「二人の気分転換法」 あなたは落ち込んだ時、どんな気分転換をしますか? この二人は意外な方法を使います。ところがそれが、とんでもない事になってしまうのです。
〇「二人の気分転換法」 作 夢乃玉堂
「さっきラジオの投稿コーナーでさ
落ち込んだときにする気分転換の方法を募集してたんだけど・・・」
賢二は、食卓のデザート皿から
イチゴを一つ摘まみあげて話しかけてきた。
「僕はね、会社の近くのオムライススタンド。
嫌なことがあったら、大盛ケチャップ増し増しを一気に掻き込む。
食べ終わる頃には大概の問題は気にならなくなってるね。
一杯でダメでも二杯食べればもう大丈夫」
どうりでまだ20代なのに下腹が出て来たわけだ。
私は年下亭主の不摂生な昼食にちょっとイラついた。
「燈子さんはやっぱりイチゴ?」
賢二は、知っているぞ、という顔をして
摘まんだイチゴでこちらを指した。
確かにイチゴは大好物だが、
食べ物を言うと同類に思われそうで、別の方法を話した。
「私は、今までの人生で出会った、良い人の名前を
書き出すことかな。
例えば、楽しい思い出を思い受かべると楽しくなるでしょ。
それと同じように、元気をくれた人とか、
生き方の参考にしている人の名前を書くと
その人と過ごした良い時間が蘇って嫌な事を忘れられるの」
「それ、いいね」
賢二は、足元に投げ出していた通勤バッグから
レポート用紙とシャーペンを取り出して二人の前に並べた。
「え? 今やるの?」
「そうだよ」
末っ子の賢二は
面白いと思ったらすぐに実行する。
良い人を書き出すのが
実は危険な行為だと知りもしないで。
しかし賢二はやる気満々。
すでに数人の名前を書き並べていた。
その中には、私も納得できる名前もあれば、
その人はどうだろう、と反対したくなる人もいる。
どうしても書く人の価値観や友人関係が見えてくるのだ。
「ただ付き合いが長いだけとかはダメよ。
思い出すだけで、心がホッとするような人よ」
言われた賢二は少し考えて、
腐れ縁の遊び友達と、会社の女子社員の名前を消した。
よしよし。と思った。
あの女たちを入れるようでは、ちょっと心配だ。
「名前を知らなかったら?」
「どこで会ったとか、状況を書けばいいのよ」
賢二はまた少し考えて
「電車で席を譲ってくれた人」と書いた。
『若者のくせに譲られてるんじゃないよ』
そんな突っ込みを入れそうになった瞬間、
「右足を骨折してた時に」
と書き足すのを見て少し安心した。
「噂で聞いた人は?」
「直接知らないのはダメ。
それと、お金とか、役に立つとか、利用価値で考えちゃだめ。
損得なしで、『この人良いな』って思える人だけ書くの」
知らない女の名前が数人消された。
どういう関係か聞きたかったが止(や)めておいた。
でも、消す前に名前だけはしっかり覚えた。
何かの時に聞いてみることにしよう。
続いて賢二は、出来たスペースに新しい名前を書いた。
洞下(ほらげ)竜太郎。
それを見た瞬間、私は凍り付いた。
それは、先ほどから私の心に
何度も繰り返し、浮かび上がっている名前だったからだ。
あれは、十数年前、第一志望の大学受験の日。
試験が始まっても空いていた隣の席に、
無効寸前、ギリギリのタイミングで
男子生徒が入ってきて座った。
慌てて座ったせいで机がぶつかり、
私の消しゴムが跳ねて飛んでしまった。
それに気づいた彼はすぐに手を伸ばして
椅子の後ろの取りにくいところにまで転がった
行儀の悪い消しゴムを拾ってくれた。
私よりずっと時間に余裕がない筈なのに、
にっこりと優しく笑って・・・
試験の緊張感でささくれだっていた心に
その笑顔がじわっと滲みこんできた。
神聖な試験中なのに、私は一瞬で恋に落ちたのだ。
「ありがとう」
私は、消しゴムを受け取りながら、
こっそりと受験票を覗き見した。
受験番号は1111番。
そして名前が、洞下竜太郎だった。
私の誕生日そのままの受験番号と
古風でミステリアスな名前は
夢見る女子高生に、「運命の人」という
妄想を抱かせるには十分だった。
合格発表の日。
合格者の番号が大学の正門前に張り出されると、
私はまっ先に1111番を探した。
ある! 当然だろう、これくらいの大学、
白馬の王子にとっては何の問題も無いに違いない。
と勝手に納得して、自分の番号を確認した。
しかし、私の受験番号は見事に無かった。
夢の大学生活とミステリアスな彼との初恋は
わずか10日で終わってしまい、
傷心の私は進学を諦め、アメリカに留学した。
その彼の名前をどうして賢二が知っているのか?
私は勇気を出して聞いてみた。
「ねえ。それ誰?」
「うん? ああ。洞下くんはね。俺の小学校の先輩。
小学生の頃から万葉集なんか暗記してて
3組の天才って呼ばれてたけど、
中学でアメリカに留学しちゃったんだ・・・」
何という偶然だろう、こんな近くにいたとは。
ミステリアス竜太郎はやっぱり運命の人だったのか。
もしあの時同じ大学に通っていたら・・・
賢二に悪いと思いつつも、妄想は止められなかった。
「その人今どうしてるの?」
「たぶん実家を継いだんじゃないのかな。
正月に久しぶりにメールが来てたし」
賢二はテーブルの上に置いてあったスマホを取って
アプリを起動させた。
「あった。ほら」
賢二が差し出した画面には
少し歳をとったミステリアス竜太郎が、
富士山が描かれた銭湯のペンキ絵の前に立っていた。
「お父さんが急に亡くなったんで、
勤めていた商社を辞めて、銭湯を継いだんだよ」
「銭湯? お風呂屋さんってこと?」
「そう。洞窟(どうくつ)湯(ゆ)っていう地元の銭湯で
洞下クンも子供の頃は番台に座ってたんだよ」
あのミステリアス竜太郎が番台に
しかも洞下で洞窟湯?
私の頭の中で
白馬の王子が大きな浴槽の中に沈んでいった。
賢二はスマホの画面を見なおし、構わず続けた。
「自分を育ててくれた銭湯をどうしても守りたいって、
奥さんを説得したらしいよ。かっこいいよなぁ」
私はハッとして、スマホの画面をもう一度見せてもらった。
二枚目の写真には、ミステリアス竜太郎が、
赤ん坊を抱いた綺麗な女の人と並び、
二人であの時と同じように優しい笑顔を浮かべていた。
「そうだね」
ミステリアス竜太郎は
やはりかっこいい人生を送っていたのだ。
私は全てが綺麗に収まったような気がした。
「はい。洞下クン採用。
あとは誰かいるかな・・・う~ん」
賢二は、ことさら芝居がかった仕草で考えるふりをした。
そして。
「あ。大事な人を忘れていたよ」
と、残りの紙の上半分に、大きく私の名前を書いた。
「はい。燈子さんの番だよ。今までに出会った良い人」
賢二は目を合わせないようにして
こちらに紙を回してきた。
何を書いて欲しいのか、すぐに分かった。
やはりミステリアスな同級生より、
分かりやすい後輩の方が、私には合っているのかもしれない。
私は背筋を伸ばし、
燈子と書かれた横に、賢二と大きく書いた。
紙の上で、
たくさんの良い人に支えられるように
二人の名前が並んでいた。
おわり
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