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ゼロヨンパブリカ チーム橙組【桜年代記】2/3
Fragment 2:山田佳江
「ねえパパ、退院したらハナミに行きたい」
娘の言葉に、僕は興味のないふりをする。自分の心拍数が上がっていくのを感じ、ひそかに呼吸を整える。
「ハナミ?」
「昔のアニメで見たの。ピンク色の花の下で、お弁当を食べたりお酒を飲んだり」
「五月になればこの木にも花が咲くから、病院の中庭でお弁当を食べようか」
彼女はありふれた橙の庭木を見上げ、木漏れ日に目を細める。
「だめだよ、ハナミはピンク色の木の下でするんだよ」
「そんなの、アニメの中にしかないんじゃないの」
僕の言葉に、娘は
「そうかな」
と車椅子に沈み込み、ひざ掛けを引き上げる。
僕の言葉はいつも嘘ばかりだ。僕はそのピンク色の木のことを知っている。
かつては多くの不幸をもたらした疫病も、今では短期間の入院で快癒するようになった。娘も退院後は普通の生活を送ることができるだろう。
レッドゾーンにさえ近づかなければ問題ない。一般人には存在さえ知られていないのだから。
翌日、娘の面会に行くと彼女は嬉しそうに
「パパ、ハナミの木の名前がわかったよ。サクラっていうんだって!」
と言った。
「……だれがそういったの?」
「AIに聞いてみたけど、ペアレンタルコントロールのせいで教えてくれなくて」
「子供が知るのにふさわしくないんだろうね」
「でも、隣の病棟のおばあちゃんが教えてくれたの。おばあちゃんはね、昔ハナミをしたことがあるんだって」
「へえ」
余計なことを教える年寄りを苦々しく思う。
「おばあちゃんが小さかった頃は、サクラは病院にも公園にも、あたりまえにあったんだって。どうしてなくなっちゃったんだろう」
「橙の花が綺麗だから、みんな植え替えたんじゃないの」
「そうかなあ、ピンクの花って絶対綺麗だと思うけど」
僕は桜の美しさを知っている。レッドゾーンと呼ばれる、研究のためにわずかに桜が残されている地域のことも知っている。アニメで描かれるよりもっと淡く儚い、白に近い花の色を知っている。木肌のごつごつした質感を知っている。
あっという間に散っていくその残酷な美しさと、花の終わりの若葉の芳香を僕は知っている。娘の入院の原因とその治療法を知っている。
その疾患の治療法を確立し、花見という文化を滅ぼしたのがだれなのか、僕は知っている。
「退院したら図書館で調べてみる」
彼女は僕をみつめる。その強さに目を逸らさないようにする。
いつか娘は知るのだろう。自分の曽祖父の功績と、美しいものを滅ぼした罪を。それまでの間、僕は嘘をつく。僕の父がそうしていたように。