排水溝から生まれた人

 私は排水溝から生まれました。
 例えば私を生んだ母親が風呂場に私を置いたまま逃げたなどという悲惨な生い立ちを自嘲してそのように比喩している、なんてことではありません。
 事実として、排水溝から私は生まれました。
 いうなれば私の母親は排水溝に絡まった長い女の人の髪の毛といえるでしょう。その場合、父親は水垢になるのでしょうか。
 私が生まれたのは、ごく普通の少しずぼらなOLが住んでいた家の排水溝です。母親の腹から生物学上”正しく”生まれた子供と違って、私は生まれたその時から自我があり、思考し、自分の足で立って歩くことができました。
 最低限の衣服をOLの家のウォークインクローゼットから持ち出して身に着け、私は外の世界に出ました。
 その後警察に保護され、孤児院に入ることになります。

 そうして私は立派な大人になりました。
 大好きな恋人ができて毎日楽しく過ごしています。父親や母親が恋しいと思ったことはありません。髪の毛や水垢をみて感慨に浸ることもありません。
 ごく普通に人間の腹から生まれた人間たちが親とけんかしただの、父の日や母の日だので大騒ぎしているのを見ると不思議な気持ちになるとともに、大変だなぁと素直に思います。自分自身以外に、自分という存在の所属先があること。
 金のつながりがある会社。心のつながりがある恋人。
 それらより、一般的にさらに強いとされる血のつながり。
 わずらわしさしかないと私には思えてならないけれど、私の恋人は家族を大切にしていますから、彼の大切なものは私も大切にしようと思います。

 ところが最近少しだけ困ったことがあるのです。
 結婚する前に、彼が私の両親に会いたいと言うのです。
「排水溝に挨拶もなにもないよ」
 そういったのですが、彼は一目会うだけでいいから、と言ってききません。
 正直どこの排水溝だったかも忘れてしまったし誰の髪の毛とどの水垢から自分が生まれたかなんて覚えているはずもありません。でもこんなことを言ったら冷たいやつだと思われて嫌われるかな。でも、彼はそんなことで人を嫌いになるような人間じゃないか。
 そんなふうに悩みながら、今日も私は彼とおそろいのパジャマを着て、彼の隣にもぐりこむのでした。

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