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19. 管理職を経験したからわかったことⅣ〜部下の好き嫌いと評価


好き嫌いの根深さ

看護師長になって、新たに行うようになった特筆すべき業務は、勤務表作成と部下の人事考課でした。今回はその人事考課に関連した話しをしますが、その際常に意識したこととして、部下に対する好き嫌いの問題があります。

まずはその好き嫌いそのものの話しから聞いてください。

看護師になって3年目頃から、私はそれまで気づかなかったさまざまなことに、目が向くようになりました。業務遂行に必死だった段階をどうにか過ぎ、多少は余裕が出たからだと思います。

正直に言うと、目が向いたさまざまなことの多くは、ネガティブな内容。<「患者さんから学ぶ」と言うけど、ヘンすぎる人もいるよな>とか、<「家族とともに患者さんを支える」と言うけど、財産にしか関心がない家族もいるよな>とか…………。

一時はかなり深刻なリアリティ・ショックの状況になりましたが、嘆きを聞いてくれる先輩などの存在が支えとなり、どうにか乗り越えることができました。

さらに時間が経ち行き着いたのは、患者さんに対する感じ方そのものが、自分の好き嫌いに関わっている、という事実です。

平たく言えば、患者さんに対しても、好き嫌いの感情があるんですよね。この事実に気づいた瞬間、ものすごくやましい気持ちになったのが忘れられません。

そして、嫌な部分を見たから嫌いになる、という方向性もあれば、そもそも嫌いだから嫌な部分が見えてしまう、という方向性もあり……。

いろいろな経験と思考を重ねれば重ねるほどに、人の好き嫌いの根深さを痛感しつつ、今に至っています。

好き嫌いはどうケアに影響するか

患者さんへの好き嫌いに気づいて以降、私はそれをなるべく出さないように気をつけるようになりました。

具体的には、好き嫌いであの人にはよくする、あの人には近づかない、というような差を付けてしまわないようにする。そのため、かなり努力はしてきたつもりです。

それでも、やはりどうしようもない部分は残ります。好きな患者さんにはすっと手が出るのに対し、嫌いな人には、なかなかそうできません。

最終的には、同等のケアをするにしても、自分に言い聞かせ、何かを飲み込んでからでないと、手が出ない。今でも、そんなタイムラグを自覚しては、自分の小ささ、ダメさを思い知っています。

今のところの結論として、私は、患者さんへの好き嫌いがケアに与える影響は否定できません。これを認めた上で、好きな人へのケアが自然に花丸になるのは是とし、嫌いな人へのケアが及第点を割らないようにする。これが私の目標です。

この時、オムツを替える、食事介助をする、といった具体的な援助行為があれば、及第点を割らないのは比較的簡単。まずは患者さんの生理的欲求を、なるべくエレガントに満たせばいいわけです。

ところが、精神科看護では、日常生活援助が自立している人も多く、具体的な援助行為がほとんどない場合もあります。こうなると、患者さんとの接触そのものがケアに占める割合が極めて大きく、嫌いな患者さんに対しても、感じよく接触できる。そうした工夫が必要になってきます。

会話と書かず接触、と書いたのは、言語的な関わりに限らないからです。視線の向け方、近寄り方。精神科看護においては、患者さんにどう接触するかが、看護技術そのものと言っていいでしょう。

だからこそ、患者さんに近づく時は、嫌い、という陰性感情はなるべく抑制したいのですが、これがなかなか……。嫌いな患者さんのオムツを替えるより、笑顔を向ける方がはるかに難しいんですよね。

好き嫌いは管理職になっても変わらないが……

管理職になったからと言って、人の好き嫌いについての根本が変わるわけはありません。ただ、管理職になると、患者さんとの関係が大きく変わります。

具体的には、まず、直接的なケアに入る機会が減って、患者さんとの距離が離れてくる。距離があれば、嫌いな人とも、「嫌い」を意識せずにやり過ごせるようになります。

次に、患者さんの多くは、管理者に気を遣います。役職がない時には、思い切り威張っていた患者さんに限って、管理職にはやたらへりくだったりして。これはこれで嫌な人だと思うのですが、直接威張り散らされるのに比べれば、やっぱり気は楽なんですよ。

管理職になってから、こうした変化を感じるに付けても、看護師が傷つけられるような患者さんについては、なるべく自分が関わるようにしなくちゃな、と思っていましたが。はてさて、それがきちんとできていたかどうか。振り返ると、至らなかったところばかりが思い出されます。

そして、役職なしの看護師として働く今は、患者さんとの距離は近く、無慈悲に威張られたりしています。それでも、さすがに若い頃のようには強い感情は沸かなくなった。これは、いい意味でも悪い意味でも、衝動的な熱が冷めてきているのでしょう。

また、「嫌い」を認めた上で、身体的にも精神的にも距離を置く心理的調整ができるようになったのも、大きいと思います。

それでも、やはり嫌いな人は嫌い。衝動性が減弱し、かつ距離の取り方がうまくなっても、やっぱり嫌い。この事実は、認めざるを得ません。

好き嫌いはある。だからそのことを自覚して、仕事に出さないようにしよう。これが今に至るまでの、私の基本的な姿勢です。

中でも管理職という立場は、部下の評価を行う立場。そこに好き嫌いが絡まぬよう、特に注意していました。

評価は説明可能性を重視する

私が看護師長を務めていた当時、人事考課という評価の仕組みがあり、これによって賞与の額と昇給・昇格が決まりました。

形としては、いくつかの項目について評価していくと、その合計で総合評価が決まる仕組み。ただし、その評価項目は実に大まかな内容で、当然管理者自身の判断が中心になります。

私は、部下からその評価の理由を聞かれた時、説明ができるような評価を行おうと心がけ、自分の好き嫌いが出ないよう気をつけていました。

人に説明するためには、まず、自分自身に説明ができなければなりません。そのためには論理的に考えねばならず、結果的に、好き嫌いという感情がかなり薄められたと思います。

具体的には、自分自身の中で、評価の基準を明確にする。これがとても有効でした。

まず、賞与に関連する評価については、年間を通してサービス残業をたくさんしている人が、高くなるように評価をしました。

私が勤務する病院には、多くの委員会があり、病棟ごとに委員を出し、さまざまな活動を行っていました。さらに、委員会に対応する形で各病棟の係もあり、患者さんへの看護業務以外に、組織維持のために取り組む業務もたくさんあったのです。

そしてこうした仕事は、自己研鑽という名のもとに、超過勤務を取りにくい組織の体質がありました。私は労働倫理に照らしてとても問題だと思いましたが、改善するにはあまりにも力不足。姑息なやり方かと思いつつ、賞与をその穴埋めに使ったのです。

それでも、この評価基準は、評価される側にとって、まあまあ納得性が高かった印象です。「教育委員会でかなりの持ち帰り残業もあっただろうし、その労力を評価する」という評価は、本人はもちろん、周囲も目で見てわかります。

賞与の評価は、その後の昇給・昇進に関わる評価とは別立てだったので、仕組みとしては、やりやすかったですね。

昇進の最後の一押しは好き嫌い

昇進については、自分の昇進も含め、当時明確な基準はありませんでした。先輩たちの言葉で印象に残っているのは、以下の2つです。

「これまでに昇進した人を見てると、組織って見ているようで見てないと思うんだけど、見てないようで見ているなあとも思う」

「昇進は、最後は好き嫌いだからね」

これまで看護師として働いてきた37年間を振り返っても、この言葉はいずれも的を射ていると言えるでしょう。

確かに、誰を昇格させるか決める、最後の一押しは、「好き嫌い」。これは本当にそうだと思います。多分、いくら基準が決まっていても、複数候補が残ったら、最後は「好き嫌い」が効いてくるのではないでしょうか。

私自身、看護師長に昇格した時、私を強く引き上げてくれたのは、とても気の合う看護部長でした。彼女は私が納得いかないこともたくさん頼んできたのですが、その時の殺し文句は「いやいやでいいから、お願いね」。

「いやいやでいいならやりますよ」と応じると、嬉しそうに笑って、去っていくのでした。

お互いダメなところ、合わないところだってたくさんあるわけですが、「いやいやでいいから」と命令し、心の中まで支配しようとしない上司と、納得しなくていいなら、割り切ってやりますよ、という部下は、いい相性だったんだと思います。

あの人に言われなければ、私は管理職にならなかった。思いがけない道ではあったけれども、この道に来なければ見られなかったものが見られ、後悔はありません。

好きな人ほど慎重に

では、こうして管理職になった私は、部下をどう昇進させたかというと、はっきり言って、嫌いな人は昇格させませんでした。なぜかといえば、嫌いには嫌いになるだけの理由があり、それは好きになる理由以上に、価値観に深く関わっています。

ですから、嫌いな人を昇格させないというのは、今振り返っても、単なる感情ではないと言いきれるし、あまり悩みませんでした。

むしろ慎重に考えたのは、好きな部下について。好きという理由だけで評価が甘くならぬよう、かなり気をつけました。

看護師長として働いた7年間で、主任への昇進を推薦したのは、2名。いずれも主任を経て看護師長になり、副看護部長を務めている人もいます。

2人を残して退職してしまった身としては、2人が今も病院に残り、管理職として活躍していることは、申し訳ないと思いつつ、本当に嬉しくもあるのです。

管理者を経験してわかったのは、組織が個人に報いる手段は、とどのつまり、昇進か昇給くらいしかありません。そして、昇進には運もあり、空席がなければ、不可能なんですよね。

望んだ昇格ではなかったとしても、チャンスを得たら、がんばってほしい。それが今の私の気持ちです。

中島義道さんの「ひとを<嫌う>ということ」(角川文庫、2003年)名著です。
https://bookmeter.com/books/558548
よろしければ是非。

中島義道さんとの対談記事。『ナーシング・トゥデイ』誌2006年11月号です。よろしければご覧ください。写真が若くて恥ずかしい(笑)。43歳の看護師長、宮子が写っています。

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