鬼を見たーあるヨギの物語 後編

「大法輪」の記事、後編をお届けします。オウム真理教事件で世の中が騒然としていた1995年、宗教とはなにか? 信じるとはどういうことか? 人間の本性とは? そんな問いかけをしていた自分を思い出します。ここに出てくる鬼、こと對島由紀夫さんも、とことん自分自身に向き合い、問いかけたひとり。「エクスタシーが最高のものだとみんな思いこんでいる」「おれはこれくらいやった。こんなに瞑想深まった。なにするのそれで」という對島さんの言葉、伝わるかなあ。

3人の師との出会い。

 高校を卒業して東京写真学校に入学、カメラマンを目指した對島さん。だがその写真は芸術表現というよりは、自己探求のためのものだった。やがて、20代の半ばにして宗教やセラピーの世界に足を踏み入れるようになる。

 最初は友人に誘われて阿含宗の集まりに出かけた。1970年代の後半、阿含宗が新宗教として台頭しつつあったころだろう。しかし、何回か通っただけですぐ興味を失ってしまう。自分がやりたいのはこんなことじゃない、超能力を得たって自分は変わらないと思った。

 そんなとき、不思議な男に出会う。喫茶店に入って、ふとみょうな感覚に気がついた。その感覚を追ってずっと店内を探していくと、男がいた。

「なにやってんの?」

 尋ねると、相手もびっくりして、

「なんで分かる?」

 對島さんの言葉によればその男は喫茶店でじっと座りながら、「意識をいろいろと移動させていた」のだという。なぜそれが分かったのだろう? 不思議に思って聞くと、

「腹減ってたから」

 とぶっきらぼうに答える。

 對島さん自身がなにかを求めていたから、求めているもの同士、お互いにピンとくるものがあったということだろうか。これが最初の先生との出会いである。このあとふたりは精神世界の探求をしながら、同時に環境問題、リサイクル運動にもコミットしていく。京都から空き缶を拾いながら物乞いをして歩いたこともある。エコロジー運動の先駆者というべきか。だがしばらくしてこの運動も挫折する。自国も治体も、民衆も、いくら訴えても応えてくれなかった。

 そんな敗北感のなかで、もうひとり先生と呼ぶ人物と会う。瞑想指導者として有名な山田孝男氏(1942ー2003)である。一時期、對島さんは片腕のように側にいたそうだ。

 そんなあるとき山田さんから、

「對島がさとった」

 と言われた。だが對島さんは納得できない。

「いえ、”尺度”が分かっただけです」

 他人からさとったと言われても、自分のなかにくすぶっている不満はいっこうに解消されないではないか。

 実は對島さんにはもう一人、「影の先生」と呼ぶ人物がいる。ニューエイジ、ニューサイエンス、トランスパーソナル心理学を日本に紹介した吉福伸逸氏だ。

「一回会ってさ、なにしてるひと?って見てたら、なんもしてないひと(笑)。あ、こんなひともいるんだと思ったら、おらの性格ぜんぶ壊れちゃった」

「あ、こういう心境のひともいるんだなあって。そのころ目先で見るんじゃなくて、存在で向き合うというのをしちゃうから、相手を受け入れるとこっちも配列変わって来ちゃうんだよね」

「吉福さんとこで、セラピーも何回か受けたよ。リバーシングとか。ブレスっていう前だよな。ちょっと納得しかねるところがあったけどな。ヤク使わないヤク・トリップみたいなもんだからな。そこでなに求めるのか。自分のネタがしっかりしていないと、不明瞭なまんま興味起こしたりして」

最後通告はかあちゃん。

 吉福さんとはつかず離れず、3年くらいつきあいがあったという。先生を探し求める旅も終わりつつあった。もう誰かに頼ったり、外に求めていてもだめだ、自分に向き合うことをずっと続けて行くしかないんだ。そう思ったとき。

「そして、最後通告を受けたのがかあちゃんなんだ」

 對島さんと夫人は高校の同級生。帰省列車のなかで隣同士になったのが縁で、結婚を前提につきあうようになった。「こちらが思いっきり求めるのを、思いっきり受けとめてくれた。初めて他人に受け入れられたって感じで、ほんとに安心して寝れたもんなあ」という関係だった。ところが二十九歳のとき、對島さんがひとつの段階を越えたころ、いわれたのだという。

「もうあんたには私、必要ないわね」

「恐かった〜。それまで全存在で受けとめてくれていたのが、宇宙のなかに裸で放り出されたみたいだった。あれがおれの成人式だったな」

 もちろん、それで旅が終わったということではない。ときに我に返って、ときに迷う。そんな繰り返しが続く。

「それでいいだろ。ふつうにしていればいいんだよ。それがお釈迦様の言う中道だろ」

宗教は道具にすぎない。

 最初に對島さんと会ったとき、鬼がいると思った。今考えてみると、人間以上に人間的な、丸裸の、孤立した存在を感じたのだと思う。ぼくにそういう感じを抱かせたもうひとりの人物がいる。オウム真理教の教祖麻原彰晃だ。本誌の八月号で書いたとおり、ぼくは雑誌の取材で麻原と会ったことがあるのだが、ふたりの独特の、原始的な存在感は共通するところがある。そのことを素直に言うと、

「同じ質、持ってるかもしれないね」

 と對馬さん。だが巨大な教団を構築した麻原と、ほとんど無所有の對島さんとが進んだベクトルはまったく逆の方向だった。それはなぜだろう。

「おれはマザコンの極めつけだからなあ」

 と對馬さんは笑う。

「あのひとはみんなを洗脳して、好きだって言わせてよろこんでいたけど、おれはそれじゃ満足できない。ほんとに愛してくれなきゃ。そのへん、素直になればいいのにな」

「特別な神様礼拝して、それでジ・エンドだったらいいんだけどね。そこから始まるんじゃん。エクスタシーが最高のものだとみんな思いこんでいる」

「宗教ってきらいじゃないよ。でもどんなもんでも、まともに向き合わなけりゃ、なんも出てこない。道具なんだから。包丁だって野菜も切れるけど凶器になる。そこをアピールしなくちゃいけないのに、夜な夜な包丁研いでニマって笑うだけ。気持ち悪い世界だよ。おれはこれくらいやった。こんなに瞑想深まった。なにするのそれで。役に立てばいいけど、違うじゃない」 

 宗教をただの道具と言い切れるかどうか。自分がほんとうは何を求めているのか、こころの奥底にある思いに対峙できるかどうか。問題はそこにある。

生の自分といかに出会うか。

 今の對島さんには特別な修行法と言えるものはない。強いて言えば日常禅、生活禅とでもなるだろうか。自分が自分の問題と真っ正面に向き合うこと。出会った人と、肌と肌で触れあうこと。

「生の身体で、生の情感を持って、生のてめえで、それで精一杯、出会いてえんだよなあ」

 鬼は笑った。

 そういえば、子どものころ隠れん坊をしたのを思い出す。自分が鬼になり、必死になって探していた相手を見つけたときの喜びは、単にゲームではなく、人間と人間がぽーんと出会ってしまうような快感があった。

 對島さんは自分も楽しみながら、ぼくらのなかの隠れた「鬼」=むき出しの本性を見つけ出そうとしているのかもしれないと思った。


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