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【3】カツ丼とおかんと警察官
おかんが逮捕されたという話では無いとだけ先にお伝えしておきます。笑
私はカツ丼が好きだ。
あれは最早王者の食い物。
好みとしては卵は半熟トロトロが良い。白身には透明では無い程に火が通っていてほしいがトロっと感を残す塩梅で。衣につゆがよく染みていて、ご飯につゆと卵が程良く絡んで、豚肉は肉厚でお願いします。三つ葉が乗ってるとなお良し。
いつから好きなのか?
初めて食べたのはいつか?と思い出してみる。
私の家は、思い返せば夜逃げを3,4回していた程の貧乏だった。
電気ガス電話はまず基本停まる。停まるのが、基本。
繋がったと思った矢先に停まる。
思い出す光景がある。
電気を停めに来た電力会社の人がチャイムを鳴らす。
一人で親の帰りを待つ小さな子供がそのチャイムを荷物がいっぱいで手が離せない親が鳴らしたのだと想像して玄関を開ける。
『あっ…お母さんかお父さん、いる?』
「…お母さんはお出掛けしてる。お父さんは、いない」
『そう…。あのね、電気を停めなきゃいけないから、ごめんね』
「…うん。」
もはやお互いがセンチメンタルな気分に包まれる瞬間が爆誕する。
電力会社の人が私を見るあの同情した悲しみの視線。
悪い人じゃないのに私を淋しい気持ちにさせる来てほしくない大人。
パツン。と何かが弾けた様な音を鳴らして家中の電気が止まった時のあの静けさ。
日が暮れると真っ暗になってゆく部屋。冬場なら寒くて余計に不安と淋しさに包まれる。
帰って来て電気が停まっている事に気付いた母は、驚くでも謝るでもなく
『わ~!真っ暗☆』と笑いながらロウソクに火を灯す。
いくら私が昭和生まれでも、これは異常です。この時代にはもう電気の代わりにロウソクを灯す事なんて一般的な家庭には無い事です。
電気が停まって真っ暗な家で子供が不安に包まれ過ごしていたのを見て、笑いながらロウソクつける様な親に私はなりたくない。
何故そんなに貧乏だったか。
こちら↓にも少し書きましたが
私の母はとんでもパチンカス野郎だった。
借金してでもパチンコするレベルの、ギャンブル依存症。
子供の飯よりパチンコ。子供の参観日よりパチンコ。子供の入学手続きをするよりパチンコ。そんな人だった。
常に生活費に手を出す。というより、最早パチンコをする為に仕事をしていた。
でもパチンコで勝つと仕事を休み出すし、調子に乗って仕事を休んだ分の給料は勿論無いまま、毎日行くのでその内負ける。
途端に金が無くなる。そうなると何かの支払いの為に私を病気にしたり、私をダシに使ったあらゆる嘘をついて誰かから金を借りる。
そしてこの日に返すとの約束で金を貸した人から、返済日過ぎてるんだけどいつになるの!?という電話が掛かってくる。
当時は電話と言えば公衆電話か家電。
私が電話に出ると『お母さん居る?』『帰ったら〇〇さんに電話してと伝えてね』と伝言を頼まれる。
私は絶対に忘れず伝えたが、母が電話を掛け直してる所を見た事は無い。
なんなら『え~?電話くれたの?聞いてないわ~!こら!ちゃんと言わなきゃダメでしょ!』と相手の前で私が伝え忘れたと嘘をつく。
段々催促の電話が煩わしくなった母は、その内支払いをしないまま家電は解約される事となった。
その後母の力で家電が取り付けられる事は二度となかった。携帯も無いあの時代に。
こんなものはまだまだ全然序の口。
そしてこれが私のただただ当たり前で、日常だったのです。
この生活の中で、カツ丼など出てくると思えないでしょう?
出てこないよ。
まず私の幼少期には家で飯なんか殆ど作らん人だった。
家でよく出るご飯と言えば、インスタントラーメンか卵掛けご飯か吉野家の牛丼。それかコンビニ弁当。
男が家に来る時だけ朝ご飯なるものが出てくる。味噌汁、焼き魚、玉子焼き。普段見る事の無いものたち。
一番最初に朝ご飯が出されて感動してすごーい!!と喜んだ時、母は『しっ!黙って食べなさい!お行儀悪いよ!』と私を叱った。
当時の私は何故怒られたのかは分からなかったけど、あの時の母の形相。そして美味しそうな朝ご飯で嬉しかった事はしっかりと覚えている。
今思えば分かる。
出来る女に見せたかったのだ。
男の前で、自分をいい女に見せたかった。
だから普段朝ご飯を作らない事など、見抜かれてはならないのだ。
そんな嘘なんてすぐにボロが出るのに。
夜ご飯が豪勢にならなかったのは、私を留守番させたまま男と二人で外食して、私には吉野家等を買ってきてたからです。
子供を放置して自分達は外でおいしい物を食べて、子供に吉野家だけ与えて済ませる人間の時点で、ボロが出るとかどうとかの前に
男女共に人としての何かがアレでソレな大人達だったんだろう。
当時の私はそんな事は分からなかったけれど。
なので幼少期に家のご飯でカツ丼など食べた事はありません。
じゃあいつ食べたのか。
今書いていた話の時期が、大体6歳~10歳頃の話だ。
私はそれ以前に、かつ丼を食べているのである。
【2】でも書いたけれど、私は小学生の歳の頃よりも前からパチンコ屋に連れて行かれる日々だった。
ある日いつもとは違うパチンコ屋へと連れて行かれた。
周りに何があるのかも分からない。
暇を持て余した私は大きな駐車場のポールの鎖をいじりながら、一人でつまらなそうにしていた事だろう。
そして知らないお兄ちゃんに声を掛けられ、そのまま彼の家まで連れて行かれる事となる。
誘拐だ。
これはもう、立派な誘拐である。
所で少し話が変わりますが、私は記憶力には自信があります。
過去に起きた事、誰に何を言われた、その時こう返した、相手はどんな対応だった、という様な
人と関わった上で起きた物事ややり取りの記憶。
その場の光景も鮮明に覚えているし、感情も忘れない。
なので不愉快に感じた出来事も、適当に扱われた事も忘れない。
そして、感動した事も、本人にとっては何気ない気持ちで言ったであろう私にとって嬉しかった言葉も、思いやりも、受けた恩も同じ様に忘れません。
何でそんな昔の事をそこまで覚えてるの?
言った台詞なんてそこまで覚えてないでしょ。と言われた事がある。
知らねーよそんな事。覚えてるもんは覚えてるんだからしょうがあるめぇ。
私と仲の良い人は実感した事があるはずだ。
『よくそんな前の事覚えてるなぁ!?』
『言った気がする!言われて思い出した!』
『そうだそうだ!そうなったからああなったんだった!』と。
記憶に残るかどうかは私の中の重要度による。
大して興味のないものややり取りなどは信じられない位記憶に残らないのも面白い。
神戸に長い事住んでいるのに何年も前に出来た店や場所など、いくら前を通過しようが覚えていないせいで
『あんた何年住んでる思ってんねん』
『ほんまに神戸住んでる人か?』と言われるし、
『ねえ一人で行ける?覚えてる?』と辿り着けるかどうかの心配までされる始末。
覚える気があるものと、そうでないものの差が凄い。
それだけの話なんだけれども。
さて話を戻しましょう。
当時私は4歳位の幼女。
全てを覚えている訳ではないけれど、所々ハッキリした記憶があります。
お兄ちゃんに家まで連れて行かれた。
玄関を開けて入ると、目の前の台所には彼の母親らしき人物が料理をしている。
『誰、その子?』
「友達…」
そうなのだ。
誘拐した彼は、まだ小学生位の子供だった。
私にとってはとても上のお兄ちゃんに見えたが、どう見ても子供。
子供が子供に声を掛けて、家に連れて行った。それだけの事。
そしてその子は私にファミコンのコントローラーを渡す。
『これ出来る?』
『これは?』
『持ってみて』
『押すんだよ』
『だから!そうじゃないってば!』
う・う・う…うわあああああああああああわからないよぉおああああああああああああ!!!!ふぁみこんってなにぃぃぃぃぃいいこわいこわいこわあああああああああい!涙
私の心の中はパニックだった。
お兄ちゃんは焦った。今にも泣きそうな顔をしている私を見て、泣かれたらお母さんに怒られる!とビビっていた。
そこに彼の友達が数名連れ立って彼の家を訪問する。
一緒にゲームが出来る友達を得た彼は嬉しそうに友達とゲームで盛り上がる。
3人か4人程のお兄ちゃん達の背中を見ながら私は黙って座っている。
画面など見えない。見た所で分からない。私はどうしてここに居るのか。一緒に遊んでくれると思っていたお兄ちゃんは、友達が来た途端に私の方など見向きもしない。
何の時間やこれ。と思ったかは知らないが、子供ながらに、呆然と、ただ彼らの背中だけを眺め、一言も発する事なくそこに居た。
どれ位の時間が経ったのか、夕方になる頃
彼の母親らしき人物が『そろそろその子家まで送りなさいよ』と言う。
まだ遊びたいお兄ちゃん。盛り上がっている友達。
何度目かの母親らしき人物の催促でお兄ちゃんは重い腰を上げる。
そして友達らを部屋に残したまま『送ってくるから待ってて』と告げ、私の手を引き家を出る。
ずっと放置されていた私は手を引かれ歩いている事にワクワクしていた。
ものの数分でそのワクワクは奈落の底へと突き落とされる。
『迷子です』
交番の警察官へと引き渡されたのである。
一緒に遊んでくれると思っていたお兄ちゃんは、私が邪魔だったのだろう。
ゲームも出来ない、喋る事もない。
母親らしき人物にも何処の子だと怪しまれていたし、遊びに来てくれた友達たちが家に居る。
もう面倒くさかったのだ。元居た場所まで私を送る事が。私を連れ帰った事さえも。
そしてそ知らぬ振りをして私を迷子として警察官へ委ねたのだ。
もう信じられない。
今思い返してもマジであの子信じられない。どうかしてるぜ。
私はきっと、この時初めて警察官を見た。
お巡りさんという生き物を初めて見た。
人生で初めて認識したお巡りさんはこの人です。
幼少期の私にとって大人の男は、お父さん以外怖い人にしか見えなかった。
このお巡りさんも例外では無い。
見た事のない服を着て、色んな事を聞いてくる。
『何処から来たの?』
私が聞きたい。
あれは質問が良くない。『何処から来たの』ってなんだよ。
『ここに来る前は何してたの?』と順を追って聞け。
『何処』が何て名前で何処なのか把握してると思うなよ。子供が“何処”を説明出来る言葉など持ち合わせてると思うなってんだ。
知らない間にお兄ちゃんは帰っていたが、あの子は何処で拾ったと言ったのだろうか。適当に嘘をついて渡すだけ渡して帰ったんだろうな。
末恐ろしい子だよ本当。
ここからは私が大人になってから、母に当時の話をして『あんたあの時の事覚えてるん!?』と言われながら聞いた話との擦り合わせになるが
母は私が連れて行かれて何時間かしてから、一向に喉が渇いただのお腹が空いただの言ってこないな?と気付き駐車場で遊んでいるであろう私を見に行ったらしい。
だが私の姿はない。
名前を呼んでみても返事もない。
トイレや周辺を探し回っても一向に見つからない。
そこでやっと、娘が居なくなった事に気付く。
顔面蒼白で最寄りの警察に娘が居なくなったと駆け込む。
そこで母が言われたのは
『ああ!お母さん見つかった!』
『娘さんらしき子、二駅先の交番で保護されてます!』
だったそうだ。
(後に『あれ二駅も離れてたんやで。あんな小さい子供が歩ける距離じゃない』と言ってたが、歩いたんだろう。私はおんぶや抱っこなどされない子供だったから、きっと駄々をこねなかったに違いない)
母は即座に私が保護されている交番へと駆けつけた。
『あ、良かったね!お母さん来たよ!』と言われ振り向いた時に見た母は鬼の形相だった。
警察官にご迷惑をお掛けしてすみません、有難うございます~とペコペコと頭を下げる母。
そして一通り警察官と話を済まして『ほら!行くよ!』と私に声を掛け、二人で夜道を歩いた。
母は振り返りもせずに、怒っているのを露にしながら足早に前を歩く。
手も繋がれず、怖い思いをしたのに抱きしめられる事もない。
私が何か怒らせるような事をしたのだろう。
だから私はトボトボと後ろをついて歩く。
やっと振り向いた母が掛けた言葉は
『早く歩いて!』『わざとゆっくり歩かないで!』だった。
ここで私は遂に泣く。
それまでの不安と、恐怖と、寂しさと、困惑。
やっと会えた母は何故だか怒っているし、怒鳴ってくる。
お母さんの足の速さには追いつけない。
夜道で手も繋いでもらえない。
一気に悲しみが押し寄せて泣いた。声を上げてうわぁんと泣いた。
母はそこでやっと、『ほら!』と言って手を繋ぐようにと私へ手を差し出した。
ピタリと泣くのをやめて喜んで母の手に駆け寄ったのを覚えている。
私のその日の記憶はそこで終わっている。
そして大人になってから、『何であの時私が怒られてんのか全く意味が分からんかったわ』と言ったら母からこう言われた。
『だってあんた、こっちが心配して駆けつけたのに、嬉しそうにカツ丼食べてたんやもん』
あ、はい・・・食べてましたね…。
お巡りさんが『お腹空いてる?』って聞いてくれて、私はコクンと頷いた。
そして出されたのがカツ丼だったのだ。
何だこれは初めて見る食い物だな!?ぱくぱく。
・・・え?ナニコレおいしいナニコレー!?
とめちゃくちゃ喜んで食べた記憶がある。
あのカツ丼がわざわざ出前で取ってくれた物なのか、たまたま食べようとしていた所だった物を譲ってくれたのか、そのお巡りさんの憧れだったのか何かは知らんが
私は4歳位の頃に初めてカツ丼を出されて食べたのだ。
誘拐されて、迷子の子として、何処かも分からない交番で。
食べてる途中で母が来て、『あんた何してるの!!』と開口一番に鬼の形相で切れられた私である。
その途端、美味しいと思っていたカツ丼が私の中で食べてはいけない物へと変わった。
お巡りさんは『まぁまぁお母さん。お腹が空いてたみたいだから、これを食べるまで待ってあげて』と怒る母をなだめていたが
私はそこから二度とそのカツ丼に口を付けなかった。
それが、私の初めてのカツ丼。
お巡りさんはとても優しくしてくれて、本当に良い人だったし
母は本当にこれでもかと言う程パチンカスだった。
『怒ってさっさと前を歩いてたし手も繋がれなかったの覚えてるわ』と言ったら
『だってー!めっちゃ出てる台やったのに途中でやめなあかんかったから勿体なくて!』
と笑っていた。
我が親ながら中々どうしてぶっ飛んでおる。もう病気。
ある程度の歳になってから、お弁当で買ったり自分で作ったり外で食べたりする様になったカツ丼。いつでも心の底からカツ丼うめぇ!と思う。
これは王者の食い物だ!と。
そしていつも必ず、あの日の出来事とあの警察官を思い出す。
多分私はその当時の記憶があるから余計に、警察官を好意的な目で見ている。
高圧的な、偉そうなあの態度が気に食わない!という人の声もよく耳にするけれど
私にはあんな面倒くさい、人の世話ばかり焼いて、危険も伴う仕事など絶対に出来ないし、私にとっては怖くて寂しくて不安だったあの日唯一の正義だった。
あの日私にカツ丼を食べさせてくれて有難う。
全部食べれなくて御免なさい。
でも一生忘れません。
因みに吉野家に関して補足しておくけれど、私は母が吉野家を買って帰って来たら『今日は当たりだ!』位のテンションで大喜びで食べていたし、未だに牛丼は吉野家が一番好きです。
染みてんだ・・・俺の体の中に、さ・・・。
…あともう一つ補足しておくならば
ここまで話しておいてなんですが、
カツ丼は、私の好きな食べ物ランキング1位では無い。