正直スポーツ化している演奏に価値を見出せない

7/19に向けて真面目な話をするの4日目です。何とか三日坊主は避けれました。何日続くかなぁ?w 今回は演奏のスポーツ化に対する懸念(というか嫌悪)についてです。

自分が大体腹を立てて帰るライブは「客席を見ろ」という点で不満を感じ、往々にして演奏技術は上手いけどそれだけの人に対して向けられることが有ります。基本的に自分はバンド名というブランドに価値を見出しませんので、大御所さんに対してもこの怒りを向けることが多々あります。

料理をするようになって痛感したのですが、自分には作れないであろう味を提供してくれる外食の価値が相対的に上がりました。これは料理をするまではただ美味しいお店でしかなかったわけですが、ここに技術面に対する評価が加わったためです。料理は日常的なものですしやろうと思えば誰でも始められるものですが、料理を提供するお店側が料理経験を期待するのは間違っていると思います。

翻って音楽の演奏経験となると手軽に始められるものでは無いので、一般のお客さんと我々ミュージシャンとでは必然的に評価ポイントがズレます。ギターの上手い下手なんかギターの演奏経験がないと解らないんですが、ギターの演奏経験があると無意識のうちにそちらに寄せられてしまう。結果として一般的に求められている良い音楽と、演者側、提供側が思っている良い音楽にズレが生じてきます。

問題なのは現状、ライブハウスに足を運ぶ人の殆どが演奏経験を持つ現役、もしくは元バンドマンであり、結果として演奏技術に比重を置いた評価をしてしまうためどうしてもスポーツ化が進んでしまっています。率直に言って自分はそんなものに2000円を払いたくないです。

技術的に上手い演奏が良い舞台かといえはそれは違いますし、技術的に下手な演奏が悪い舞台かと言えばそれも違います。もちろん下手な演奏は良い舞台ではないですし、上手い演奏が悪い舞台とも言いません。演奏技術と舞台の良し悪しは無関係だと思います。

例えばの話ですが、歌としては技術的には別に大したことはなくとも心に刺さる歌の一例として「祖国と女達(従軍慰安婦の唄)」があります。
https://www.youtube.com/watch?v=HB5jsFQHkPc

歴史観としても正直無茶苦茶ですし、従軍慰安婦がどういった制度であったかを学んだ身としては到底受け入れがたい内容なのですが、それを知ってなおなんて酷い制度だと一瞬思わされてしまう鬼気迫る力がこの音源にはあります。理想としては全バンドがこれと同じ迫力を全曲やってもらえたら2000円以上の価値がでるのかなと。

難しい要求をしている自覚は有りますが、他に2000円で出来る事を考えると割と当たり前の要求だと思うのです。友達と飲みに行っての2000円。映画を見ての2000円。単行本4,5冊買っての2000円。ボウリング行っての2000円。これらに勝たないと次に来てくれるお客さんは掴めないですよね。客側としては我々がプロかアマかはいい訳の対象になりませんから。そしてライブの価値を生み出せるのは舞台に立つ演者さんにしかできないことだとも思っています。

ただ、スポーツ化が進んでいる現状のままですとこの要求は満たせないだろうと確信を持っています。一切間違えない完璧な演奏をしたとしても何の演出もない舞台であれば、だったら無人の舞台で音源流しているのと何が違うのかと、自分はそういう観方をしてしまいますので。舞台に生まれる価値は、やはり演者さんの勝負する姿そのものだと思います。

もちろんそれを強要する以上、イベンターとしても同様に勝負して、別の舞台で勝負している姿をバンドさんに見てもらう必要が有ると思います。7/19の12万のリスク、ノルマを0にして1枚目から70%のバックを出す試みは僕も勝負しますから皆さんも勝負してくださいという投げかけのつもりですし、こうやって生意気な発信をすることもまた自分の舞台だと思っています。ですので評価していただければそれはとても嬉しく思います。生意気ばかり言ってますが今後もよろしくお願いします!


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