1999年に世界の終わりを迎えたものとは何だったのか?

はじめに


ノストラダムスの予言に「1999年7の月に世界に恐怖の大王がまいおり世界が終わる」と解釈できる詩があり、世紀末(本当の世紀末は2000年)だ、やれやれやっと世界が終わるのかという気持ちがちょっとだけありました。

では、そんな1999年に終わりを迎えてしまったものを、私の主観で書きたいと思います。
私の主観の問題で、その業界やコンテンツが終わってしまったわけではないことを最初にお断りしておきます。
これは私が大好きだったものへの懐古の念で書いています。

ビデオゲームを主とした大型テーマパーク

私が一番好きな遊園地は、二子玉川のナムコ・ワンダーエッグです。
ギャラクシアン3、ドルアーガの塔、ファイターキャンプと大規模な体感ゲームがありました。
本当に大好きだったのですが、一回遊びに行ったときに使う金額が大きかったことと、就職で東京エリアから名古屋に移住してしまったため、満足するまでは遊んでいません。
2000年12月31日に閉園したらしいです。

ゲームセンターでの対戦

ストリートファイター2で対戦が盛んになったとき、私は大学生だったので、大学のカリキュラムとバイトが忙しく、真剣にやりこむところまではいきませんでした。
1998年リリースされた、バーチャロン・オラトリオタングラム(通称オラタン)の操作感にはまり、全国大会店舗予選でゲームセンターの店舗を回って大会出場したり、店舗での小大会に参加したりしていました。一番長くつきあっているゲームです。
2000年以降ネット対戦のゲームであったり、ネットでパーティが組めるRPG(FF11)が発売され、家で遊ぶことが多くなりました。
それと共に、ゲーセンに集まってみんなでワイワイする機会が減っていったように思います。

NIFTY 会議室

インターネットが普及する前の日本では、パソコン通信によるBBSというものが今のSNSやネットの代わりを務めていました。(その程度で我慢するしかなかった)
1994年当時は、NIFTYの会議室(BBS)での情報交換が盛んだった印象です。今では信じられない事ですが、NIFTYに接続しチャット(リアルタイム文字会話)をすると接続しているだけで電話代(深夜のテレホーダイを利用すれば定額)、NFTYの接続料金がかかったものでした。
インターネットのサービスに置き換わっていった形です。
形ですと言うか、その会議室のメンバーを40人ぐらいまとめて別サービスに連れて行った実行犯が私でした。

会社員としての私

かなりどうでもよいオチ。
会社員として勤めていく気持ちがすっかり無くなっていました。
会社辞める前にはクレジットカードを作っておきましょう。(辞めると審査が通らなくなる)


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