目が覚めて、さぁどうする。
古いフォルダを開いたら8年前に書いた文章が見つかった。当時勤めていた職場の会報向けに書いたものだ。8年半私は埼玉で暮らし、6年前に実家のある熊本に帰ってきた。以下はその文章。
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「変わらないね」と言われると落ち込む。
私の中では「変わらないね」イコール「成長してないね」だから。
「変わらなければ」と半ば強迫観念のように思っている。気を抜くと自分はすぐにでも路頭に迷う生活能力のない人間だと思っている。ので、変わらないと生きていけないと思っている。もし、会社がつぶれても自分で食い扶持は稼げるくらいの生活力がほしい。
埼玉に来て四月で、八年になる。結婚や出産やら新たな人生のステージを選ぶ周囲と比較して、自分だけが何も選べず、年を取っていつの間にか生きる屍になるのかとまたいつもの被害妄想に襲われてしまう。じゃあ自分が結婚や出産が無性にしたいのかというとそうではないとわかっているくせに、だ。要は比べても、最終的には私は私なりに生きているからこれでいい、と思えれば良い。
埼玉に来て、息をすることすらままならなかった八年前に比べたら生きやすくはなった。人と関わる以上死は今まで以上に身近で、死に幻想を抱かなくなった。しかし生きることは大前提になったとしても生きていくためには金がかかる。その手段について模索するようになった。死なないためには助けを求められる人脈つくりが大事だと思ったが、仕事以外にはあまり広がらなかった。
世の中は増々生きづらくなっている。いつの間にか搾取されて、誰が犯人かわからないように事故に見せかけて殺されるかもしれない。でも、コンビニ・ケータイ・ファーストフードに依存し、資本主義にどっぷり浸かってるくせに文句を言ったって天に唾を吐くようなもので虚しい。健康のために、と薬漬けになって必死に働いて、でも息子が不登校になって、同僚が鬱になって、それでも守りたい「安定した幸せ」って何だ?このままでいいのか、そう思っている人は少なくないはず。でも、たいていの人は現状維持にとどまる。「無職よりはマシだよな。他に雇ってくれるところなんてそうそうないだろうし、仕方ない」と思っているから。雇われるだけの生き方がすべてなのか?不安定な世の中だからこそ好きなように生きるべきじゃないのか?大切なものも、失うものもそう多くはないはずだ。思わされてるだけだ。殺されてたまるか。
ボ・ガンボスの「目が覚めた」という曲がある。「しばられるのは自分が悪い 自分が変われば世界が変わる 俺は目が覚めた 自分を変えろ 何回でも変えろ 大地震で」というところが気に入った歌詞だ。
結局は世界に憤ったところでドラマのように困った時にヒーローはやってこないから待ってるだけではいけない。まずは自分を変えなくてはいけない。黙っているのは見殺しにしているのと同じじゃないか。
・・・長くなりましたが、
「という自問自答の末、仕事を辞めて環境を変えることを結論とした」のでした。
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青臭くて頭でっかちな文章だ。だが、基本的には今も考えている事は変わらない。熊本に帰って、自分で食い扶持見つけようと藻掻いている。正直今も藻掻いている。まだ大きな結果は出せていない。食えていない。
でも、じゃあ昔に戻りたいかというとそうは思わない。あの頃よりも私は行動した。自分を変える為に。たいていは失敗したけど得たものもある。
こうして不特定多数に自分の文章を晒せるようになったのは、少しは自分を好きになれたからだと思う。6年前は自分に自信がなかったからSNSすらできなかった。文章を否定される事はイコール自分を否定される事だから怖い!と否定前提で自主規制をしていた。
なんで否定が前提なんだろ。それって自分で自分を否定してるってことじゃないか。自分を好きになりたいと願っているのに現実は自分を嫌って傷つけてばかりだった。気づいたとき、私は私に謝り、自分の行動へのリミッターを下げた。少しずつ挑戦ができるようになった。否定的で過干渉な親のような自分は、本来の自分のやりたい事を主張する子供の自分を見守る事にした。
マイナス思考でがんじがらめだった私は6年かけて色んな人と出会ってゆっくり思考のこんがらがった糸がほぐれてきたのを感じている。
今年は初めてコンテストに応募した。愛読しているWEBマガジンの連載権がもらえるコンテスト。昔なら何度も応募要項だけ読んで終わりだった。連載が始まったらこんな展開になったらいいなとイメージを膨らませてブログに書いたりもした。結果が出るまでの2か月間はとても長く感じた。
最近一次選考の結果発表があり、時間をかけて画面をスクロールしていったが、どこにも私の投稿名はなかった。それは合格発表の掲示板に自分の番号がなかった感覚に似ていた。けど、自分は一つステージに立ったという事を自分で褒めた。そうしないと私は前に進めないから。
ビビりながら、そんなんやっても無視されるだけだ、とどこかで声が聞こえても大概は自分の被害妄想だから、またステージに立って、立ち続けるしかない。そう思って今日もださい文章を書いている。