ここ一週間の話

たまには暗いことを書きます。今回は後悔の話です。
大好きだった祖父が一週間前に亡くなりました。丁度父から電話を受け取った時には「病院から『体調が急に悪くなった。午後が山だと覚悟してほしい』と言われたから家で待機していてくれ」と言われました。電話を受け取った途端に私の体は震え出しました。呼吸が荒くなり、頭の中で終わりのない焦燥感に陥ったような気がしました。祖父が死んでしまうかもしれない。そんな恐怖が私を襲いました。病院にすぐに駆け付けたい。でもコロナの影響で面会は禁止になっている。だから行ったとしても会わせてはくれない。私は初めてコロナが憎く感じました。今まで授業も就活もコロナの影響を受けても「しょうがないや」という考えで過ごしてきました。それが今になって間接的に家族を分断している。それが憎くて、悔しくてしょうがない。祖父はここ数年間病気がちで、一年前に脳梗塞で倒れた後は奇跡的に左足に多少の麻痺が残るくらいで回復しました。だから今年の六月に肺気腫で入院しても、心の何処かにまた家に戻ってくるだろうと思っていました。それがレントゲンで肺がほとんど機能していないという事が判明しました。原因は煙草の吸い過ぎによって、肺が真っ黒になっていたこと。もはや歩くことすら一苦労の状態だったのです。入院してからしばらくは10分間の制限付きで面会することが可能でした。最初はとても祖父は元気でした。ベッドから起き上がるなら、自力で行うことが可能でした。会話は少なかったですが、家族のことを気にしていたのを覚えています。それで私が毎回面会するととても笑顔になりました。心の底から嬉しかったようです。父から「いつもお前が面会しに行けばいいのに」と嫉妬されるほどでした。しかし、9月から状況が悪化しました。秋田県でもコロナが増え始め、病院も面会を禁止しました。洗濯物を受け取りには行けるが面会は出来ないということを歯がゆく感じました。そしてそれは祖父の心を知らず知らずの内に蝕んでいたのだと思います。きっかけは電話でした。朝の八時から「退院許可が出たから、今すぐ迎えに来てくれ」という連絡がかなりの頻度で来るようになりました。しかし、病院は許可を出していませんでした。例え祖父が今帰宅したとしても誰も見る余裕はありませんでした。父は仕事、私は大学、母は身体障害者であり自宅に帰ってきてもただ死を待つしかない。それは家族の間で分かり切っている事でした。今はただ病院で過ごしてもらうしかない。そうせざる負えない状況でした。最初は電話に出て応対していましたが、次第に何度もかかってくる電話が嫌に感じ、出なくなりました。私は卑怯者だと感じました。今になって当時の私に腹が立ちます。家族というつながりの中で、自分を育ててくれた祖父を蔑ろにしてしまっている。何処か他人事のように感じていたと思います。もっと声を聞かせてあげたかった、もっと助けたかった。方法はわからないが祖父の手助けになることをすれば良かった。そのようにして冒頭の状況になります。午後になって父から「喪服が急に必要になるかもしれない」と言われ、焦りはピークを迎えました。急いで車に乗り込み、隣町のコナカへ向かいました。車を走らせて10分くらいした時に父から電話が掛かってきました。「祖父の呼吸が止まったと病院から連絡があった。コナカではなくて先に病院に向かってくれ」と父の言葉を聞いた時に私は泣きました。数年間流した事の無かった涙があふれてしょうがなかった。何とか病院に着き、防護服を着て病室に入りました。祖父は目を見開いて真っすぐ天井を向きながら亡くなっていました。今にも動き出しそうな顔でしたが、触れると肌は冷たかったです。もう祖父は生き返ることが無いという事を実感した途端に私は祖父を見ることが出来ませんでした。ただ「ごめんね」という事を呟くしかなかったのです。
 それから目まぐるしく火葬や告別式があり、全部が落ち着いたのはつい先日のことです。やっと気持ちが落ち着いてきたときにこの文章を書いています。
 私は一生分の後悔をしている気がします。祖父に対して伝えたかったことは弔辞でも話しました。しかし、それは終わった後に語り掛けていることであって生前伝えることも出来た筈の言葉でした。祖父に初めての給料でご馳走もしたかったし、旅行にも行きたかった。叶う事なら旅行にも行きたかった。何か恩返しをしたかったです。でもそれが叶うことはもうありません。私は「もしも」という事は現実には存在しないことを学びました。現実はもっとシビアで残酷です。伝えたいことが胸の中にあっても、時間は待ってくれない。私はそんな当たり前のことすらわからなかったのです。そんな自分自身を恥じています。
 こんな拙い文章を読んでくれた人に伝えたいのは「伝えたいことは生きているときに必ず伝えること」だという事です。私はそれが出来なかったのです。今あなたが繋がっている人にちょっとでもお礼を言うだけで後の自分が救われるかもしれません。何様だよと言われるかもしれませんが、私が伝えたいことは以上です。
 暗い話ですみません。でもきちんと今の気持ちを形に残しておくことが大事だと思ってnoteに書きました。
 さようならお爺ちゃん。

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