ。
理由はどうあれ信任投票で落選すると、自分の存在が否定されたような気分になる。どんなに気が強い人間でも相当こたえる。
梨花は、見る影も無いほど落ち込んだが
再選挙の日程が決まると、再び立候補した。
お調子者なのか、やけっぱちなのか、
「さすがに二回落ちることは無いでしょう」
と、気楽に構えているようにも見える。
それが又、意地悪な男子の悪意に火を着けてしまった。
「また落としてやろうぜ」
貼り出された梨花のポスターの前でこそこそと相談している卓たちに
和也は近づいた。
「なあ。俺にいいアイデアがあるぜ」
告示日ギリギリで、和也も立候補の届けを出した。
噂を知っている者たちは冷ややかな目で和也を見、
梨花は敵対心むき出しで嫌な顔をした。
「あのスケベ野郎が立候補ですって?」
梨花の取り巻きは、さらに和也を貶しめる噂を流し、
影でネガティブキャンペーンを展開した。
いつの間にか、二つのネガティブキャンペーンで
クラスが二分されてしまっていた。
数日後、嫌な雰囲気のまま、選挙演説が行われた。
体育館に集合した体育館が見つめる中、進行役の先生が開会を宣言し、
梨花の名を告げた。
ステージの袖から演台の前まで歩く歩調がすでにぎくしゃくしていた。
今度こそ失敗は出来ない、という思いが緊張に拍車をかけていた。
「わ、私が立候補したのは・・・」
梨花の声は小さく、何度も声が詰まりそうになった。
圧し掛かって来るような静寂が手を振るえさせ、言葉を喉の奥に押し込んでいく。
頭が真っ白になり、何を喋っているか分からなくなった時、
梨花の目の前を何かが横切った。
一瞬の出来事だったが、梨花にはそれが何か茶色い虫が飛んでいったように思えた。
「きゃあ」
と悲鳴を上げた演説者に、会場はどよめいた。
何が起こったのかと、隣にいる生徒と話をする者、心配そうに演台を見つめる者、会場の張りつめた空気が緩んだ。
『見える。みんなの顔が』
すると、たった今まで霧に覆われていたような梨花の頭の中が
一瞬ですっきりした。
「失礼しました。演説を続けます」
普段の堂々とした梨花が戻って来た。
活舌の良い発声。はっきりとした論点。
何より凛とした姿勢には、説得力があった。
「体育の時、男子と交代で女子が教室で着替えるのは反対です。
女子専用の更衣室を用意するよう、学校に求めます」
いくつかの学生生活の問題点を並べ、その解決策を整然と述べていった。
「以上で私の選挙演説を終わります。ご清聴ありがとうございました」
深々とお辞儀すると、床に落ちている輪ゴムが目に留まった。
「こんなところに輪ゴムが落ちているわ」
すっかり落ち着いて周りの事にも目が行くようになってるな、
とある種の高揚感と充実感を感じながら、梨花は演台から離れた。
梨花の気持ちとは逆に、演説が終わった後の拍手はまばらだった。
卓たちのネガティブキャンペーンの影響は思ったより強いようだ。
「続いて、2年1組藤井和也君」
マイクを持った先生が呼び出しをかけたが、和也は登壇してこなかった。
「藤井君。居ないのか?」
集まった生徒たちがざわつき始めた時、体育館の後方扉が開き、
白い影が並んでいる生徒たちの間を駆け抜けた。
真っ白なシーツをマントのように翻して現れたのは和也だった。
和也は生徒たちの周りを一周すると一気に舞台に飛び乗った。
生徒たちは大受けだった。
「やるなぁ和也。これだけ受けたら確実に当選だな」
卓たちは大喜びだ。
梨花が苦虫を嚙み潰したような顔をして壇上の白マントを見つめた。
和也は演壇の上で両手を広げたポーズを取り、黙ったまま動かなかった。
1分・・・、2分・・・。
一度は喝采を向けた生徒たちも、何も言わない候補者に不満を表し始めた。
「黙ってないで何か言え!」
「ふざけるな。遊びじゃないぞ!」
「選挙を何だと思ってるんだ!」
「和也、どうしたあぁ。どうして何にも喋んないんだ」
ヤジがたくさん飛んできた。
ステージ袖で見ていた梨花も腹立たしい気分になっていた。
「どうして何も言わないのよ。私程度なら勝てると思ってるの。
あの子っていつも黙ってるのよね。
変な噂が流れた時だって、あの放課後だって何も言わないし、
まあ。そのお陰でアタシは色々得したから良いけど・・・」
梨花ははっと気づいた。
「まさか、そんな・・・」
演台では、相変わらず語らない立候補者がひとり動かずにいた。
観衆からどれだけ批判の声をぶつけられても、
和也は最後まで口をつぐんだままだった。
選挙の後、和也は担任の教師に呼び出され、長い説教を食らった。
演説日の後、和也を取り巻いて騒いでいた野次馬たちも
翌日には静かになった。
派手なパフォーマンスで盛り上がり過ぎた感情は
盛り上がった速度に比例して、急速に収まるものなのだ。
和也の周りでは、数人の友達が去ったが、新しく友達になった者もいた。
数日後、生徒会選挙が行われ、開票の結果は、梨花の圧勝だった。
「和也。もしかしてお前。この為に出たのかよ」
卓たちに聞かれても、和也は何も答えず、
渡り廊下の上を飛ぶルナモスを見つめた。
梨花も、生徒会室の窓から同じものを見ていた。
美しい薄青の羽根が、陽の光を浴びて優雅に輝いていた。
おわり
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