「二度と戻れない世界」・・・怪談。完結編。誘惑の赤い痣。鬼の供養塔に取り込まれた妻を夫は。
〇前回からのつづき
骨董屋の陣野博の奇妙な供述は、正村刑事を混乱させていた。
「妻は供養塔の前に一人で立って、虚ろな目をしてかすかに笑っていたんです。恍惚とした感じでした。
『おい。麻優!』
私は肩を掴んで体を揺らしました。妻はすぐに気が付いて
『何? ここどこ?』
と、今晩の事はすっかり忘れていて、自分が何をしていたか分からない様子でした」
正村は自分で整理するように陣野の証言をおさらいをした。
「そうすると、鬼鎮めとかいう模造刀を手に入れて、それに関係がある供養塔に行ったら、真夜中に妻が布団を抜け出したってことか?」
「はい」
陣野は、小さく頷くと続きを話し始めた。
胸の内を早く吐き出してしまいたいように見えた。
「その夜は、もう何もかも忘れようと二人で布団をかぶって寝てしまいました。翌朝、妻に特段変わった様子はありませんでしたし、
買い付けの打ち合わせが入っていたので普通に出かけました。
でも、次の夜もその次の夜も、僕が寝てしまってから
妻はあそこに出かけていたみたいなんです」
「みたい? 気付かなかったのか? 最初の時みたいに」
正村はちょっと気になった事を聞きたかっただけだったが、
それは陣野を調子に乗らせることになった。
「そうなんです。何かの力が働いていたのかもしれません。
なぜか私の仕事が急に忙しくなって、帰りは連日深夜。
疲れているのですぐに布団に入り、朝まで全く起きないという日が続きました。
私は神経質な方で、ちょっとした物音にも起きるんですが・・・
やっぱり何かの力が、私を起こさないように仕向けたんでしょうね」
正村は思わず、ふうっとため息をついて興味の無さを露呈してしまい、
慌てて相槌を打って、質問を続けた。
「うん、そうか。え~と、それなら気付いたのは、いつなんだ」
「昨日の朝です。私がまだ寝ていると思って、妻はベッドの横でパジャマを着替えてたんです。
少し前に目が覚めてた私は、布団の中からその様子を眺めていました。
すると、妻の体にあの真っ赤な痣が増えてるんです。
それも一つや二つじゃない。大小合わせると10個以上。
肩から胸、腹、尻や足にまで、赤い痣だらけでした」
「それが何故夜中に出かけている証拠になるんだ? 痣なんてちょっとしたことで出来るだろう。ウチの奴だって昨日腕に赤い痣つけてたぞ」
「なるんですよ。刑事さん、気付きませんか?
あの供養塔に行かなければ、赤い痣は出来ない、増えているという事は、
妻はあそこに入り浸っているんですよ!」
とりあえず、このまま最後まで話を聞こう、と正村は思い軽く頷いた。
「昨日の夜、私は早めに布団に入り、眠ったふりをして妻の様子を窺いました。妻は、真夜中になるとそっと布団を抜け出し、パジャマの上にコートを羽織って外へ出ていったんです。
私はすぐに例の鬼鎮めの刀を持って妻の後を追いかけました。
理由は分からないんですけど、どうしてもその刀が要ると思ったんです。
案の定、妻は、供養塔の前にいました。
そして、その時私は見たんです」
陣野はゴクリと唾を飲み込んだ。
そして、頭の中に刻まれている光景をゆっくりと話し始めた。
「妻は・・・コートもパジャマも脱ぎ棄てて、下着姿で四つん這いになっていました。その妻の前に、二階の屋根くらいある、大きな鬼が立ちはだかっていたんです。
鬼は妻を見下ろし、手にした太い鞭を振り上げると、妻の体めがけて打ち下ろしました。
ビシッ。バシッ。
白い妻の背中に鞭が当たると、赤い痣が一つ、二つと増えていきます。
私は走り出して助けようと思いましたが、足が動きませんでした・・・。
何故って? 四つん這いになった腕の間から見えた妻の顔が、
恍惚として歓びに震えていたんですよ。
二度三度と、鬼の鞭が振り下ろされる度に、
妻は無上の悦楽を感じているように見えました。
ほんの一瞬の後、私の心に不思議な感情が沸き上がって来たんです。
何と表現すれば良いのか、一番近い感情は、そう『嫉妬』です。
本来なら、禍々しい呪いのような不可思議な現象から妻を救わねばならないのに、私は嫉妬心に囚われたんです。
全身の血がたぎり、私は持っていた刀を抜いて駆け出し、叫び声を上げて
妻の頭に刀を振り下ろしました・・・」
真剣と違い刃先を研いでいない模造刀とは言え、十分凶器になり得る。
動機はあいまいだが、犯行は自供している、凶器の特定が出来れば立件は簡単だ。それに、しばらくしてこの男が落ち着けば、鬼だの呪いだのという
おかしな言い訳もしなくなるだろう・・・正村は内心ほっとし、念のために供述を確認した。
「つまり、お前が振り下ろした模造刀を頭に受けて、麻優さんは亡くなったということだな」
「いいえ。模造刀なんかじゃ人は死にませんよ。それに駆け寄りながら
一発で頭に当てるなんて剣道の達人でもなければ無理でしょう」
「じゃあ。どうしたんだ」
「最初の一振りは、麻優の肩に当たりました。妻はその衝撃で振り返って
私を見たんです。
その顔には、深い苦痛の底から私を求める愛が浮かんでいました」
「愛?」
「そうです。安っぽい快楽なんかじゃない。
深い泉の中に浸かっているような、絶望と隣り合わせの美しさと、どこまでも続く心地よさが同居しているような、もう当たり前の現実には戻れなくなる幸福な世界を、私たちは同時に感じていたんです。
それを確かめるように、私は何度も麻優を刀で打ち据えました。
やがて動かなくなった麻優の体に、鬼に勝った私の愛の証が、
真っ赤な痣となって残っているのを見て、私はさらに深い心地よさを感じたのです。だから、麻優を殺したのは、『愛』なんです」
長年の取り調べ経験から、正村は供述が真実かどうか見抜く方法を身に着けていた。
『人は自分の好きな事や、快感と共に体験した事は嘘をつきにくい』
嘘をつけば、その時の快感も嘘になってしまうからだ。だから、心地よく思っていることから尋ねていくと、容疑者は簡単に真実を話す。
だとしたら、陣野の言っていることは・・・。
「主任、ちょっと良いですか」
取調室に部下の南祐一の声が響いた。
南は、壁に据え付けられたハーフミラーの向こうから
取り調べの様子を見ていたのだ。
取調室を出た正村は、鏡の向こうの部屋に入った。
「すみません。主任。あれちょっと見てもらえます」
南が指さす先にはテレビがあり、アナウンサーが嫌な事件を伝えている。
「本日未明、男が模造刀で妻を殴り殺すという事件が起こりました。
犯人は〇〇市で古物販売業を営む・・・」
正村は激高した。
「誰が情報を流したんだ! まだ供述も取っていないのに。
「違います。よく見て下さい。別の事件ですよ」
南の言う通り、確かに別の事件だった。
同じく骨董屋が容疑者だが、名前が違う。
「気持ち悪いですよね。この町で模造刀を使った殺人が立て続けに起こるなんて。骨董屋の間で変なヤクでも流行っているんでしょうか。
陣野もやってるかもしれませんよ。訳の分からない事ばっかり言ってるし」
正村の耳に、南の進言は届いていなかった。
先ほど聞いた陣野の言葉に頭を占領されていたからだ。
『荒ぶる鬼を鎮める儀式に使われていた三本のうちの一つで・・・』
陣野は、神主がそのうちの一本だけ売りに出したと言っていたが、
もし三本とも売りに出ていたとしたら。
「あの供養塔は、俺の官舎からも近いな」
「何ですか? 主任」
「いや。何でもない」
正村は自らの妄想を必死に否定した。
正村の妻も骨董好きだった。時々骨董屋で見つけたという古い香炉や、
使い道の分からない道具を見せた事がある。
そして、昨夜見た妻の体に、確かに赤い痣があったのを思い出していた。
おわり
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