三才の金魚が 水から飛び出して 死んでいた
朝起きると、三才の金魚が水から飛び出して死んでいた。
仮にもし、自由を求めて外に飛び出したとして、金魚は納得できたのだろうか。水の中ならエサももらえ、そこそこ快適な環境だったはず。
「もっと良いところへ」と飛び出した結果、「こんなはずじゃなかった」と死んでしまった。
蟻が、金魚を食べ始めていた。
小学生の金魚博士
私は小学生の頃から金魚が好きで、飼育だけでなく、産卵にも手を出していた。
金魚を長生きさせるには、彼らのことを勉強するしかない。私は名古屋北図書館と東図書館に自転車で通い、置いてある金魚の本はすべて読み、何度も読み返した。学校では「金魚博士」と呼ばれたこともある。
家の近所のオズモールにあった早川金魚店にしばしば寄っては、水槽を眺めていた。
私は「日本一のらんちゅうを育てるんだ」と意気込んでいて、本で学んだ知識を店主のおじさんにぶつけ、実際に使えるかどうかをよく尋ねていた。おじさんも親身になっていろいろと教えてくれた。有り難い話である。
金魚と地球環境
フルーツの食べられない息子も連れて、岡崎のぶどう狩りへ行ったことがある。出店もいくつかあって、そこで息子が救った命が、冒頭の自ら飛び出してしまった金魚である。
金魚すくいの金魚は、大魚のエサにもされるし、雑魚に近い。しかしせっかくの縁である。元・金魚博士として面倒を見てやろうと思った。『ポニョ』と娘が名づけた。
金魚の活動より水草の働きが大きい場合、水はあまり汚れない。これは文系の私でもわかるが、ある日、驚くべき発見をした。水が汚いと水草の育ちは良くなり、逆に水が綺麗だと、水草の育ちは悪くなるのだ。また、増えすぎた水草を間引くと、残った部分が勢いよく育ち始め、何日か経つと元に戻り、そしてまた成長がにぶる。もし地球もこれと同じなら、森林を伐採(ばっさい)しても、また必要な分だけ勢いよく育つことになる。
環境保護とは、一体何を守っているのか。
金魚も無常
ポニョの死骸は、排水溝にあった。水は無く、干からびていた。
その変わり果てた姿を見て、私はぎょっとしてしまった。そして蟻のたかる異形の物体の尻尾をつまみ、草むらに置いた。しばらく亡骸を見つめながら、三年間の思い出を振り返った。自分の中にあるポニョの魂を、その干からびた身体に投映した。
すると、愛情がよみがえった。忌み嫌うことなく、手の平で優しく包み込むことができた。庭の畑に埋めてやろうと穴を掘ると、ミミズもいた。
私はポニョを蟻ごと土に埋め、今その蟻の何匹かを殺生した手で、合掌した。ポニョはやがて分解され、養分になり、畑の肥しになる。その畑で取れたミニトマトを、私は食べる。「そのお命、いただきます」という気持ちだ。
実はもう一匹、「プニョ」という金魚が生き残っている。この子も最後まで面倒みよう。ところで、話を台無しにするようで恐縮だが、君は本当にプニョなのかな。ほとんど同じに見えるから。言い切れる自信はない。
明るく生こまい
佐藤嘉洋