『麻田君、エキストラのバイトで怒る』
学生時代。麻田君は、旅行に行く資金を稼ぐのに色々なアルバイトをしました。映画やテレビのエキストラもその一つ。
拘束時間は長いのですが、自分の知らない華やかな世界を垣間見られる
と思ってやり始めたのでした。
エキストラを始めて2か月目、ある地方都市を舞台にした
映画の募集がありました。
内容はシリーズになっている人情喜劇で。主演はCMにもよく出ているベテランの女優さん。映画に詳しくない麻田君でも知っている人でした。
麻田君は、当時付き合っていた彼女と一緒に、エキストラに申込み、
撮影現場に向かいました。
その日は季節外れの真夏日。
ですが、映画の設定は秋なので、みんな長袖の衣装でスタンバイしていました。
最初は主人公の女優と女性エキストラだけの場面の撮影です。
麻田君たち男性陣は、木陰を探して一休みしていました。
すると、たまたま麻田君の休んでいる大樹の背中越しに、
男性二人の会話する声が聞こえてきたのです。
「○○さん。前の人情喜劇がヒットして昇進したって聞きましたよ」
「いやあ。それ程でもないよ・・・」
どうやら、この映画のプロデューサーと、アシスタントさんが話をしているようです。
「またまた。ランチに行く店も、格段に高級になったって、本社の人が噂してましたよ」
「そんな事ないよ。高級店に行けるようになるのは、まだまだ先だけど、 もう、回転とかの下品な寿司は食べたくないよね」
それを聞いて麻田君は、カチンと来ました。
実は、麻田君、少し前に回転寿司でバイトをしていたのです。
麻田君がバイトしていたすし屋は、大手のチェーンではなく小さな個人経営のお店でした。
店長は、朝魚河岸に行って魚を仕入れ、昼間は板場に立ち、
夜は遅くまで店の掃除をして、少しだけ寝て
再び朝早くから魚河岸に出かけるという生活を毎日続けていました。
「魚河岸に行くのは、目利きの腕を磨くためだから」
と言って、決して人任せにしない店長を、
麻田君は密かに尊敬していたのです。
だから、回転寿司を下品と評価されるのは納得いきませんでした。
しかも人情をテーマにした映画のプロデューサーが言うなんて・・・。
まだ若かった麻田君、後先も考えずに、文句の一つも言ってやろうと寄りかかっていた大木を回り込んだ瞬間。
「男性エキストラの方々、お待たせしました。こちらに集合してください」
と、助監督さんの声がかかったのです。
麻田君は文句を言うのを諦め、急いで声のする方に向かいました。
途中、まだ木の下にいるプロデューサーを振り返りながら遠目で睨みましたが、若いエキストラの睨みなどでは、ベテランの映画プロデューサーが何かを感じる様子はありません。
「ちくしょう。」
さて、その日の撮影が終わり、帰りのバスの中で麻田君は、同行した恋人にその時のことを話しました。
「・・・という訳なんだけどさ。俺バイトしてたすし屋の事思い出して、
その後もずっと腹を立ててたんだよね。映画作っている奴なんて、皆あんな感じなんだな。せっかく出たけど、俺この映画観たくないや」
虚しく空回りする怒りが胸中にくすぶり続けている麻田君に、
彼女はその日自分が体験したことを伝えました。
「ずいぶん嫌な思いをしたのね。
でも皆そんな人ばかりって訳じゃないわよ。きっと。
女性のエキストラは、主演の女優さんと一緒に撮影したんだけど、
アタシたちみたいな今日しか会わないエキストラにも
『暑いですよね』って声かけてくれたわよ。
おまけに、撮影が少し進んでくるとね、
『すいません。エキストラの方々、今映らないですよね。
次のシーンまで日陰で休んでもらって大丈夫ですか?』
って気を遣ってスタッフさんに聞いてくれたの。
自分はこの先も暑い中で撮影するのによ。ね、いい人でしょ」
麻田君は、彼女の問いかけに答えませんでした。
その数か月後、麻田君たちがエキストラ出演した映画が公開になりました。
あの時の事を思い出したら、誰彼構わず八つ当たりしそうな予感がしていた麻田君は、彼女を誘わずこっそり一人で観に行くことにしました。
エキストラの出演場面は映画の冒頭にありました。
後ろ姿しか確認できませんでしたが、
麻田君には映画の中の自分の背中が、怒っているのが分かりました。
「やっぱり一人で観て良かった」
麻田君は椅子の上で一人で憤懣やるかたない状態で悶々としていました。
ところが、物語が進むにつれて、徐々に映画の世界に引き込まれて行き、
ラストシーンでは思わず号泣してしまったのです。
「映画ってスゲエ~」
帰り道、早速麻田君は彼女に電話して、一緒に観に行く日を決めたのでした。
それからさらに一年ほどたった頃、同じ映画会社がエキストラを募集していることを知り、麻田君は再び申し込みました。
偶然、前回の時に知り合った助監督さんがいたので、例のプロデューサーが今どうしているのか、さりげなく聞いてみたのです。
「ああ。あの人ね。何かやらかして、どっか閑職に飛ばされたらしいよ」
そう聞いた時、麻田君の心の中に、不思議と「ザマアミロ」という気持ちは生まれませんでした。
それよりも、少し前に就職セミナーで聞いた「スイーパー」という言葉が思い出されました。
『良い会社には、「スイーパー」と呼ばれる人がいる。
社員だったり、契約者だったり、時にはアルバイトの時もある。
スイーパーは、人事部の「眼」であり「耳」なんだ。
問題を起こしそうな人や、裏で悪さしていそうな人に、お世辞を言ってすり寄って、主に自尊心や思いやりに着いて聞いてくる。
目上の人には良い態度を取る人も、年下や部下などには本当の気持ちを言ったり、自慢したりするからね。
そして、本当に問題がありそうなら、別の部署に異動させたり、さいあく退職勧告するらしい。
君たちのすぐ横にいるのが、スイーパーかもしれないし、違うかもしれない。
でも仕事をする、組織に入るということは、そういう事もあると知っておくべきだよ』
その話を聞かされた時、麻田君は「チクリかよ」と反感を覚えましたが、
今は少し違って思えました。
『もしかしたら「会社の自浄作用」なのかもしれない』
麻田君はその後、卒業までエキストラのバイトを続け、
就活のエントリーシートをその映画会社に送ったのでした。
おわり
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