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佐藤相平「ゆれる」感想

「文芸くらはい」はシロート読者・春Qが文芸作品を読んでアレコレと感想を書く企画です。感想を書いていい作品は絶賛募集中。詳細はこちら


◆春Qの近況
 指から瞬間接着剤が取れません!

◇「ゆれる」あらすじ

 小学六年生の「僕」は、母と養護学校に通う兄と三人で暮らしている。兄は音楽を聴きながら体をゆらす癖がある。
 小学校に通いながら兄のケアや家事をする毎日だが、ある日同学年の岩佐から剣道部に勧誘される。「僕」は断ろうと思っていたのだが、剣道部への熱い思いを語られて言い出せなかった。
 翌日、集団での帰り道で「僕」は児童公園にいる兄を目撃する。事情を知る友達から兄のことをからかわれ、気まずい思いをする「僕」。
 その時、岩佐が「サムライタイムだ」と叫んで「僕」に突撃してきた。「僕」は走り出した岩佐を追いかける形で、その場を離れることができた。
 岩佐と別れたあと、「僕」は公園に兄を迎えにいく。帰宅後、兄はいつものように音楽を聴きながら体をゆらした。「僕」が一緒にゆれてみると、兄は笑った。


 本作は、ジュエリーメゾン「Mr. & Mrs. Abe」が開催したコンテストで、「プラナスミューメ特別賞」を授与されたとのことです! すごい。おめでとうございます🎊

 第1回では平面作品と文芸作品の2部門がありましたが、残念ながら第2回では文芸作品は募集していないそうです。でも大賞は素敵な指輪がもらえるみたいだ……!💍✨
 第2回〆切は来年2/28とのこと。『「梅」や「梅から連想されるコンセプト」』の平面作品が対象だそうですから、絵心のある方、写真が好きな方は参加してみてはいかが📸🖌️🎶

 ……そういう賞なんですけれど、第1回、第2回のテーマである「梅」については本記事では特に触れません。なぜかというと、ここで登場する花は必ずしも梅でなくても良いように感じたからです。

 まあまずリンクから作品を読んだ方にしか通じない話題ですから、先にどういった場面で梅の花が出てきたか紹介しますね。リンクをくっつけておくのでここから読んで把握してもいいです。

 公園に入ると、兄は砂場にいた。「健兄、帰ろう」と声をかけても来てくれない。兄を待ちながら周りを見ていると、不思議な梅が咲いていることに気づいた。紅、淡い紅色、白、いろいろな花が同じ木に咲いている。木につけられたプレートには「思いのまま」と書いてある。変な名前。

佐藤相平「ゆれる」

「思いのまま」はいわゆる、咲き分けをする品種の梅です。作中の描写の通り同じ木、同じ枝に色の違う花がつきます。名前の由来にはちょっと有名なエピソードがあって、園芸家が品種改良したけれど「思いのまま」に咲かせることはできなかった、梅にとっては「思いのまま」に咲いている、みたいに言われています。

 こういった花が登場する意図はわかるんです。ものすごく乱暴なまとめ方をするなら多様性の受容を表現するため、でしょう? 兄は障がいを持っていて意思疎通がかなり難しいけれど、「僕」と同じ枝から芽吹いた花なんだ、兄弟なんだ……そういうことを言葉で説明すると台無しなので、演出のために「思いのまま」を持ってくる。

 わかるけれど、読む側からするとちょっと唐突かな~と思う。冒頭に「世界に一つだけの花」が出てくるのが伏線と言えなくもないけれど、せっかく前日に岩佐と公園に行っていることだし、その際に(変な梅が咲いているな)くらいハッキリ登場させておいてもいいのでは? そのうえで兄と梅を隣り合わせて「僕」に何か感じさせたほうがエモいと思いました。(エモいとはまた乱暴な言い方・・・💦)

 ただ、短い文章の中ですでに「ラジオ」や「軍手」「剣道」といったキーワードが登場しています。アイテム数が足りてる感じもするんですよね。春Q目線だと、この梅のくだり自体が蛇足のように感じられてしまうのです。

「アイテム数が足りてる」ってどういうことかというと……うん、RPGを想像してもらうとわかりやすいでしょうか。初期装備は「ひのきの棒」や「布の服」じゃないですか? 村にある祠を探検するには、その装備で十分なんです。逆に祠に行くのが目的の序盤で「ミスリルアーマー」とか「アルテマウェポン」とか出て来たら数が多いように感じます。そんなふうに掌編には掌編に合うアイテム数があるんじゃないかと思いました。

 また、咲き分けをする品種は梅に限らず色々とあります。特に本編の季節は小学校の卒業式があることから、3月のはじめであると推察されます。「思いのまま」は遅咲きだからきっと咲いていると思うんですが・・・。
 うーん、一般の読者からすると卒業シーズン=桜のほうがわかりやすいから「梅!?」ってなる可能性はある。それに「花は桜木、人は武士」とか言いますから、岩佐のイメージにもピッタリ来ますね。いや、そもそも桜って咲き分けしないから悩ましいんですけど・・・。

 しかしね。ゴチャゴチャと書きましたが、本作はすでに『「梅」や「梅から連想されるコンセプト」』のコンテストで入賞した作品なのですから、春Qがとやかく書くほうが野暮でしょう。ゲームの例えにしても、「最初からミスリルアーマーが出てきたっていいじゃないか」という声もあるかもしれません。それはそれでよろしい。しかしながら、私は私の感想を書くしかないので……❕本記事では梅を特別なキーワードとして扱いませんでした🎮✨

 じゃーテーマ度外視して何の話をするのかと思うでしょう。
 岩佐の話をします。

◇ここからはサムライタイムだ

 何を隠そう、春Qは岩佐のような快男児がダイスキなのです。あの……最近、岩波文庫で吉野源三郎作『君たちはどう生きるか』を読んだんですが、あれに出てくる北見くんという男の子に近いものを感じました。岩佐を良いキャラだと思った方は、ぜひお読みになってください。

 まあ、こういう破天荒な少年キャラクター自体はそう珍しくないのです。というより物語というのは岩佐みたいな子が出てこないと話が前に進まないまである。横山三国志だって、話に緩急を付けているのは張飛ですからね。

 しかし岩佐は……「僕」の背負った暗闇を体当たりでぶっ飛ばしていく爽快感があって良かったです。

 皆さんは、昔Xで話題になったこのポストをご存じでしょうか。

https://x.com/zororizz/status/1380702241770774529

「ここからはサムライタイムだ」という大声が聞えた。岩佐だった。僕に駆け寄ってきて、右腕を刀のようにして腹を斬りつけてきた。僕はやられるフリをしながら、意味わからんし、完全に一、二年生のノリだぞと不安になった。予想通り、岩佐が「ふう」と満足そうに息を吐いた後、みんな固まってしまった。岩佐は気にせず「悔しかったら反撃してみろ」と叫び、走り出した。僕も腹を押さえながら追いかけることにした。後ろからは誰も来ない。

佐藤相平「ゆれる」

「サムライタイム」ときた時、春Qはこのしおりのことを思い出しました。まあおならで全部解決するあたり全然違うんですけど、『かいけつゾロリ』の元ネタは皆さんご存じ『怪傑ゾロ』ですからね。強きを挫き弱きを助ける侠客です。

 本作では「物語はこれでおしまいです」にならず、現実的に兄を迎えに行き、家で共に過ごすまでが描かれます。しかし、このお話をヤングケアラーの苦しみ、俗に「きょうだい児」と呼ばれる障がい者家族の悲哀を描いた作品で終わらせなかったのは、岩佐というキャラクターです。

 もちろん、このサムライタイムには賛否両論あることでしょう。ある種のデウスエクスマキナ感がありますから。強引すぎるとか、都合が良すぎるとか、真面目に読む読者ほどそう思う可能性は高いのです。なにしろ岩佐が「僕」を助けに入る理由が「武士やサムライにあこがれて剣道やってる」以外に開示されてないのでね。これが「人を助けるヒーローに憧れてる」だったらわかりやすかったんです。でも武士やサムライの行動理念って一般に画一化されてないじゃないですか。

 うーん、少年マンガだったら「僕」がお礼を言う前に「どうして助けてくれたの」って聞いて、「誰かを助けるのに理由がいるかい?」とか岩佐がキメ顔をするコマが入る、そういう演出によって読者にテーマを訴えかけたりするんだろうな。
本作は少年マンガじゃないし岩佐はそんな言い方しませんが。

 さておき、春Qは「サムライタイム」のような強引な救いってけっこう大事だと思うのです。短編を短編としてまとめるためにも必要っていうのもある。だけどそれ以上に小学生らしからぬ日々の苦労を背負った「僕」は、これくらい強気な助け舟を出されてしかるべきだ、って春Qのような素人読者は思っちゃうのです。

 本当に、「僕」は偉いですよ。
 兄に対して一度も悪感情を持たないのですから。

 曲が終わった瞬間に兄はゆれるのを止め、「戻して」と言った。僕がラジカセを操作して、また「世界に一つだけの花」がはじまると、兄はさっきよりも大きく左右にゆれはじめた。兄は自分でラジカセを操作できるけれど、僕がいる時は絶対に僕に操作をやらせる。それに、古いラジカセでCDを使って聞くことにこだわっている。

佐藤相平「ゆれる」

これ、自分で操作できるものをやらされるって一般的には頭にくると思うんですよ。しかし「僕」はこれが当たり前だと思っているし、ヤダって言ったところで手間が増えるだけだしで受け入れている。
 春Qも障がい介護の経験がありますが、仕事なので金をもらっていました。金をもらえるわけでもない、好きで弟に生まれたわけでもない小学六年生の「僕」がケアに従事している様子には胸を打たれるものがある。と同時に、小説としては「なんで僕だけ……」って描写が多少あったほうが共感しやすいかなぁと思いました。あるいは第三者のキャラに「辛くないの?」って聞かせて、「僕」の心情を語らせるとかね。

 岡田に「アレって、榛葉のアニキだろ」と言われて「なんで今、この公園にいるんだよ」と感じるシーンはあります。ただこの時も「僕」は兄に苛立っているというより、みんなと一緒にいる時に兄と出くわしてしまった、その巡り合わせにストレスを感じているように見える。

 障がい者の兄弟を持つって本当に大変なのですよね。外向けの交流を自分が引き受けないといけないし、親が亡くなった時にケアを一手に引き受けなければならなくなる。誰が悪いのか? 誰も悪くない。それでも、誰かが責任を引き受けなければならない。本当は責任も苦労も地域や社会で分担されるべきなんだけど、そうはならず、肉親ばかりが負担を引き受けているのが今の自己責任社会の実情です。

 ……と、悪い面だけ書くと「僕」の未来があまりに暗いと思われがちだが、必ずしもそうではない。兄弟の有無、障がいの有無と、人生が幸福であることは本質的には別の問題だからです。どんな環境下にある人だって自身の幸福を追求してしかるべきだし、本来、個人の幸福追求の妨げとなる社会の瑕疵のほうを『障害』というんです。この障がい福祉の考え方は、現実社会であまりにも浸透していないんですけれども……!

 そのあたりのことは岩佐もあんまりわかっていないのかもしれない。しかし彼は、「僕」にとってまったくの第三者として「僕」に剣道部という可能性を示してくれました。

 その後は、サムライと武士、どっちの呼び方がカッコイイかという話で、岩佐が一人で盛り上がっていた。僕はそれを聞き流しながら、剣道をする自分を想像していた。

佐藤相平「ゆれる」

 今後、中学に入って「僕」の自我が確立したら、ヤングケアラーの重荷に耐えられなくなる日が来るのかもしれない。しかし進学先には岩佐がおり、剣道部があります。没頭できる時間を持つのは大事なことです。「サムライタイム」はもしかしたら「僕」にとって生涯の救いになるかもしれないですね……!

◇過去作について

 本作と関連して、作者の佐藤相平さんの過去作について触れておきます。

 佐藤さんはBFC5参加者の方で、春Qも過去に感想を書いておりました。当時の記事を読み返してみると、こんなふうに書いている。

 とにかく心情描写が上手で、センター試験の国語に出てきそうだと思った。ここでコレ言うの頭おかしいと思われそうだけど一般寄り児童系が向いてそう。いやっ、たまに児童書を下に見るひとがいますが、児童書はガチの文芸ですから。性の萌芽を迎えつつあるティーンはこういう性愛に惹かれると思います。(個人的な見解すぎるゥ!)

春Qの過去感想

「一般寄り児童系」「児童書」が向いている。手前味噌で恐縮ですが、春Qってなかなか先見の明があるんじゃないか……!?と思いました。「ゆれる」の主人公は小学六年生、内容は子供の目線で描かれています。完全に子供目線かっていうと「僕」が大人びているように感じますが、まあジャンルとしては同じといっていいでしょう。

 当然のことながら、このように見事な賞を勝ち得たのは佐藤相平さんの努力と才能の賜物です。しかし春Qは自分の勘が当たったようで嬉しかったですよ! あらためておめでとうございます。🎉🎂✨

 あとは何も言うことはありません。が、めでたいついでに差し出口が許されるなら、今度はもう少し長く、中高生を主人公にして書いたらいいと思います。気のせいだったら申し訳ないが、力を入れて書きたいテーマが他にあるように感じるんですよね。

 主人公の年齢設定については、身近にモデルにできるようなガチの小学生がいるなら継続して小学生を書くで良いと思います。ただ、中高生主人公のほうが納得感のある物語に仕上がりそうな気が――少なくとも春Qは――するんですが、これを読んでいるみなさんはいかが思われますか?


次回の更新は12/27の予定です。
見出し画像デザイン:MEME


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