演奏のクォリティと集客は別の話

武井壮氏によるパラリンピックをより充実させるためには? 等についてのコメントの動画をTwitterで見かけまして、「競技の中でクォリティを上げればそれが達成されるってよく言うんですよスポーツの人って。そうじゃねぇと。クォリティの高さを見る人っていうのは競技を良く解っている人だけ」の下りに関しては自分が777でも掲げている「楽しませる工夫と演奏の上達を混同している」と全く同じものです。
取り急ぎバンドの世界に当てはめての自分のツイートを纏めます。


ツイートまとめ

所感

ライブはお客さんにとっては娯楽なので、視聴する時間には限度があります。自分は舞台のクォリティを上げましょうとは言いますが、中身の詰まったいいライブをやりましょうとか演奏技術を極限まで上げましょうとは一切言ってませんし、バンドさんにもそれは求めていません。

例えば舞台論として書き始めた初期の頃にボーカルさんに求めた内容ですが、一切歌唱技術的な物は求めていません。一定以上の歌唱技術が有ればそれで充分ですし、自分が求める歌唱の技術って正直言って低いです。上記の物に関しても全然高いハードルでもなく、譜面台を本番で使わなければいいですし、手も気を付けるだけでいいですし、片付けだって後回しにすればいいだけで手以外は努力らしい努力を必要としません。上達よりもよっぽど簡単に取り組めますが、取り組まない人が多いです。

同様に舞台のクォリティを上げなくちゃいけないと言っても、演者さんにメジャーで押しも押されもしない人を選ぼうとかそう言う高いハードルを言ってるわけでは無く、お客さんの集中力は2時間が限度だから30分ステージ3バンドが物理的に限度ですよ、8バンドは止めましょうねと、そういう話で。これも別に大きな努力を必要としません。単にバンド側のリスクがちょっと大きくなる程度です。

ノルマ制を止めようと言っているのも同じで、演者選びでミスると主催者側の出費が痛くなるっていうただそれだけです。その痛い出費を出さないためには必死にちゃんと選ばざるを得ないですよね。自然とお客さんに満足してもらえる演者さん選びになりますよね。って言うそれだけなんです。

この辺りの話っていうのは、武井壮氏の言う所のメディアに出る準備で。「趣味でやってる赤字バンドで苦労してるんですよ」って美談でも何でもないですしメディアはそんな自己責任を取り上げる事は無いです。舞台のクォリティを上げなくちゃいけないと言っても、今はライブを見に来た人がもう見に行くのしんどいと思う作りで、顕著な例としては8バンドの興行、ライブ配信も1カメラの固定でしかもハコの最後方で、これは宣伝しても次につながらないので過剰な部分、不足している部分を見直しましょうっていうだけなんですね。

だから3バンドにしましょうとかって言っているだけで、これは受け皿としての準備に過ぎないです。3バンドまで減らして初めて告知に力を入れられるスタートラインに立つと言うだけで。当然ですが舞台のクォリティをただ上げただけでは集客は増えないです。リピーターを掴みやすくしただけ。むしろその基礎部分すら今は無い状況と言った方が正しいと思います。

777にせよTri Artにせよ、この基礎作りをもう一度やりましょうと言うのが大きな目的で、今常識になってしまっている慣習を見直してみませんかと言うメッセージの方が強いです。コロナ禍は裏方も事務方も演者も、それぞれがお互いに見直していくいい機会だと思いますので、考え方の一つとして心の片隅にでも残してもらえましたら有難いです。

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