芸術は商品を提供した先に得る「評価」。作品は社会の物ではなく作った人の物
芸術はいわゆる娯楽ですから商品ですね。
— GY.Materials◆7/19 ノルマゼロ 70%バックライブ@西九条ブランニュー (@GYMaterials) December 5, 2019
社会の物ではなく、作った人の物です。商品にするしないは本人の意向であり、お金をやり取りするから生活が成り立っています。プロとはそういう生き物です。
商品化されていない芸術の方が少ないですよ。ゴッホですら大金で取引されているというのに。 https://t.co/mReBqNUBW4
むしろ商品として成立しない、すなわち第三者がお金を支払ってまで手に入れたいと思える仕上がりになっていない物には力が有りません。
— GY.Materials◆7/19 ノルマゼロ 70%バックライブ@西九条ブランニュー (@GYMaterials) December 5, 2019
力が無い作品は、評価としての「芸術」という称号を得る事も難しいでしょう。商品として立派に仕上げる事は、芸術の第一歩にして入り口なのです。
まぁその……こういう発言は、クリエイター全員の一生を支えてから言ってください。そうでなければ各クリエイターは生きていく為に、自分の作った作品を商品として売らねばなりません。
— GY.Materials◆7/19 ノルマゼロ 70%バックライブ@西九条ブランニュー (@GYMaterials) December 5, 2019
偉大な作家は結局皆そうやって生き残ってきたんです。今残っている芸術作品も元は商品です。
商品として納品された物、商品としてやり取りされた物が博物館などに飾られたり、レプリカが出回ったり、再現のための楽譜が出回ったりしているにすぎません。
— GY.Materials◆7/19 ノルマゼロ 70%バックライブ@西九条ブランニュー (@GYMaterials) December 5, 2019
商品としての価値を認めるのは他の誰ならぬお金を払った人達です。その人たちが著作物に財産としての命を吹き込んだのです。
故に、芸術という物を商品としたのは市場であり、人類そのものです。娯楽という価値ある商品、その一部が一部の人に芸術的という評価を衝撃と共に与えるにすぎず、芸術そのものに大きな価値は有りません。
— GY.Materials◆7/19 ノルマゼロ 70%バックライブ@西九条ブランニュー (@GYMaterials) December 5, 2019
あれはただの評価です。
時々思うのです。芸術という評価に恋心を抱いた人が娯楽をすっ飛ばして芸術に走り、結果としてそこは墓場になっているのではないかと。
— GY.Materials◆7/19 ノルマゼロ 70%バックライブ@西九条ブランニュー (@GYMaterials) December 5, 2019
この感覚は、自分が777をやろうとした源泉でもあります。音楽活動、ライブは元来商売で娯楽でサービス業。その基礎を忘れてはならないと思うのです。
2000円の商品を作る事に必死になってください。それを超えたところに芸術の門は開かれています。階段を上らずにたどり着くことはできません。
— GY.Materials◆7/19 ノルマゼロ 70%バックライブ@西九条ブランニュー (@GYMaterials) December 5, 2019
芸術などという物に憧れず、生活の為にお金を得て、商品をきちんと届けて下さい。結果として芸術家の評価、称号を得る事にはなると思います。
自分からすれば、芸術を商品にすることが作品を貶めるというような発想そのものが、芸術に対する冒涜であり、娯楽に対する冒涜です。
— GY.Materials◆7/19 ノルマゼロ 70%バックライブ@西九条ブランニュー (@GYMaterials) December 5, 2019
皆、生きるために必死で、幸か不幸か創作の力を与えられた人が保証のないいばらの道を歩んでいます。商品として売り、得たお金がどれほど心強いか。
こういう考えを体感と共に得てきているからこそ、自分はその取り立てというもっとも辛い部分を担当しているJASRACを支持し、敬意をもって動画作りなどをしているのです。
— GY.Materials◆7/19 ノルマゼロ 70%バックライブ@西九条ブランニュー (@GYMaterials) December 5, 2019
芸術を商品にするなというのなら、代わりの食い扶持を用意してください。それが出来ないのなら、そのような言葉は口に出さないでください。
— GY.Materials◆7/19 ノルマゼロ 70%バックライブ@西九条ブランニュー (@GYMaterials) December 5, 2019
我々に飢え死にしろと言っているのと同じですから。
丁度対談にて似たような話をした箇所を先ほど一般公開しました。
— GY.Materials◆7/19 ノルマゼロ 70%バックライブ@西九条ブランニュー (@GYMaterials) December 5, 2019
ノルマ0、1枚目から70%バックのイベントvol2に向けて。今回のテーマは「演奏でお金を得て演者としての誇りを育んで欲しい」です。
そもそも黒字でなければ続けられませんし……。https://t.co/SaLGmiY4Qi
まとめ
そもそもの話をしますと、自分は元来「芸術」というものが心底嫌いです。芸術は娯楽の墓場と常々考えています。
本来的な言葉の意味で言えば技術と同義で、それが芸の技、すなわち術かどうかでしかありません。あるいは英語で言うArtも本来Artには人工のと言う意味が有ります。すなわち、芸術とは本来人の手によるものであればなんでも芸術であり、もてはやされるようなものでは無いですし崇高なものでも無い。ただ、受け手が深く感動し、芸術としか評価できなくなったときにはじめて成立するだけのもので、自ら芸術家と言うほど馬鹿らしいことはないと思っています。
素人レベルの事しかしない人ほど虚栄と虚勢の為に芸術家を気取りたがりますし、JASRACの話を見ていてもこの辺りはお分かりになると思いますが、過剰な期待で作品を社会のものにして取り上げようとする傾向が強くあります。作家個人を見ませんし、事実よりも感情を優先する方が大多数。そこに生活が懸かっていると言う当たり前の部分に目を向けられない方があまりにも多すぎます。
実際、自分たちで芸術的なことに取り組んでいると気取った人達ほど生き残っておらず、市場から評価されず、作品が芸術作品と評価される機会はほとんどありません。評価されないものに対して自ら芸術と主張する行為は単なる自称に過ぎず、痛いだけです。作品作りが当たり前になった時代だからこそ、芯の部分として虚勢に走らないよう心掛けたいものです。