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「リチャード・ベイカー老師インタビュー」by藤田一照老師 前編

 サンフランシスコ禅センターにおいて、鈴木俊隆老師の跡を継いで二代目堂頭となったリチャード・ベイカー老師のインタビュー。1995年のティク・ナット・ハン師来日に同行したベイカー老師に、伊勢原でのリトリートのあいまにお話をうかがいました。通訳は当時アメリカ・ヴァレー禅堂にいた藤田一照さん! 老師がユーモアを交えて語るお話に、仏教とはなにか、禅の本質とは? あらためて考えさせられました(聞き手・稲葉小太郎)。

★ ベイカー老師、老師と言われるけど、ずいぶんお若いですよね。今、おいくつなんですか。

老師 74歳。

★ うそ!

藤田 ほんと?

老師 ハハハ、冗談さ。みんな、〈老師〉なんて呼ばなくていいのにね。ほんとは59歳。トシヨリデス。

藤田 何年何月生まれですか。

老師 君は占星術もやるのかい。

藤田 ええ、なんちゃって。

老師 1936年3月13日です。

藤田 じゃあこのツアーのあいだに59歳になったんですね。

老師 出発するちょっと前にね。

★ 今回は、ティク・ナット・ハン師に同行するために来日されたんですか。

老師 そうです。

★ 日本にもお宅があると聞いたんですが。

老師 去年まではテラがふたつあったけど、今はひとつです。日本海の、天の橋立がある丹後半島の先端に小さな家がありました。村の集会所だった場所に畳を入れ、天井を直して住めるようにしたんです。村の人達は月2000円で25年間貸してくれました。海のすぐ近くでね、夏に一週間か二週間くらい過ごすのです。でもそれは去年村に返して、今は京都の妙心寺のとなりに一軒あるだけ。ルスバン、スンデマス。オーストラリア人の。

藤田 お弟子さんですか。

老師 いや。でも10年も留守を守ってくれています。龍沢寺のモリモト老師から印可を受けたすぐれた翻訳者で、中国や日本の禅のテキストをドイツ語に訳している。

藤田 それじゃあ、彼女は単なるルスバンじゃないですね。

老師 でもちょっと前に引っ越してしまったので、新しいルスバンを探さなければならない。彼女はアメリカでお寺を建てるんです。

藤田 どこに?

老師 カリフォルニア湾の、サンフランシスコの北です。彼女と夫は……。いや、私の友人の話をしても面白くないでしょ。

藤田 老師の話はぜんぶ面白いですよ。

★ うん、うん。

老師 オーケー。

「日本の仏教とアメリカの仏教の違い」

★ 老師は日本の仏教とアメリカの仏教、両方見ておられますが、同じ曹洞宗でも違いがあるように思います。特にどのへんが違うのでしょうか。

老師 正確に答えるのは難しい質問ですね。失礼があってはいけないので……。私の先生である鈴木俊隆老師は曹洞宗とか臨済宗という以前の、禅そのものに帰ることを望んでいました。だから彼は自分が曹洞宗だとは言わなかった。日本ではそう言われているかもしれないけれど、私たちには、禅そのものだと言っていました。私の英語、分かりますか?

★ イエス、イエス。

老師 (藤田さんに向かって)じゃあ、通訳する必要ないじゃない。

藤田 いや、私は老師のお話を聞きたいだけです。通訳でいるのはただの口実です。

老師 また悩ませちゃうかな。

藤田 昨晩に比べれば、ましです。あの時の話は面白いけど、訳すには僕には難しすぎでしたよ。

老師 昨日も少し言いましたけど、アメリカでは3つの仏教が考えられます。ひとつは日系人のためにエスニック・ブディズム。これはたいへん伝統的な〈日本仏教〉です。でも私の意見では、3世や4世のあいだでさえ、もうすぐ消えていくでしょう。もうひとつの、ある種の〈改良された日本仏教〉はたぶん、生き残るでしょう。でもその〈改良された日本仏教〉も〈西洋仏教〉とは違います。だから私の感覚としては、〈西洋仏教〉を発見したい。それは単に西洋風に味付けされたスープなどではなく〈ほんとうの仏教〉を、という意味です。私が最初に鈴木老師と修行を始めたころ、曹洞宗の僧侶たちがアメリカを訪ねてきました。1962年か3年のことです。鈴木老師は私に、彼らになにか話をするように言ったので、こんな話をしました。

 日本の樹木をアメリカに移植するときに、枝を払い、根っこについた土を取り去ってしまえば、それは死んでしまう。だから最初は枝や土がついたそのままの状態で持ってこなければならない。でも木はゆっくりとアメリカの土地に根を張るようになる。

 仏教も、最初は正しい〈日本仏教〉を伝える必要がある。しかし、それもアメリカの土地に根づくうちに変わってくるのです。

 私が鈴木老師のもと、静岡県焼津市の寺で嗣法、トランスミッション・セレモニーを受けるときのことです。数カ月間一緒に修行したあとに、永平寺に行くキング・フォー・ア・デイというのがあるのです。

藤田 曹洞宗では住職資格をとるための最後の段階として二つの本山、総持寺と永平寺に一日ずつ行っておこなう瑞世(ずいせ)というものがあります。それぞれのお寺に前の日の夕方までに着いて、翌朝の法要の導師を勤めなければいけないんです。それを瑞世と言うんです。

老師 それを最初にやったときに、鈴木老師は言いました。そんなことやってはいけない。お前はワシントンのホワイトハウスに行って払子を振れ、と。

★ ほお〜。

藤田 俊隆老師がそう言ったのですか。

老師 こんなことも言いました。もしもお前の修行がしっかりしていれば、最高の先生と縁を結ぶことができるだろう。でも、それは曹洞宗ではないかもしれない。臨済宗、もしかしたら真言宗かもしれない。お前は日本仏教の最高の部分と縁を結ぶべきだ。制度としての仏教に取り込まれてはいけない……。

★ う〜ん。

老師 失礼な言い方かもしれないけれど。

藤田 そんなことないですよ。

老師 だから、鈴木老師は遺灰の半分を日本に、半分をアメリカに置かれることを望みました。

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「仏教の根本に戻る」

★ 老師の言われる新しい〈西洋仏教〉はまだ形成される途中なんでしょうけれど、それはどんなものになるのでしょうか。たとえば、道元禅師の教えはとても厳しいものですが、そのへんは多少は西洋風にアレンジされるのでしょうか。

老師 今、新しい、という言葉を使いましたが、ちょっと違います。私の感じでは、〈西洋仏教〉は決して新しいものではなく、もっとずっと古いものだと思うのです。私たちは根本に戻ろうとしています。根本の仏教が、新しい土壌で成長していくのです。

藤田 新しいなにかをつくろうというのではなく、仏教の根源に戻っていくということですね。フレッシュなものは根源に見出せる。

老師 そのとおり。そしてそれが西洋においてどのように存在できるのか、発見したいのです。現在の西洋では、仏教がじゅうぶんに健康であるとは思いません。禅だけでなく、いろんな仏教がありますが……、かなり原理主義的になっているものもあるし、心理学とないまぜになってしまっているものもあります。心理学は仏教ではありません。

★ うーん。

老師 「仏教心理学」と言っても同じです。一般的に使われるのはかまわないのですが、仏教には「サイキ」というものはない。「サイキ」とは物語を通じて形成されるアイデンティティ。西洋的な概念です。それについて考えるのは大事なことですが、仏教はいわば「マインドロジー」とでもいうものであって、「サイキ」とは関係ないんだよ。

藤田 なるほど。サイキは物語で、マインドはそうじゃない。そういう区別をしてるんですね。

老師 仏教は「心」「意識」「気づき」に関する学びです。心理学を含むけれど、同じではない。人間を見る角度が違うのです。だから心理学を半分ミックスしたようなこの種のグループには異議を唱えます。実験は面白いのでしょうけれど、私にはあまり……。

★ そうすると、たとえばトランスパーソナル心理学のケン・ウイルバーなどは鈴木俊隆老師のお弟子さんだと聞いていますが……。

藤田 鈴木老師じゃなくて前角老師のお弟子さんだったと聞いてますけど?

老師 いや、誰の弟子でもないよ。ケン・ウイルバーは知っています。頭のいい男だし、システマチックな考えを持っている。でも彼が語っていることは仏教ではない。彼とはずいぶん話していないし、今は仏教徒みたいなものなのかもしれないけれど、はっきりは分かりません。

「仏教と心理学の違い」

藤田 この話は、昨晩の話と関係しているのでしょう? 稲葉さんは、老師の言う西洋の「サイキ」と仏教の「心」の違いについて、もうすこしくわしく説明してほしいみたいです。老師は「サイキ」は物語を通じてつくられるアイデンティティだと言いました。ここでいう物語とは個人の物語のことですね。

老師 個人の物語。

藤田 それはフィクションということですか。

老師 そう。西洋人はフィクションだと思わないだろうけどね。でも人間というものは物語をつくるものなんだ。心理学では、神とか元型(アーキタイプ)とかいろんな物語を生み出す。西洋人のアイデンティティの核心にあるのは「私は誰かWho I am」という物語なんだ。仏教はその物語を落とそうとする。

★ はい。

老師 私たちはエゴを必要とする。エゴがあるから人間は機能している。でもそれは無常だと知っているよね。

藤田 アメリカのヴィパッサナや禅のグループでも心理学とミックスしようとする動きがあるけれど、物語で説明しようとする心理学と物語をはずそうとする仏教を一緒にしちゃいけないよ、ということですね。

老師 ここ4、5年は毎年オーストリアで、25人の心理学者のグループと集まりを持っています。彼らはオーストリアでも最も進んだ心理学者たちで、瞑想を実践し、神学にも通じている。にもかかわらず、なかなかこのことを理解できない。西洋文明の核心とアジアの文明の核心の問題だからね。理解するのは難しくないけど、時間がかかる。だから〈西洋仏教〉がどんなものになるかというのは、大きすぎる問題です。誰も分からない。でもね、私は〈西洋仏教〉についてはすごく楽観的なんだ。この地球の行く末には楽観的じゃないけれど、仏教には楽観的。地球が生き延びるなら、仏教も生き延びるよ。

★ 仏教については、西洋における問題よりも、日本における問題のほうが大きいのかもしれませんね。

老師 ふ〜む……。私は日本の仏教についてはポジティブな考えを持っています。それぞれの地域には真言宗なり浄土真宗なりの大きなグループがあって、宗派は違うけれど同じサービスを行っている。それはとてもよいサービスです。それは仏教ではないかもしれないけれどよいサービスであることは確かだし、僧侶たちはよく働いている。私にはとてもできない。

一同 ハハハ。

老師 彼らのことは尊敬している。鈴木老師が日本を離れたのは、日本仏教が限界まで発展してしまって、文化の一部になってしまっていたからです。でも日本の仏教が彼を生んだのも事実。老師がアメリカにやってきたとき、弟子入りした私は聞きました。「日本にはほんとうに老師と呼べる人は何人くらいいるのですか」。答えは「10人くらいだろう」。「日本にはいくつ仏教があるのですか」と強く聞くと、「20くらいだろう」という。たしかに、今、ピカソに匹敵するような芸術家が何人いるかというと、それほど多くないだろう。同じように、30000人の僧侶がいる制度仏教のなかで何人かはほんとうに素晴らしい仏教者を生んだ。それはそれでいいことじゃないか。私はアメリカでも制度をつくろうと思います。みんなが修行するのを助ける制度を。制度には修行するのをたすける制度と修行を妨げる制度があるけれど、そのバランスをとらなければならない。この点では日本に学ぶことが多いでしょう。日本はつねに私たちの先を行っていますから(続く)。

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鈴木俊隆老師の伝記『まがったきゅうり』(サンガ)は藤田一照さんが監訳。


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