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「誘いの電話」・・・奇妙な話。誘われて、行ってみた。その結果。


大学に入った年の夏だった。
見知らぬ男から電話がかかってきた。

「世界教育コンプレックス社と申します。前田さんでいらっしゃいますね」

組織名で電話を掛けて来る奴は、それだけで信用できない。
俺は警戒心たっぷりに応対した。

「どなたですか?」

「世界教育コンプレックス社と申します。おめでとうございます。
前田さんは十万人の中から選ばれ、大変効果的に英語が習得できる教材を
手に入れる権利を得たのです。おめでとうございます」

「はあ・・・」

「この権利は特別なもので、どなたにも譲渡したりできません。
是非このラッキーな機会に、手に入れた権利を行使してください」

何がラッキーな機会だ。結局、営業電話じゃないか。
この世界教育プレスの名無しの権兵衛は、英会話の教材を売りつけたいのだ。
もうここまでだな。話にならん。と、そのまま電話を切ろうと思ったが、思いとどまった。その慇懃無礼な話しぶりが、2か月前のことを思い起こさせたからだ。

     ×    ×    ×

2か月前のある日、田舎の母からの電話で起こされた。

「畑谷君から電話あってな、同窓会するんで連絡先を教えてほしい、
て言われたから、下宿の電話番号、教えといたで」

俺は違和感を感じた。

「本当に畑谷だった?」

「ああ。そうやで。二丁目の歯医者の息子。お母ちゃんアホとちゃうよって
ちゃんと確かめたがな。
畑谷くんやったで、性格はイマイチやけど、言葉遣いは丁寧な子。
性格はええけど、言葉が荒いのが、岩見くんやな。

声が似てるんでヤヤコシから、向こうの下宿先の電話も聞いといたで。
畑谷君、東京の〇〇医大に行ってるんやろ。
たっかい学費払うんやから、性格まで直してもろうたらええのに。ハハハ」

母は豪快に笑い、俺は笑いをこらえた。

畑谷は、小学校から高校まで同じ同級生だったが、
特に学校で話をしたことも無い暗い奴だった。
一時期可哀そうに思ったこともあったが、声を掛ける気にはならなかった。

親の金と頭の良さを鼻にかける連中の一人、という
全く別の社会にいる奴だと気が付いたからだ。

思い返すと、子供時代にも、たくさんの集団があった。
腕力が将来においてもヒエラルキーの頂点であると信じている男子集団。
口数の多さで悪目立ちしているのを人望だと勘違いする女子集団。
他者と触れ合うより一歩引いて見ている姿勢がベストだと思う孤独な者。

それらの社会は時に重なり合いながら3年間を過ごし、
卒業を機会に一度離散して、又別の場所で似たような集団を形成する。

畑谷もきっと大学で、新しい『親の金と頭の良さを鼻にかける集団』に入ったのだろう。
いや。もしかしたら、新しい集団は畑谷より上手の連中ばかりで、田舎医師の息子程度では歯が立たず、孤独で寂しい思いを旧友と分かち合いたいと思ったのか。

「ないな、それは。そんな殊勝な奴だったら、高校時代ももう少し口をきいてやった筈だ。畑谷は自分も他人も見えていない、思い込みで人を分類するような奴だったのだ。」

電話を終えた俺は呟いた。

「まあ。そのうち何が目的なのか分かるだろう」

俺はとりあえず様子を見る事にした。

そして、今、答えが分かった。

      ×   ×   ×

「今週金曜日の夕方以降、お時間ありますか?」

世界教育コンプレックス社の男はまだ話し続けていた。

「何ですか?」

「今週の金曜日です。十万人の中から選ばれました特典を
お受け取りにいらして頂きたいのですが」

「特典をねぇ」

「はい。是非お越しください。本社、新宿になります」

「新宿まで行くとなると、8時以降になりますけど」

「結構です。お待ちしています」

その時俺は、畑谷がどんな会社と取引をしたのか気になっていた。

その頃、まだ名簿ビジネス、という言葉は知られていなかったが
情報が金になるという話は聞いたことがあった。

畑谷は、実家を離れて進学した高校の同級生の家に電話をし、
同窓会や県友会を口実に、連絡先を聞き出したのだ。
そして、それを幾ばくかの金と交換に名簿会社に渡した。
つまり、はした金の為に同級生の個人情報を売ったのだ。

        ×   ×   ×

金曜日の午後8時、俺は指定されたビルの入口で世界教育プレスの看板を探した。それは高層ビルの中程、25階にあった。

エレベーターを降りると、スーツ姿の男が立っていた。

「前田様ですね。お待ちしておりました。世界教育プレスの阿部です」

電話の声の男だ。

阿部サンは30歳くらいだろうか。
スーツの色は地味だが、生地は高級そうなである。

案内されるままに、ドアの中に入って行くと、
いくつものパーテーションで仕切られたテーブルに俺と同じような学生風の男と、阿部サンと同じような地味なスーツの男が向かい合って座っていた。
20組くらいだろうか、皆熱心に話し合っている。

阿部サンは一番奥のテーブルまで俺を連れて行くと、コーヒーと紅茶どちらが良いか聞いてきた。

「ホットの紅茶、レモンではなくミルクと砂糖で」

と伝え、椅子に座った。
阿部サンが紅茶を持ってくる間、周りを見渡したが、座ったままでは、
隣の声が聞こえないようになっている。
立ち上がってパーテーションの上から眺めると、黒い頭がようやく見える程度だ。声が聞こえないのは、部屋全体にやや大きめの音楽が流れているからでもあった。

程なくして阿部サンが戻ってきた。

紙コップを一つ右手に、左手にはA4くらいの封筒を持っている。

「お待たせしました」

阿部サンは、座るなり早口で語り始めた。

どれほど俺がラッキーな状況に居るのか、
自分の会社が提供する英語教材がいかに優秀で貴重な物なのか、
今を逃すとどれだけ損になるのか。

そして時折、意味の分からない質問をしてくるのだった。

「私は腕時計をしていませんよね。なぜですか?」

「え、え・・・?」

単純に腕時計が嫌いなだけかと思ったが、もうすでに俺は、真面目に答えるのが嫌になっていた。

「それは、現代は街のどこにでも時計はあって、時間はいつでも知ることが出来るからです。同じように、英語をいつでも話すことが出来れば、辞書も通訳も必要ありません」

どうにも論理が飛躍しているような気がするが、次の質問はもっとぶっ飛んでいた。

「いま世界で日本人がどのように見られているかご存知ですか?」

大雑把すぎて、答えようがない。黙っていると、阿部サンは、

「日本人は世界で英語が話せる人種として見られているんです」

日本人とのコミュニケーションが難しいというのは、海外のジョークでも言われるくらい良く知られている事だ。俺は、阿部サンがジョークを言っているのだと思ってこう答えた。

「ああ。それなら、世界の共通語を日本語にしないといけませんね」

阿部サンは当惑した顔をして、話を続けた。
結局、英語くらい話せないと大変苦労しますよ、と言いたいようだった。

まあ。英語くらい話せないと苦労しそう、という点に関しては正しい、と俺も思った。

見開き一枚のパンフレットを出して、阿部サンは説明をする。

持って帰ってよく考えたい、と俺が答える。

契約が終わらないと、それは出来ないので、ここでサインをしてくれと阿部サンが言う。

持ち帰れないなら、よく見て考えたいと、パンフレットを隅から隅まで俺は見る。

内容が頭に入らないようにしているのか、その間もずっと阿部サンは話を続ける。

そんなやり取りが続いた。

その内に、阿部サンの態度が変わってきた。

「これ程の教材なんだから、断るのはもったいないですよ。
ここまで来たんだから断らないですよ、普通の人は」

丁寧な口調で圧をかけてくる。
決して脅しにはならないように、ギリギリの言葉を使って。

俺は、それを聞いて、何となく畑谷の顔を思い浮かべた。
すると、段々腹が立ってきた。

それと同時に、阿部サンの変化を見ている方が面白くなってきた。
様子が分かれば、すぐに席を立って新宿で遊ぶつもりだったが取りやめだ。
俺は、どこまでこれが続くのか、見てやろうと思った。

阿部サンが、これは脈が無いな、と思い始めたようだった。

「まあ。英語の習得は色々な方法があるので、その人にあった方法を選ばれるのも良いんではないでしょうか」

おっと、これはいかん。俺はすぐさま、パンフレットの金額の部分を指さした。

「ここにローンも可って書いてありますが、月額いくらになるんですかね」

「分割になると負担は少なくて済みます。月額1万円強ですね」

「そうか、お小遣いをちょっと我慢しないといけないか」

「それでこれだけのものが手に入るんですから、お得ですよ・・・」

阿部サンは又、一から説明を始めた。

どうやら説明の構成は同じらしい。

・世界での英語の必要性。
・教材の優秀さ。
・ラッキーな俺。
・お得な金額。

という順番だ。

それを繰り返している。阿部サンが諦めそうになると、少し興味を持った感じで質問をする。すると又、一から説明を始める。
説明が一巡する度に、阿部サンの最後の言葉が徐々に強くなっていく。

「断るのはもったいない」

から、

「断るなんてバカですよ」

になり、

「断って後悔した人は大勢います」

になった。

「断ったら後悔する」って、ある種の脅しに聞こえるぞ。大丈夫か阿部サン。

思わず俺は、

「それ、どういう意味ですか?」

と聞いてしまった。
これが失敗だった。

それまでどんどん熱く、興奮の度合いが増していた阿部サンは
急に言葉遣いが丁寧になり、いかにもマニュアル通りのセリフを話し始めた。それまでの熱意が嘘のようだ。

俺は思った。

『しまった。これは俺が覆面調査員だとバレたな』

この頼りない顔の学生は、接客態度や勧誘方法が正しくできているか、本社から調べに来たのかもしれない、そんな風に思われてしまったようだ。

実際には本社ではなく、社長から直接頼まれたのだけど。

名簿屋から買った高校の名簿を使って営業職が勧誘を始める前に、社長が任意で一人を選んで直接交渉をしてきたのだ。絶対秘密が条件で、出来る限り粘って応対方法を後ほど社長に報告する、そんなアルバイトだった。


残念ながら、もうこれ以上は意味がない、と俺は思い、

「今回は見合わせます」

と答えて、会話を終えた。

阿部サンがそそくさと荷物をまとめて席を立った。

「おかえりは分かりますよね」

実に淡白だ。

俺は自分の荷物を持って入ってきたドアに向かった。
パーテーションに囲まれたテーブルにはもう誰もいなかった。

エレベーターホールにある時計を見ると、11時50分を指していた。

「9,10,11、4時間か、長かったな。でもこれくらいやれば調査としては十分だろう」

そう呟いた時、後ろの扉が開いて、阿部サンが出てきた。
黒のロングコートに黒のビジネスバッグ、
腕には高級そうな時計が巻かれていた。

「時間は、どこでも分かるんじゃないんですか?」

と突っ込もうと思ったが止めた。


翌日、大学でこの夜の事を同級生たちに話した。勿論、アルバイトのことは隠したままで。すると、

「4時間も時間の無駄だ。早く帰るか最初から断ればよいのに」

「いや。最後まで相手の事を知る事は大切だ。チャンスは生かすべきだ」

という具合に意見は二つに分かれた。

だが、一つだけ共通しているものがあった。それは・・・

「英文科の学生に英会話教材を売りつけようとするなんて、そいつは、他人が見えてないな。きっと思い込みで人を分類するような奴だ」

俺はそれを聞いて、阿部サンと畑谷の顔を同時に思い出した。

                おわり


*これは昔、友人から聞いた話を元に作り上げたものです。
勿論、登場する人物は実在の人とは関係がありません。
このような英会話教材の電話勧誘、事務所勧誘というものは一時期盛んでした。今はきっとダイレクトメールなどで、簡単に広範囲に出来るので、昔ほどではないでしょうが、名簿販売は盛んなままでしょうね。
時折、芸能人の卒業アルバムや学生時代の写真がネットに上がるのも、そういう所からなのかもしれません。





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