第二巻 巣立ち 12、漢文
12、漢文
※この小説は、すでにAmazonの電子版で出版しておりますが、より多くの人に読んでいただきたく、少しづつここに公開する事にしました。
俺は高校に行って初めて、古文や漢文に出会った。古文は、音読するとリズムがあって大好きだ。昔は、平家物語のように、口から口へ伝承していった部分が多いのではないだろうか? 昔の文章は、現代の文章に比べてずっとリズムがあり、美しい。俺は、このリズムが好きで、古文はいくらでも暗記ができそうな気がした。音読を繰り返すと自然に文章が頭の中に入って来た。短歌も同じだ。
それに対して、漢文は少し違っていた。俺は、元々、漢字というか表意文字が好きなのかもしれない。漢字の方が簡潔にまとめられる様な気がしてならない。表音文字を操る民族は、頭の出来が単純なんではないかと思ったことがある。コンピュータをやる様になって、二十六文字のアルファベットより五十音のひらがなや多くの漢字の方がビット数が多く必要になるのを知って、この思いは確信に変わった。
高校で期末の漢文テスト結果が、俺だけ返ってこない時があった。しばらくしたら、俺の漢文のテストが廊下に張り出してあって、黒山の人だかりだった。それは満点ではなかったが、かなり良い点だった。漢文の先生はよっぽど嬉しかったのだろう、それを張り出したのだから。でも、俺の方はたまらない。実の所、俺は試験の前の日に漢文のアンチョコを克明に見ていた。俺はアンチョコは、ほとんど使ったことがなかったが、漢文だけは時間の節約のために利用していた。
試験の前日は勉強のつもりでアンチョコを読み始めたのだが、いろいろ裏話や教養が書いてあって面白くて勉強そっちのけで読んでいた。次の日のテストには、前の日に読んだことがたくさん出たので、思いの丈を書いてやった。面白くて読んだものは、別に暗記しようとしないでも頭に残るものだ。俺は、恥ずかしくて、アンチョコの内容だとは言えなかった。
そんな高校の漢文の中に燕の詩というのがある。内容は、大事に育てた子供の燕が、親を見捨てて飛び去ってしまう。老人がそれを見ていて、「嘆くな、お前だってかつて親を見捨てて出てきたではないか!」という話だ。俺は、ある時まで、これは親不孝の詩かと思っていた。
しかし、教科書に何で、親不孝の詩が載るのかも不思議だった。後で大人になって、これは巣立ちの詩だと思った。動物は全て、人間も含めてこのように親を見捨てて、巣立ちをしなければならない。そうしないと、大人にはなれないんだ。
アンチョコが助けてくれた 漢文は 今でも好きだ ツバメの詩など
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