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16. 管理職を経験したからわかったことⅠ〜看護師長最終日・2つのサヨナラ


昇格の意味

今の病院での勤務も、丸15年を超えました。週に3日働く非常勤の看護師なので、契約は1年ごと。いわゆる永年勤続の表彰などは、全く無縁と思っていました。

ところが最近事務から、勤続15年の表彰に該当するとの連絡があり、もう感無量。表彰って、自ら求める気持ちはなくとも、いただければ嬉しく、ありがたいもの。そんなふうに受け止めました。

振り返ると、管理職への昇格も、今の気持ちに似ています。強く求めはしなかったけれども、昇格させてもらったことには感謝する。そんな感じなのですよね。

昇格は、空席とのタイミングもありますし、必ずしも実力を反映しているとは限りません。

私は2001年10月1日に主任看護師から看護師長に昇格したのですが、私の目から見ると、私より年長で、明らかに適任だった人は複数いました。

しかし、当時は年功序列から成果主義へと人事制度が変化していく時期。年功序列的な人事が忌避され、若い人が選ばれる傾向にあるように見えました。

また、管理職への研修も義務付けられつつあり、どうせ教育に時間をかけるなら、先の長い人をあげていこう。そんな経営サイドの考えがあったのは、想像に難くありません。

当時38歳の私が昇格の対象になったのは、このような背景があったように思えます。

昇格には、偶然の要素も大きいから、奢ってはいけない。この気持ちは、管理職として最後の日を迎えた2009年3月31日まで、忘れることはありませんでした。

今回から何回かにわたって、管理職だからこそ自分ができたことについて、改めて振り返っていきます。

初回の今日は、いよいよ退職する日に起きた象徴的な出来事・2つのサヨナラについてお話ししましょう。

ご意見箱にサヨナラ

まずは、今だから話せる、ご意見箱の話から。

当時病院内にはいくつものご意見箱が置かれ、誰でも自由に投書ができたのです。

管理は事務部門。投書はいったん院長レベルまで上がり、その後該当する部署に直接降りてくる仕組みでした。

管理職は、投書を見る機会が多く、内容は苦情、お叱りからお褒めの言葉まで、実に様々でした。苦情がメインと思いきや、意外にお褒めの言葉が多かったのが記憶に残っています。これは本当に励みになりました。

ご意見箱は看護師長が定期的に開け、投書があれば事務部門の担当者に提出します。私が勤務していた精神科病棟では、ほとんど入らなかったのですが、ある時期、強い攻撃性を持つパーソナリティの患者さんが、特定の看護師を攻撃する投書を続けたのです。

その内容は看護師個人への誹謗中傷が中心。容貌、見た目から察せられる育ちなど、あまりにも不当であり、見るに堪えない内容でした。

そして、攻撃の対象は、日によって異なります。これはもう、ご意見箱という制度を武器化している……。そう思わざるを得ませんでした。

主治医とも相談の上、私はそのご意見はご意見箱の中に留め置くと決めました。患者本人から何か言われたら、その時はきちんと対応する。その覚悟でいたものの、結局その日は来ないまま、退院の日を迎えました。

そして、いよいよ勤務最終日。私が残した投書は、私がけりをつけなければなりません。

少し考えた末、私はご意見箱を開け、新たな投書がないのを確認しました。そしておもむろに、その不愉快な投書数枚を、シュレッダーへ。

ことが済んだ後、主任には、こっそりこう耳打ちしました。

「罵詈雑言の投書は、シュレッダーにかけました。まずないと思うけど、何かその件について苦情があったら、全て宮子が管理していたので、何もわからないと言ってください」。

あの時のすっきりした気持ちは今も忘れられません。

苦情電話にサヨナラ

もう一つは、苦情電話の話です。

最後の昼休みを終え、ナースステーションに戻ると、持っていた院内PHSが鳴りました。代表番号の電話交換手が告げた名前は、全く聞き覚えのない名前。取り次いでもらうと、聞きなれない声が、いきなり怒った口調で捲し立ててきます。

「宮子さん、この病院の師長さんですよね。本も書いているでしょう、あなた。この病院がどんなにひどいことをしているか、わかっていますか?私は以前この病院で……」

以下、差し障りのない範囲で要約します。

信頼する医学に詳しい知人の紹介で、この病院のある医師に治療を受けたが、良くならない。それどころか、むしろ治療前より症状は悪化した。

 何度も症状を訴えたところ、他の専門医にかかるよう、紹介状を書かれた。まるで厄介払いではないかと、不信感を抱いている。

専門医に受診したが、すっきり治るとは言ってもらえない。病院は遠いし、待たされるしで、受診は続かなかった。

やむを得ずこの病院に戻って治療を受けているが、全く良くならない。こんないいかげんな病院に勤めていて、本を書くなんて、おかしいと思う。

ここまで聞いて、私ははたと思い当たりました。この電話の主は、看護師長の間で以前話題になった患者さん。一度電話を受けると1時間はつかまり、苦情を聞かされた職員は数知れません。

いや、最後の最後におはちが回ってくるとは……。心の中で思わず苦笑してしまいました。

同情を超える攻撃

電話でいくら治療経過を聞いても、私には、手落ちがあるとは思えません。

慢性病の患者さんの中には、すっきり治らないことにいら立ち、医療者に当たり散らす人もいます。ご本人は不本意だと思いつつ、その範疇の話として受け止めていました。

苦痛は軽視できない。けれども、その苦痛を取り去ると請け負うことは、誰もできないように思えたのです。

同じ話が三巡目に入ろうとするところで、私は話を切ることにしました。何度も同じ話をする人は、何度話してもなかなか満足はしないもの。二巡目を聞き終えたとき、すでに電話は40分を超えていました。

「ご事情はわかりました。今もお辛いのはお察しします。苦痛をとって差し上げられないのは申し訳ないのですが、治療経過をうかがい、おそらく、最善の手は尽くしているように思いました。ですから、そこまでこの病院が信頼できない、とお感じなのでしたら、別の病院にかかられるのも、妥当な選択だと思います。以前ご紹介した所はよくなかったようですので、再度別のところを紹介してもらうのも、手ではないでしょうか」

私の返答に満足しないその人は、今度は私自身を責めて来ました。こんな病院をよく書いている私が許せない、というのです。ほとんど悪態というほかない言動が続き、私にとって、その人への同情を超える攻撃に思えました。

私はしばらく言わせた後、こう言って電話を切りました。

「そのように感じている読者の方がいる、という事実は受け止めます。ただ、私は今日でこの病院を退職いたします。医療の質の問題ではなく、一身上の都合です。2度とこの病院の職員として、何かを発表する機会はありません。それではこの辺で失礼いたします」

電話はゆうに1時間を超えていました。ああ、別れを惜しむ時間がこんなことに奪われて。そう思う一方で、こんな最後もまた自分らしいようにも思えもした。

どんな目に遭うかなんて、誰にも選べない。この仕事はいつもそうです。

理不尽なことへの対処

ご意見箱にせよ、苦情電話にせよ、すっきりサヨナラできたのは、私が退職したからこそ。もしあの日が最後の出勤でなければ……と思うと、正直げんなりしてしまいます。

まず、部下への罵詈雑言が綴られた投書。あれは、一体どうしていたのでしょう。勢いでシュレッダーにかけたのも、自分が退職するからこそ。異動で離れるだけなら、あそこまでできたかはわかりません。

また、苦情電話に至っては、翌日以降も私をターゲットにかけ続けてきた可能性もあります。ビシッと切れたのは、辞めるその日だったから。そうでなければ、言いたいことも言えず、ものすごく辛かったと思うのです。

最近は、カスタマー・ハラスメントという言葉もあり、顧客からの過度なクレームや嫌がらせが社会問題化しています。医療・看護の世界では、医療側が患者さんに対して強者であるという問題が未だある一方で、過度なクレームに苦しめられる医療者も存在します。

おそらくこのような複雑さは、教育、福祉など、さまざまな分野でも起きているのでしょう。弱者と強者は厳然と権力勾配が存在する一方で、一見弱者と強者が逆転するように見える局面もあります。

管理職という立場になると、こうした複雑な局面に、進んで出ていかなければなりません。それというのも、役職者は、それがない部下に比べれば、役職という盾に守られており、部下が矢面に立つよりは、傷つかないと考えたからです。

退職によって、自分の中で終わったり、薄らいだりした出来事もたくさんあります。その一方で、ふとした時に、あれでよかったのかと思い返すこともあって。

看護師長として働いた7年間は、私にとっては特別な期間だったのは間違いありません。

そして、最終日を終えた翌日。私は役職なしの非常勤看護師として、今の病院に勤務しました。勤務表の位置は、一番上から一番下へ。1日にして大きく役割は変わったのです。

この変化から見えたのは、どんな働き方であれ、臨床で働くのは楽しいということ。そして、管理職を降りたからこそわかった、管理職という仕事の意味でした。

次回以降は、後者について書いていこうと思います。


もふこひなたぼっこちう。
働き出して間もなく猫と暮らし始め、傍らにはいつもサビ柄の猫がいました。もふこは三代目。なにがあっても、猫の顔を見ると気持ちが和みます。
No life, no cat.

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