マハームドラー=チベット仏教最奥の教え。
2013年10月8日、衝撃的なニュースが伝えられた。スコットランドのチベット仏教寺院サムイエ・リンの創設者であるアコン・トゥルク・リンポチェ(アコン2世、当時73歳)が、訪問中の中国・成都で殺害されたというのだ。
アコン2世は1940年、チベットのカム地方で生まれた。チベット仏教カルマ・カギュ派の座主カルマパ16世によってアコン1世のトゥルク、すなわち<転生者>として見いだされ、4歳のときからドルマ・ラカン寺座主として英才教育を受けた。中国によるチベット侵攻があった1959年、インドに亡命。1963年にイギリスに渡り、1967年にはチョギャム・トゥルンパ・リンポチェとともに、西洋世界における最初のチベット寺院となるサムイエ・リンを創設した。リンポチェとはチベット語で「如意宝珠」のことで、すぐれた僧に対する敬称として使われる。
1990年代にはRokpa Trustという慈善団体を設立し、チベット内に61の学校、19の病院、29の学堂その他教育・福祉施設を建立するなど、慈善家としても名高い。また1992年にはカルマパ16世の転生者捜索を指揮し、現在のカルマパ17世となる少年ウゲン・ティンレー・ドルジェを探し出して、本山トゥルプ寺に届けるという重要な仕事をなしとげている。今回の報道を受けて、ダライ・ラマ法王は特別な供養をおこない、カルマパ17世もコメントを出した。
「アコン・トゥルクは私が7歳のときからの友人である。(中略)私は彼が他の二人とともに突然我々の前からいなくなってしまったことに非常に衝撃を受けている」(早稲田大学石濱裕美子教授のHPより)。
チベット人の高僧ともなると、中国支配下のチベットに出入りするのはもちろん、活動するのに大きな制限があるものだが、アコン・リンポチェはなぜか特別扱いで、かなり自由に出入りを許されていたようだ。中国側の報道では殺害犯は同じチベット族で、動機は金銭のトラブルとされた。しかしアコン・リンポチェの人柄を知る人々のあいだでは、「金銭トラブルなどありえない」という声が多い。この件には多くの謎が残るが、真相はいまだ解明されていないどころか、続報もほとんどないというのが実情だ。
僕がなぜアコン・リンポチェ殺害にそれほどびっくりしたのか。ちょうど20年前に、アコン・リンポチェの実弟であるラマ・イエシェにお会いしてインタビューしたことがあるからだ。ニュースを知ってまず、ラマ・イエシェがどれだけショックを受けたか、どれだか悲しんでいるかを思って心が傷んだ。
これまでチベットではたくさんの寺院が破壊され、仏像が壊され、多くの僧侶や罪のない一般の人たちが投獄され、獄中で亡くなった人も多い。自らの身体に火をつける焼身抗議をするチベット人も後を絶たない。こうした悲劇がこれから何度繰り返されるのか、考えるだけで胸が苦しくなるのだが、肉親を殺されたラマの悲しみは想像することさえできない。
以下は1994年のラマ・イエシェ来日時、ラマと個人的に交わした会話の記録です。貴重な内容だと思いますので、ここに公開させていただきます。
ラマ・イエシェ 質問したいですか? それとも私が話しましょうか。
☆ ぜひ、お話しください。
ラマ 私の名前はラマ・イエシェ。これくらいの声で大丈夫かな?(テープに入るか、という意味) スコットランドのサムイエ・リンのリトリート・マスターです。個人的に12年間のリトリートを行い、49日間のトータル・ダークネス・リトリートを行いました。瞑想の体験はたくさんあります。またいろんな国で仏教を教え、たくさんの男女の弟子を持っています。スコットランドでのホーリー・アイランド・プロジェクトはCNNでも二回取り上げられ、たくさんの国からひとびとが訪れています。この島はとてもいい環境にめぐまれ、様々な宗教のひとびとが、集うことができる場所です。
サムイエ・リンでは48人の長いリトリートを行っている弟子がいます。彼らは16の異なる国からやってきました。僧院には40人の僧侶と18人の僧尼がいます。
☆ サムイエ・リンはとても有名ですが、イギリスにはほかにもチベット仏教の寺院はあるのでしょうか。
ラマ たくさんあります! ヨーロッパ中どこにでもあるんですよ。アジアにも、ね。日本はチベット仏教のセンターがない、最後の場所なんです。今回私自身が来日してみて、日本人の精神面についてわかったことがあります。日本はもともと仏教国ですが、産業の面ではとても発達していくなかで徐々に、仏教の実践的な面が失われているように思います。だから仏教が帰ってくる必要があるんです。私が日本にきたのは、純粋な、かつオーセンティックな仏教を伝えるためなんです。
次のことははっきり覚えておいてください。チベットにおいてはリネージ(法脈)がもっとも大切なものです。私たちのリネージはブッダから始まり、81人の仏教の成就者のうち、ふたりのマハー・シッダを生みました。マルパは16年間をインドで過ごし、いろんな言語を習得し、仏教を理解しました。マルパの弟子はみんなが知っているミラレパです。ミラレパの弟子はガンポパで、彼の弟子は初代カルマパです。現在は17世カルマパの時代です。715年間の破られないリネージを持っています。
私たちのリネージはプラクティス・リネージと呼ばれています。書物から学ぶことも大事ですが、実践なしにはなにも変わりません。私たちの実践のもっとも大事なものはマハー・ムドラーと呼ばれます。これはサンスクリット語でマハーは大きいという意味。ムドラーは印です。仏教においては特別な意味を持っていて、禅の境地も同じです。でも私たちは、タントラヤーナのマハー・ムドラーを実践します。たくさんのテクニックを使い、心を変化させ、「Zen mind,Beginer's mind」にいたるのです。これがマハー・ムドラーです。
私たちは「子どものこころ」がすばらしいものだと知っていますが、それを得るのは難しい。この頑固な、動き回る、こころを、ヴィジュアライゼーションによって、変化させる。ビジネスをダルマ・ビジネスに変えるのです。こうして私たちの金剛乗の教えは世界中の知識階級のひとびとのあいだで受け入れられているのです。
☆ ラマはチベットで生まれたのですか。
ラマ そうです。1959年にチベットを離れました。
☆ 49日間のトータル・ダークネスとはどのようなものですか。
ラマ 49日間、完全な暗闇のなかで瞑想をすると、死後、とても安らかに過ごすことができます。チベットの外では、これを教えることができるラマはひとりしかいません。昨年私はネパールへ行き、リトリートを行い、トランスミッションを受けました。それから少しずつ、この教えを西洋や日本に伝えたいと思うようになったのです。
☆ チベットにはたくさんの教えがあると聞いています。
ラマ 4つの主な流れがあります。みんなはその違いに興味があるかもしれませんが、私たちは同じものを信じています。ブッダ、ダルマ、サンガです。さらに、悟りを信じ、無我を信じています。なぜ四つの流れがあるかというと、それぞれの先生が特に重要とするものがあります。私たちは瞑想と内面の体験を重要視しています。あなたがゲシェーにインタビューすれば、彼らは教えを書物から学ぶことを重要視していることがわかるでしょう。でも、信じているものは同じなのです。この東京の真ん中に来るためには、あるものは地下鉄で、あるものはバスで、あるものはヘリコプターで来るでしょう。でもゴールは同じなのです。
チベット仏教にはいろいろな教えがありますが、瞑想はもっとも難しいものです。書物を学ぶことは易しい。だから、学ぶことに時間をかけすぎてはいけません。
☆ ラマは、いつラマになったのですか?
ラマ あー(笑)。ラマになるのは簡単ではありません。仏教について深く学び、瞑想の修行もしなければなりません。
なぜお坊さんになったのですか。
ラマ 私はチベットにおいて、正統的なチベット仏教の教えを学びました。その後、西洋に来たときに、物質的なものを学びました。インドで英語を学び、イギリスに渡り、アメリカに行き、ニューヨークで何年か過ごしました。そのあいだに人生の苦しみを見て、仏教の教えにもどったのです。そうしたことが仏教に対する信仰を強めてくれたのです。1980年に出家し、深く仏教を学んできました。私はいろんな国へ行き、いろんなものを見ることができてとてもラッキーでした。そして、人類のためになる教えをしなければならないと決心したのです。それは私が子どもの頃、教えられたことでした。
☆ 日本の仏教についてはどう思います。
ラマ 日本の仏教はエッセンスを失ってしまっています。実践的な部分を忘れてしまっています。みんな現代の生活の進歩を享受するのに忙しい。お坊さんたちはお寺の経営に走り回っていて、人々が深いリトリートをしたいと思ったり、内面的なものを求めても、それに答えられない。私たちがなにか利益を得るとしたら、それは内面的な体験のほかにないのです。
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