この記事の続きね。
舛添要一氏が残した「第3者の厳しい目」という名言からだ。
この規範は、あらゆるシーンで使える。
そして現在、Colaboや仁藤夢乃氏に向かってる。
もちろん五輪談合にも向かっているものの、よくホットエントリーとかに入ってるのはColabo関連だ。
b.hatena.ne.jp
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そう、自分の愛する対象とともに享楽に興じていたオタク達を、仁藤夢乃氏は破壊したからな。
だから第3者の厳しい目は、Colaboや仁藤夢乃氏に向かう。
五輪談合の方ではなくてね。
そんで、ここからタイトル、本題に入る。
自分が書いた、はてなブックマークのこの記事について。
このブコメにあった「whataboutism」とか「ウイグル論法」という、前回の記事に対する批判について。
初めて知ったけどな、「whataboutism」とか「ウイグル論法」とか。
なんか調べたら「そっちこそどうなんだ主義(そっちこそどうなんだしゅぎ、英語: Whataboutism)は冷戦時期においてソビエト連邦(ソ連)が対西側諸国で使用したプロパガンダの手法。 」らしいな。
百田尚樹が水原希子にやったやつだ。
俺の記事もそうだぞと。
「Colaboや仁藤夢乃氏の公金無駄遣い疑惑の話をしてるのに、whataboutismで、五輪談合の話を持ち出したやろ?何、話逸らしてる?」っていう批判。
なーにが、whataboutismだよ。
違う違う、そうじゃ、そうじゃな~いってね。
whataboutismなんかじゃない。
五輪談合と、Colabo・仁藤夢乃氏の問題を同列に語れるのは「日本の公金・税金に関わることだから」だ。
「スコープが同じ」と言ってもいい。
スコープとは、Javaとかプログラミングで出てくる「変数の有効範囲」だ。
五輪談合に掛かった金、Colaboの活動に掛かる金、どちらも同じ都民税、同じ国の税金・社会保障費。
自分の記事に対するはてなブックマークのコメントにもあったよね。
だからスコープが同じなんだよ。
ここにおけるスコープとは、「問題の適用範囲」といっていい。
そのため以下のはてなブックマークの時記事に対するコメントが、いかに頓珍漢な指摘になってるかこれでわかっただろう。
スコープが違う話を持ってきて、「日本の税金は適切に使用されているか」という本題をはぐらかそうとしている。
まさにそっちこそwhataboutismじゃないって感じだよ。
ウイグル問題持ってきたりしてな。
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ウイグル論法、Whataboutismに、自分が陥ってるのに気づいてないのだろうか。
ただイチャモンつけたくて、カッコつけたくてちょっと難しい横文字使ってみただけみたいな。ほんと適当だよな。
俺は同じスコープ内で語れる2つの問題を比較してるのに、全然そのスコープに収まらない問題を持ってきてwhataboutismで話を逸らすから、その論理的誤謬を逆に指摘されるんだよ。
例えば百田尚樹、この人は日本人の純血性とか愛国主義っていうか、なんかウエストランドじゃねえけど「自分たちの主張が、民族が、正義だという凝り固まった考え」を持ってるイメージあるよな。
水原希子の民族的出自が気になってイチャモンつけてるんじゃねえか、知らんけど。
水原希子はその民族的出自もあるかもしれない、米ミネソタ州の人種差別、人権問題に関心を持って声明を出したと思われる。
そこで百田尚樹がwhataboutismを展開、スコープが違う範囲内にある「ウイグル」とか「チベット」の人権問題を持ち出す。
翻ってどうだ、俺の記事は。
百田尚樹と違って、「日本国の税金に関する使用用途」というスコープ(問題の適用範囲)内で話をしている。
日本の税金というスコープにおいて、五輪談合とColabo、比較して、どれだけの金額が使われたかという話。
だから自分の記事はウイグル論法でも、whataboutismなんかでもない。
どれだけの金が使われたか、そのファクトの比較をして、五輪談合の方が俺らの税金が中抜き非生産的労働者、中抜きブルシット・ワーカーに流れて無駄に使われてるって言ってるんだよ。
ちなみにwhataboutismでよく起きている矛盾は「コスポリタニズム化」といってもいいな。
コスモポリタニズムについては話が長くなるので割愛するが「グローバルな問題も私達の問題とする主義主張のこと」よ。
グレタ・トゥーンベリさんとかな。
百田尚樹とかネトウヨは、おそらく別にコスモポリタンではないが、話を逸らすために時折コスモポリタンになる。
水原希子がアメリカにおける黒人への人種差別や人権弾圧の問題を話していたのに、急にやってきて「ウイグルやチベットはどうなんや?」と、スコープをアメリカの人権問題から全世界の人権問題に広げて叩くという、頓珍漢な批判をする。
日本の税金の使用用途の話をしているのに、トップブコメにあった皮肉、俺の話はウイグル論法だと言わんばかりに、スコープが違う話題を持ってきて話を逸らす。
NPO法人の代表の牧師による犯罪、連続暴行音楽家の犯罪は、個人の犯罪に関する問題だ。その出来事と、Colaboや仁藤夢乃氏が行っている萌え絵ポスター批判、草津バッシング問題、全部バラバラの問題だよ。
例えばこれらの問題を、
NPO法人の代表の牧師による犯罪…a
連続暴行音楽家の犯罪…b
萌え絵ポスター批判…c
草津バッシング問題…d
として、a~dに共通するスコープはあるのかね?
五輪談合とColaboには「公金無駄遣い疑惑」という共通するスコープがある。
だから、逆だっていう話だよ。
Whataboutism、ウイグル論法をやってるのはどっちだって言いたいね。
自分自身だったという事実を自覚するべきだな。
結局は自分の認知的不協和を解消するために、五輪談合とか他の税金無駄遣い疑惑は黙殺して、「Colaboは悪い団体なんだ」っていう確証バイアスで情報を集めてるんだよ。
認知的不協和と確証バイアスは、ちょっと説明しておくか。
大治朋子という方の「歪んだ正義」という本に、わかりやい説明があった。
どうだ、思い当たるだろ。
ファクトを比較することなく、自分が気持ちよくなれる情報ばかり集めて満足か?
五輪談合の話とか他の税金無駄遣いの話で、Colaboや仁藤夢乃氏の糾弾の手や盛り上がりが弱まるのが嫌なんだろう?
だからColaboや仁藤夢乃氏が叩かれる記事ばっかり探してんだろうよ。
なんでだ?自問自答して自分の不快感の根源に迫ってみるんだよ。
なぜ自分は確証バイアスでColabo叩きの情報ばかり集め、それに愉悦しているのかという自分自身のファクトから目を背けるな。
そして、俺みたいな意見が出てきたら、たまにコスモポリタンになって批判。
インスタント・コスモポリタンだ。数分だけ。
数分後には、平気で肉を食ってる。
ヴィーガンの「肉食は地球温暖化による気候変動の防止に貢献できるんだよ~」等の主張なんて無視だ。
「あれ、あんたウイグルとかチベットとかウクライナとか、世界の問題を基準にして考えるコスモポリタンじゃなかったったの?」って聞きたいね。
都合のいい時だけコスモポリタンになって人を罵倒する、ヘイトスピーチを撒き散らす。
コスモポリタニズム・ハラスメント(ある問題への追及を逸らすために問題の適用範囲を全世界に広げる行為)として定義してもいいな、このハラスメント行為は。