『【推しの子】』がもしオリジナルアニメだったらと仮説すると1話の深読みが止まらなかった
人気漫画原作のアニメ『【推しの子】』の1話をみました。通常30分枠(OP, ED, CMがあるので実質本編は約22分40秒)ではなく、3倍の1.5時間枠で作られた気合の入った始まりです。
原作も読んでいて面白いことは知っていました。1話も面白かったです。ただ、アニメファンとして素直に「面白かった」で終わらせるにはどうにも違和感が拭えませんでした。
違和感の正体を探るため、「もし『【推しの子】』という漫画原作がなく、アニメオリジナルの脚本として作られていたらどんな作品になっただろう」と考えて見返してみた結果、違和感の正体が見えてきました。
いや、もしかしたら見えてきたというのは錯覚かもしれません。単にこじらせて考察した結果、有りもしない行間を幻視している可能性もあります。
そんな深読みすぎて本当かどうか分からない演出のお話です
注意:この投稿にはアニメ『【推しの子】』ならびに漫画『【推しの子】』の多大なネタバレを含みます。それでも良いという方だけ読み進めてください
冒頭、下手に描いて恋愛アニメに偽装している
アニメ1話で私が一番最初に違和感を覚えたのは、クオリティの異常な低さです。見る前から1時間30分枠であることは知っていたので、さぞかし力が入った作品なのだろうと予想していました。が、冒頭のシーンは30分アニメにしても珍しいぐらい画面が下手なのです。
分かりやすいところでは、病院のシーンでは随所でパースが狂っています。
背景のパースに対して人物の立ち位置や向き、背丈があっていません。上の絵だと、主人公(?)の医者の体の向きは座っている椅子の向きとまったくあっていません。少女の背丈も不自然です。医者と少女が立っているなら自然な高さですが、医者が椅子に座っていると考えると、少女の頭の位置は立っているにしても座っているにしても低すぎます。なにかの上で四つん這いになっているなら高さは合いますが、今度は姿勢が合いません。
もう1枚、絵の狂いを見てみましょう。
手前の人物は大きく、奥の人物は小さく映るのは普通なのですが、基本的に視線の高さは遠近によって変わりません。医者の目線の位置が女性より低くなるには、極端に下から見上げたアオリ構図でなければ成立しません。
ところが、背景を見ると普通に山が写っています。本来であれば、極端に見上げるアングルによって山は見切れてほとんど空しか見えないはずなのに。解せない。
こうした絵の狂いは、実のところアニメでは珍しくありません。予算が無いのか納期に余裕が無いのか、ある程度の違和感には目をつぶっている作品は探せばいくつも見つかります。
ところがこれは通常の30分枠ではなく、わざわざ1時間30分に放送枠を拡大して放映される作品。しかもその1話冒頭です。もっともシビアに評価され、視聴者が観るか否かを判断するもっとも大事な部分で、後に絵が崩れる作品であっても力を入れて仕上げてくる場面です。そんな場面でなぜこれほど分かりやすい下手を良しとしているのか。違和感がすごい。
ここで、『【推しの子】』が原作のないオリジナルアニメだとしたらどう構成・演出するべきかを考えてみると一つの仮説が産まれます。実はこの下手な画作り、ワザとやってるんじゃないかという仮説です。
魅せたいワンシーンのために全てがある
『【推しの子】』のストーリーを、もし原作のないアニメとして作る1話は何を描くべきでしょうか。あらゆるストーリー作品の中で共通する一つの答えは、主人公の目的を描くことです。
第1話では、勇者は魔王討伐を目指し、メロスは激怒し、ボーイとガールはミートし、探偵は事件に巻き込まれるのです。
そう考えると、アニメオリジナル作品『【推しの子】』が1話で描くべきことは、主人公が事件の真相を暴くと決意するこのシーンです。
定番の構成演出としては、1話冒頭に最初にこのシーンを持ってくることです。キャッチーな冒頭から始まり、なぜそんな状況になったのかを描き、まとめる。アンサーファースト、引き付けて魅せる構成展開です。
そして主人公の動機を裏付けするように、なぜそれほど強く思うようになったのかを補強するような小エピソードを1話に盛り込むことでしょう。前世の記憶がある子どもだからこそ、殺された推しとの深い絆があったと説明するシーン。やりきれない怒りの矛先のぶつけ先を探して荒れているシーンなど。
ところが、このアニメには原作がありました。そして上記の主人公が動機を決意するシーンは、原作漫画の10話なのです。
最低連載話数をフルに使った「1話」
ここで漫画業界の慣習を思い出しください。特に、ジャンプの慣習です。
週刊漫画業界の新規参入組だったジャンプは、人気マンガ家の獲得が難しいというハンディキャップを極端な人気評価制度で打ち破りました。実績がない漫画家でも連載するが、読者投票の結果が悪ければ巨匠だろうと早々に打ち切る。そうして新しい才能を発掘し、漫画業界での立ち位置を切り開いていったのです。
その結果、週刊漫画には最低連載話数という概念が産まれました。人気投票の結果が確定するまで、少なくとも連載が続けられる話数のことです。これには例外もあり、出版社や雑誌ごとの考えもありますが、おおよそ漫画1巻分に収録できる10話程度が最低連載話数といえるでしょう。
そう考えると、漫画『【推しの子】』が仕掛けた挑戦的な構成演出が見えてきます。そう、通常は連載1話でやるような「主人公の動機を示す」という展開に1巻全てをかけているのです。言い換えるなら、漫画1冊をフルに使って「連載1話目」をやっているのです。
実は、こうした一冊の最後までクライマックスを隠す構成は他に例があります。ミステリー小説です。
ミステリーの最大の売りは、なんといっても謎解きのシーンでしょう。どんな真実があるのかを考えながら読み進め、まるで答え合わせをするように謎が明かされるのが爽快なのです。しかしその謎が分かっては興ざめなため、匂わせつつも謎解きのシーンは物語の最後まで秘匿されます。
そんなミステリーにも弱点があります。面白いクライマックスにたどり着くまでの途中が退屈になりがちなのです。ミステリーの序盤、中盤は言い換えれば伏線張りや説明ばかりであり、「だからどうした」がなかなか示されないので人によっては退屈で観ていられないと感じてしまいます。ミステリーでは殺人が連続になりがちなのも、中盤で飽きられないようにする工夫の一つなのです。
ヒューマンドラマと嘘をついたミステリー
漫画『【推しの子】』の1巻まるごとを使った演出は、言い換えればヒューマンドラマに偽装したミステリー作品の打ち出しです。
連載当初からアイドルとファンの関係を描く物語のように描き続け、1巻の最後になって突然犯人探しという主人公の動機が明かされます。この「1冊の最後までクライマックスが秘匿される」という構成は、ミステリー小説の一般的な構成なのです。
漫画『【推しの子】』1巻は「実はこんな作品だった」という裏切りのストーリーをミステリーの構成演出になぞらえて設計されています。すなわち、私達読者が「実はミステリー作品だった!」と暴く探偵役だった訳です。文字通り、読者を作品に引き込むための構成演出と言えるでしょう。
この意欲的な構成演出の興味深いところは、ミステリー作品が苦手な読者にも通用するということです。なにせ終盤までヒューマンドラマに見せかけているので、序盤から中盤の展開を「説明くさい」「話が進まない」などと感じることなく楽しめます。
また、作品ジャンルを偽るという演出がもう一つのテーマにも当てはまります。すなわち、「嘘」というテーマです。
主人公の「推し」であるアイは、自分を「嘘つき」だと自称します。アイドルを「嘘をつく仕事」と表現しています。また、そんな推しの子供として生まれ変わった主人公たちは、自分たちに前世の記憶があることを隠すという嘘をついています。
この『【推しの子】』という作品は、「【嘘つきの物語】という嘘で読者を驚かせる物語」なわけです。
アニメオリジナルなら3話分割もあり得た
アニメ制作に話を戻します。もし『【推しの子】』が「推しの子供に生まれ変わった主人公による犯人探し」というオリジナルアニメであればオーソドックスな構成演出もあり得たでしょう。
では、原作が挑戦した「ヒューマンドラマという嘘で読者を引き込むミステリー」も含めて考えるとどうでしょう。1話冒頭にクライマックスをちら見せする演出なんてできません。嘘が嘘だとバレてしまいますし、ミステリーでネタバレは死在るべし。
一つの選択肢は、1時間30分かけて描いたような内容を3話に分けることです。実はアニメにおいて3話は大きな物語の転換点になりやすく、2010年代には3話に主要な人物が突然死ぬ展開が多かったことから「3話の悲劇」なんて言葉も産まれました。
もし『【推しの子】』がオリジナルアニメであれば、過去の作品たちと同様に3話で「実はミステリーだった」と明かす展開もあり得たと思います。ところが、よく見てみると3話の悲劇で印象深い作品はオリジナルアニメがほとんどなのです。
視聴者が予想もしていなかった急展開や事件で物語を動かす構成演出の弱点は、ネタバレによってその効果を失うことです。もし3話かけて「実はミステリー作品だった」と演出しようとすれば、漫画原作を読んでいたり1話を観たあとに原作に手を出した視聴者には、3話の展開が効果を発揮しないことになります。
また、3話で作品が大きく動くからといって、その意外性が視聴者にとって好ましくない裏切り方をしては逆効果です。そのため、「実は悲劇に抗う物語」へと転換する裏切りには、1~3話の間に「ただの平和な物語にしてはおかしい」と感じる伏線のような演出を散りばめるプランが選ばれます。予想は裏切るけれど、予感はさせるというものです。
ところが、漫画原作『【推しの子】』ではこうした予感させる演出を抑えて1巻が描かれています。ヒューマンドラマとして十分に面白いクライマックスを魅せ、そのための伏線と演出を入れて描ききった上で、その上から裏切りを被せる贅沢な演出です。
こうした「予感すらさせずに盛大に裏切る」展開は、読者離れの原因にもなりかねない挑戦的な構成です。一方で、うまく行けばその衝撃は極めて大きく、読者は一気に作品に引き込まれることでしょう。漫画『【推しの子】』は、その挑戦に成功した作品だったと言えます。どれだけ構想を練ったのでしょう、ものすごく難しいことです。
アニメで「嘘」をどう描こう
難しい挑戦的な構成演出を選び成功した漫画原作『【推しの子】』。その映像化を考えた時、悩むのはどうやって裏切りの落差を演出するかです。
アニメと連載漫画の違いを考えた時、アニメは裏切りを全く予感させないような演出プランは取れません。雑誌連載作品であれば、ある程度の面白さがあれば別作品のついでに読んでもらえます。単行本であれば1冊という単位にくくられているため、読み終わることなく読者が離れていくことは少ないでしょう。
ところがアニメではそうはいきません。1話を観て面白くなければ基本的に2話目を観てもらえないので、完全に違和感を消してヒューマンドラマに演出した3話目の裏切り演出はリスクが高すぎます。
裏切りを予感させる演出を随所に入れるプランも考えられますが、そすなると漫画であった大上段からの裏切りによる驚きが描けません。演出を抑えすぎると違和感に気付かれずに視聴者が離れます。どうしたものか。
そうして選ばれたのが1時間30分枠と妙に下手な画面作りではないでしょうか。一気に物語の転換点まで見せることで視聴離れを防ぎ、画面作りで密かに違和感を植え付けて、ほとんど予感はさせないけれど裏切りをネガティブに感じさせないバランスを狙った、という仮説です。
ワザとやってると思うと納得
例えば下のシーン。静止画で見るとそれほど違和感がないかもしれませんが、動画だと違和感がすごい。二人は10秒も話しながら歩いているのに、ほんの少ししか扉に近づかないのです。
こうした人物が浮いて見える動きは、ラブコメ作品などでは珍しくありません。会話劇的な人間関係が面白い作品では、キャラクターが浮いている方が人間関係の比喩的な絵が強調されて面白いのです。
とはいえ、そういう場合は背景を描かずに塗りつぶして違和感を消したり、ワザと浮かせていることが分かるように白く縁取ってポップな演出にみせたりします。ところが、『【推しの子】』1話の冒頭はそういった工夫もなく違和感を放置した画が大量にあるのです。背景はドラマ的なのにキャラクターの動きだけはラブコメアニメのような、どこかちぐはぐな画面になっています。
そんなちぐはぐな画作りも、1話中盤に入ると落ち着いてきます。キャラクターの動きと背景のミスマッチは減り、恋愛アニメにありそうな背景演出も増えてきます。
45分の区切りをすぎると、今度は輪郭に光がかかったような凝った演出も加わり、感動ストーリーのような描写が増えてきます。それまでは平面的で色分けが少なく、コメディ作品のような印象だった描写だったのが、だんだんと雰囲気や感動を描くようなアニメの絵を合間合間に入れてくるのです。
こうした「1話なのに下手な画作り」や「コロコロかわる画面描写の演出プラン」といった不自然を、ラストの「実はミステリー」という裏切りを予感させる違和感として採用していたのではないでしょうか。それこそ、油絵のようなタッチによって復讐に誓う主人公の異様さを描くワンシーンのために、画作りによって伏線的な演出をするプランを選んだのかもしれません。
とはいえ、冒頭のような下手な画作りをワザと入れるというのもなかなかに挑戦的な演出プランです。「ワザとやっている」と気付かれなければ作品のネガティブな印象になりかねないのに、気付かれたら裏切りの演出として失敗になるからです。
と、色々考えてきましたが、もしかしたら単に予算や納期の都合で演出プランや画面のクオリティが安定しなかったという可能性もあります。ライブシーンやクライマックスには露骨に手がかかっているので、そこに予算を集中した結果ほかが犠牲になったというのはありそうな話です。
そもそもワザと下手な画作りという行為をプロが許容するのか、というのもイメージできません。この考察がどこまで妥当なものなのか、その結論が明かされることはあるのでしょうか。知りたい気持ち半分、明かされずに秘匿していてほしい気持ち半分といったところです。
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