見出し画像

閾値の「しきいち」読みは誤読か否か

理系の人なら馴染み深い単語の「閾値」。この熟語の読み方は「いきち」ですが、「しきいち」と読む人もいます(研究室での指導教員がそうでした)。

この「しきいち」という読み方は、誤読でしょうか。

閾の意味は敷居

「閾」という漢字は「しきみ」と読み、内外の堺や戸口などの下に敷く横木のことです。襖や障子などで言えば、敷居のことです。

おそらく「しきいち」という読み方は、「しきみ」という訓読みが「敷居(しきい)」と似ていることや、意味はほぼ同じという類似性から登場したとのだと思います。今では漢字ペディアで調べると、「閾」の訓読みは「しきい」になっていて、「しきみ」は無くなっています。

「いきち」は字面が想像しにくい

「いき」と読む言葉はたくさんあります。「ち」がおそらく「値」のことだろうとは文脈から予想できるかもしれませんが、「いきち」の「いき」が「閾」であることを音から察するには、「閾値」という単語に馴染みがなければ難しいかもしれません。

一方、「しきいち」は「敷居+値」だとすれば訓読みの熟語である「敷居」に音読みの「値」が合わさった形で、化学を「ばけがく」、私立・市立を「わたくしりつ・いちりつ」と読む湯桶読みのように、意味(字面?)を音から想像しやすいようにも感じます。

「敷居値」とは書いていない

このように、閾値は「しきいち」と読んでも良さそうな材料はいくつかありますが、一方で「だったら敷居値と書けばいいだろう」という思いもあります。「閾値」と書いたのであれば、より正しい読み方である「いきち」と読みたい心理も理解できます。

言葉は時代によって移り変わるものですが、洗滌(せんでき)が洗浄(せんじょう)に置き換わった時も、独擅場(どくせんじょう)の誤読から独壇場(どくだんじょう)が定着した時も、読み方に合わせた字に変わりました。口頭での聞き取りやすさだけでなく、正式な言葉として「しきいち」を採用するのであれば、いっそ文字も「敷居値」にしたほうがスッキリしそうです。

訂正はしないけど誤用したくない

個人的には、「いきち」の音から「閾値」を連想できない人がいる可能性を考慮して音声のみのコミュニケーション時には「しきいち」という読み方を使っています。スライドショーを示しながらのプレゼンのような、字面が相手も読めるような場面では「いきち」と読むようにしています。

相手が「しきいち」という読み方をしていても指摘はしませんが、自分では誤用したくないので、意思疎通に支障が起こらないという確信が強い場面ではできるだけ「いきち」という読み方にしています。稀に「いきち」と読むのは誤りだと指摘してくる確信犯(正しい意味で)がいて、その時は説明が面倒なことになるのですが・・・

正解は分かりません。あなたはどう思いますか?

いいなと思ったら応援しよう!