ブルネイ入国失敗記
僕の調査地はマレーシアのサバ州というところの内陸部の山の中である。そのサバの玄関となるのが州都コタキナバルだ。
このコタキナバルという町は日本から少々アプローチが難しい。日本との直行便は何年かに一回できるが、日本人にサバは早すぎるのか、就航してもすぐに撤退してしまうというのを繰り返していて、2024年9月現在はない(調査中に2025年2月にマレーシア航空が羽田とのあいだで直行便を開設するというニュースがあった)。
前回訪れたときは首都クアラルンプールを経由した。便利で確実なルートではあるが、地図を見てもらえればわかるとおり、日本からみればいちど「向こう」に行ってから1500km以上も引き返すことになる。
クアラルンプールを経由せずともコタキナバルにはたくさんの国際線が就航している。韓国から毎晩3便飛んでくることはコタキナバル市民ならよく知っていることである。日本からであればソウル以外にも台北、上海、広州、マニラあたりが候補になるだろうか。しかしこのへんは日本便とのスケジュールがどうもうまく噛み合わない。
僕は再びのサバ調査旅行を控えて頭を抱えていた。直行便がないいま、いちどクアラルンプールに出るべきか、日本便との接続の悪い韓国や上海を経由するべきか。以前は香港もあったがコロナ禍でなくなってしまったようである。そんなときに目に飛び込んできたのが、今回利用したロイヤルブルネイ航空である。
ブルネイ。
マレーシアのサラワク州の端っこにちょちょんと領土を構える三重県ほどの広さの国土をもつ国家である。このブルネイの国営航空会社ロイヤルブルネイ航空が、成田とコタキナバルのあいだをスムーズに接続するスケジュールを組んでいるのである。ブルネイならそこまで遠くに行く必要もないし、なにより僕はブルネイに行ったことがない。どうせなら帰りにちょっとブルネイ観光で知見を広げようというわけで、往路は成田→ブルネイ→コタキナバル、復路はブルネイ→成田のチケットを確保した。コタキナバルからブルネイを陸路+海路で移動してブルネイから帰ろうという計画である。僕の計画は完璧なはずだった。
その計画が出発の一週間ほど前から狂い始めた。出発を前に僕は原因不明の高熱に冒され、予定をすべてキャンセルして治療に専念したが、病院に3回行っても原因はわからず、完治しないまま出発の日を迎えた。スケジュール変更が効くチケットだったのでその前日に延期を決意したのも束の間。もとの出発日は月曜日だったのだが、なんとつぎは金曜日まで来ないらしいということが判明した。しかもそれにするとコタキナバル着は土曜日になってしまう。身体は辛かったが、延期するよりもコタキナバルに渡ってしまうことにした。短い調査期間が一週間も潰れるのはさすがにきつい。
そして僕は案の定コタキナバルのホテルでぶっ倒れていた。薬を飲んでも一向に変わらない。熱はぶり返し、喉はつぶれ、頭は動かなかった。いつも動いてないとか言うな。体調が悪いまま調査地の内陸部へ。調査地でも二日に一回はぶっ倒れていた。
だがブルネイ乗り継ぎというルートについてはほんとうに申し分なかった。このルートは正解ではあるのだが、人の往来がそこまで多くないがために週に成田とのあいだに3便ほどしか飛んでいない。
さらに具合の悪いことに、なにか悪いものを食べた記憶もないのに8年前に神経治療をした歯が急に痛み出し、食事や会話もままならなくなった。顔がはち切れるほど痛くなり、市販の鎮痛剤で誤魔化しきれなかった。さらにマウス、スマホとパソコンの充電器が相次いで壊れていく。 心身ともにへとへとになり、僕は限界を迎えていた。マレーシアもサバも好きだが、帰らないとなにかがやられてしまう。2週間の調査期間をなんとか生き延びて山を降りコタキナバルに戻った。あとは帰るだけだ。
先述の通り、陸路と海路でコタキナバルからブルネイに移動し、ブルネイで一泊する計画を立てていたが、重い荷物を持って動く気力もなくなっており、コタキナバルから飛行機でブルネイに行くその日の朝9時発、9時半着の飛行機を予約した。東京行きの飛行機はブルネイを深夜に出るので、一日だけブルネイで過ごして帰国。もう完璧だった。
ブルネイ行きのフライトに乗るその日の朝7時前、早起きをして気分のいい僕は意気揚々とコタキナバル国際空港に到着した。新しく訪問する国はわくわくするものである。ブルネイの電子入国カードと健康調査も記入した。公共交通機関がないらしいのでレンタカーも予約した。僕は海外であってもけっこう軽率に車を運転する。体調が悪くても。
ロイヤルブルネイはAカウンターらしいが、Aカウンターにはどこにも人がいない。おかしい。そういえばブルネイ行きの飛行機、出発ボードにはなんか7:20と書いてある。隣のカウンターにいたマレーシア航空の職員にきいてみた。「Sudah tutup」。もう閉まった、という意味だ。
前日の昼にブルネイ航空から複数回にわたる連絡があったのを、僕はなにひとつ気がついていなかった。体調はたしかに悪かったが、メールのひとつも見ない言い訳にはならない。ノーショー(No Show=出発時間までに現れなかった)という扱いになり、僕はコタキナバル国際空港に置いて行かれてしまったのである。
〜つづく〜