「恐れの夜」・・・不思議な話。初めて彼氏の家に泊まりに行った女の子は恐怖に囚われてしまった。
『恐れの夜』
「眠れないの?」
浩也は優しく聞いてきた。
「うん。ちょっと・・・」
「何か、いるの?」
彼の聞きたいことはすぐ分かった。私は友人たちの間ではスピ子とか、冝保2世とか呼ばれている。一度飲み会で早く帰る時に、うっかり「このままだと怖いから」って言ってしまったからだ。
少しだけ色々なことに神経質なだけなのに、それ以来、まるで何かこの世ならぬものを感じ取って、飲み会を早退したような噂が立ってしまった。
「ううん。そんなんじゃないよ」
今日は失敗できない。私は心配させないように明るく答えたが、
無理をしているのはバレバレだった。
「由梨ちゃん。遠慮しないで言ってね。
このアパート家賃が極端に安くって、事故物件じゃないかって
言われてるんだけど、俺、そういうの全然気にしない方だから」
寝室とキッチンとトイレだけの古いアパート。
玄関の横に一人暮らし用の簡単な流し台がある。
浩也は平気な顔をしながら、キッチンの方を気にしている。
分かりやすい。この人は本当に嘘が下手だ。
不安で一杯なのに、一緒にいる私に気を使っている。
それだけで、いい人オーラが漂ってくる。
出来ればこれ以上、恐ろしい思いをさせたくない。
「ねえ。もっと飲みましょ。はい、かんぱ~い」
私は、浩也を先に眠らせてしまうことにした。
もし何かあっても、眠っていたら気が付かないで済むからだ。
ビールと缶酎ハイの空き缶が10本ほど並んだところで、
浩也は炬燵に足を突っこんだまま眠ってしまった。
私は彼の体に毛布を掛け、部屋の明かりを暗くすると
自分は壁際に置かれているシングルベッドに潜り込んだ。
「このまま朝まで何も起こらなければ良いんだけど」
時計の針は12時を回っていた。
目をつぶって大人しくしていても、一向に眠れなかった。
初めて来た男性の部屋。
主が眠っているのを知っていても緊張はする。
私は掛布団の端を掴んで、眠りに入ろうとした。
15分も経っただろうか、
どこからか、地響きのような振動と、低い声が聞こえてきた。
「来た! どうしよう」
私は体を起こそうとしたが、動かなかった。
まるで全身がテープでグルグル巻きにされているように、
指一本動かすことが出来ない。
「ダメ。止めて」
私の耳に、低く太い声が聞こえてきた。
「ずおおおお~。ずおおおお~」
少し湿気を帯びた鬼が唸るような声。
それは次第に大きくなっていった。
もう私の体も声に合わせて震えている。
天井を照らしていた間接照明の微かな明かりの中に
黒い人影が動いた。
その瞬間、私は後悔した。
しまった、明かりが全部消しておけば良かった。
だが、もはや遅かった。
なぜか瞼を閉じることもできずに、天井だけを見つめている
私の視界の中で、黒い人影は何かを探すように左右に揺れた。
「ずおおおお~。ずおおおお~」
鬼のような声は、さらに大きくなった。
私は気配を悟られないよう、必死に祈った。
「お願い気づかないで。お願い、お願い」
黒い人影はさらに大きくなった。
私に近づいてきている。ああ。もうダメかもしれない・・・
人影は私の顔を覗き込んできた。
淡い照明の光を背負ったその顔は、浩也だった!
浩也は何かに気づくと、一瞬苦しそうな顔をして
視界から消えた。
その間ずっと、鬼の唸りは聞こえ続け、
私は体を動かすことが出来ないまま、やがて意識が遠くなっていった。
カーテンの隙間から差し込む朝の陽ざしが瞼を照らし、
私は目を覚ました。
首を動かしてみると・・・動く。もう大丈夫だ。
私は朝日に感謝して上体を起こした。
炬燵で寝ていたはずの浩也がいない。
「浩也。どこ・・・?」
私は猛烈な不安に囚われ、ベッドから抜け出し、
キッチンとその横にある玄関の方を覗き込んだ。
浩也は、半開きになった玄関ドアの外側に
何度も頭を下げていた。
玄関の外に立つ男の声が聞こえてくる。
私は気づかれないよう、そっと耳をそばだてた。
「いい加減にしてくれよ! 壁の薄い安アパートなんだから、
静かにしてくれないと眠れないだろう!
今度のお隣さんは静かで良いなって一昨日まで思ってたのに。
どうして昨夜は、あんなうるさいイビキをかくんだよ。
まるでバカでっかい動物の唸り声みたいだったぞ。
さっさと耳鼻咽喉科か、いびき外来に行った方が良いぞ。
あれはもう、人間の出す音じゃないよ!」
男はバタバタと足音をさせて隣の部屋に帰って行った。
浩也は静かに玄関を閉めると、
ドアノブを掴んだまま、振り返った。
私は思わず身をかがめたが、浩也と目が合った。
「ごめんなさい。私のイビキのせいで・・・」
謝る私に、浩也は優しく微笑んでくれたが
その目は赤く充血し深いクマが出来ていた。
一晩で痩せこけてしまったその顔に向かって
私は深々と頭を下げた。
浩也は、私の頭を抱えるように抱きしめると言った。
「大丈夫。すぐに引っ越すから。今度は防音のしっかりした
マンションにするよ。カナシバリ、じゃなくて、
カナイビキでも大丈夫なところに。ハハハ」
その言葉をきっかけに、私の中で二つの思いが戦いを始めた。
愛されているという喜びと、
愛する人を、寝不足で殺してしまうかもしれない
という不安である。
おわり
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