深夜2時15分に誰もいないはずの場所で待ち合わせをしよう

 「たま」の日に寄せて。
 これは、巧妙に編まれたフィクションかもしれません。


 11月11日というのは、とかく何かしらの記念日にされがちだ。ゾロ目だからと言うのもあるだろうが、それにしても、多い。あえて列挙して見せはしないが、ご興味がおありなら、Wikipediaのページに行けばうんざりする程の記念日を確認できるだろう。大体、棒状の事物の記念日は、この日に集約されているんではなかろうか、と思う。
 さて、実はこの日は「たま」の日でもあることを、皆さんはご存じだろうか。たまと言ってもあのころころと転がる玉のことではない。90年代初頭、社会現象を引き起こしたあの伝説のバンド「たま」である。11月11日はそんな「たま」の結成日であり、彼らを一躍スターダムにのし上げたテレビ番組「三宅裕司のイカすバンド天国」、通称「イカ天」に彼ら自身が初出演を決めた日なんである。
 さて、今回はそんな「たま」の数ある名曲の一つ「まちあわせ」にちなんだ、ちょっとした話をしたいと思う。

 2024年5月31日、僕は勤めていた会社に退職届を提出した。それが受理された瞬間、殆ど停滞と言って良かったこの4年余りの期間、止まっていたものがようやく動き出したような感じがした。
 「何かしたいな」と思った。何かを。停滞に停滞を重ね、「生きること」と「生きることに最低限必要なこと」しかやってこなかったこの4年間に、唾を吐きかけてやるような、何とも盛大に無駄でくだらないことをしたい、と思ったのだ。
 退勤後、いつも通りTwitterを開く。タイムラインに流れては消えていく幾つものツイートを眺めていると、そこに突如見覚えのある顔が現れた。「顔のYシャツ」の「彼」だった。
 そのツイートによれば、何と翌日、6月1日をもって「顔のYシャツ」店舗が解体されてしまうというのだ。店舗ごと解体してしまうのであれば、当然、あの「顔」も片付けられてしまう。月並みな表現を恐れずに言えば、心にぽっかりと穴が開くような、何とも悲しいニュースだった。
 そして、ふと考える。たまのあの曲、「まちあわせ」。確かあれは、深夜2時15分の話だったな。現在時刻は18時をわずかに過ぎた頃合いである。今からすぐ電車に乗れば、日付が変わる頃には現地につくだろう。
 誰も来ない場所で、たった一人きりの待ち合わせ。人ではなく、場所そのものとの待ち合わせ。これはなかなか、今の自分に御誂え向きではないか。
 次の瞬間には、手近なギターを一本引っ掴み、家を飛び出していた。

 「顔のYシャツ」について話しておかねばなるまい。顔のYシャツというのは、あくまで個人的感情に基づいて言えば、何ともイトオシイ建物、なんである。
 それは、東京都千代田区神田小川町にかつて存在した、文字通り、小川町の「顔」というべき建物であった。内実としては、至って普通のオーダーメイド・ワイシャツの専門店であったのだが、初代店主の似顔絵そのものを巨大な看板として利用している点で周囲のあらゆる建物と一線を画する異様さを醸し出すことに成功しているのである。

夕暮れ時のさびしさに/たま (8cmCD・'92.12.10リリース)ジャケット より

 東京都心部のまさに一等地、その一角にぽかんと浮かびあがる果てしなくシュールで、そして余りにも不自然に、巨大な「顔」。地下鉄小川町駅のB7出口を出た人間の眼前に忽然と襲い掛かる場違いな「彼」は、あざ笑うでもなく、愛想をまくでもない、不思議な笑みを湛えたまま、昭和・平成の世を通じてただそこにあった。
 ここで、冒頭の話題に立ち返るんであるが、「たま」の名曲の一つに「まちあわせ」というものがある。イカ天では第五週目で演奏されたこの曲はメンバー4人横並びでの合唱、かつ、楽器らしい楽器はギター一本、あとは音の出る玩具類のみという異次元の構成であり、当時大変な物議を呼んだらしい。そんな曲に「顔のYシャツ」は歌われているのだった。当該楽曲の二番全文を引用しよう。

ゲンゲンゲロゲロゲゲゲロロ
神保町「顔のYシャツ」の前で 夜2時15分の待ち合わせ
不便だ不便だ不便だ不便だ でも便利より不便の方がだいぶいい

まちあわせ/たま(詞・曲 石川浩司)「石川浩司のひとりでアッハッハー」より引用

 歌詞では神保町と歌われているが、何ということはない。神保町は小川町のすぐ隣の、まあ東京の中では名の知れた部類の土地であって、顔のYシャツからも歩いて数分だ。うちから最寄りのコンビニより近いくらいである。また、どちらにしろ神田であることに違いはない。差し詰め、千葉浦安のテーマパークを「東京」と呼ぶようなものだ。

 さて、ここまでで「たまの曲」と「顔のYシャツ」についての背景情報は語りおおせただろう。話は再び、2024年5月31日に戻る。
 家を飛び出て、19時を過ぎたころには、すでに電車に揺られていた。得も言われぬ感覚に、気分が高揚してくる。ああ、数時間前までは、会社に居たというのに! いつも精神的に自分を支配していた何かが消え去って、その空隙に久しく感じることもなかった活力が湧きだしてくる。社会適応のため、久しく押し殺してきたもの、燻ってきたものが次第に頭をもたげてくる。
 こういう時、大人は酒を飲みに行くのだろうな、と思うんである。大人という連中は、酒を使って自らの感受性を手懐けているのだ。
 こう書くとまるで子供のような言い草だが、一応、自分は歳の上ではどこに出しても恥ずかしくない立派な大人である(まあ、それ以外はどこに出しても恥ずかしい人間なのだが)。
 しかしまあ、こういう風にも考えられるだろう。そもそも、感受性の手懐け方を知っているのが、大人という生き物なのだ。自分はただ、そんな風に大きく感情の高ぶった時、酒を飲んで気を晴らすほど分別のある人間ではないというだけだ。僕には僕のやり方がある。
 僕はこういう時、「空費」するようにしている。これから行う、顔のYシャツ電撃訪問も一種の「空費」だ。誠心誠意、ありったけの感情をこめて、それそのものを空費するんである。
 「空費」とは何か。それは気晴らしの根源へ帰ることである。あらゆる気晴らしにはこの「空費」がある。酒を飲むことも、ギャンブルをすることも、感情を抱えて鬱屈することも、論理に耽溺し、気分の落としどころを探ることも、全ての気晴らしの根源には「空費」がある。
 気晴らしをして、気分をニュートラルな状態に戻すまでの間、掛けた時間も金も決して戻っては来ない。すべては空費される。そしてまた、人生はその連続でしかない。したがって人生もまた、空費そのものとは言えまいか。
 楽しさもうれしさも悲しさも悔しさも全部、脳内の電気信号のやり取りにすぎないとわかっているからこそ、気晴らしはむしろ、よりその根源へと向かい、より純度の高い「空費」となって行動に出力される。故に、「空費」において空費されるのは、感情のために用意された感情なのである。

 予定通り、日付の変わる間際になって、僕は小川町駅に降り立った。ここへ来ることを決めたときには、すでに覚悟していたことだが、今まで乗ってきた都営地下鉄でさえ、今はもう終電間際である。夜が明けて、再び電車が動き出すまで、帰宅はできない。長い夜の始まりだ。
 以前来た時のことを思い出しながら、B7出口から地上へ出る。「顔」は以前と変わらぬ異様さで得も言われぬ笑顔を振りまいていた。

到着後すぐの「顔のYシャツ」
解体工事のお知らせ。本当だったのか。

 写真を撮っていると、あとから背筋のまっすぐな壮年の紳士が現れ、同じように写真を撮り始めた。ふと目を合わせると、そこにはやはり自分と同じ、穏やかな哀切の色が浮かんでいるのだった。
 言葉はいらなかった。お互いたった一度頷きあったのみで、会釈一つ交わさずに紳士は去って行かれた。これが、コミュニケーションの深遠さというもので、言葉にせずとも伝わる思い、いや、言葉にすること自体がすでに野暮ったいモノゴトというのは、確かにあるものなのである。あの紳士からすれば汚らしい青二才と言ったところだろうが、確かに僕は彼からこの場所に対する万感の思いというものを受け取ったのである。

 待ち合わせの時刻は、2時15分だから、当時まだ2時間以上あった。意外と長い待機時間だ。とは言っても、その時間でできることも限られている。土地勘がないので、あまり離れると何処だかわからなくなる。せいぜい神保町の辺りまでが限度だろう。
 一番の歌詞通りに、ヨシムラでハムカツを調達するわけにもいかない。確かあれは、群馬県前橋市城東町のMという肉屋の話だったはずだ。
 それからは暇を飽かして神保町や周辺の路地を練り歩いたり、雨に降られたりしながら過ごした。日中の神保町は古本屋街として大変賑々しい界隈であるが、そこここが夜は薄暗く、寂しい路地が多い。そこを目的もなく、縫うように練り歩く。これだけでも、結構楽しいものだ。
 そんなことをしていると、学生時代を思い出す。そういえば、たまを聴き始めたのも、大学生のころだった。
 元々、「さよなら人類」だけは知っていたのだが、そこまで揺さぶられるような曲ではなかったので(実はこれは今でもそうなんであるが)あまり聞く気が起きなかったんである。しかしある時、ひょんなことから「電車かもしれない」の映像を見て興味を抱いた僕は、続けざまに見たイカ天初出場の際の「らんちう」の映像を見たことでたまへの評価を180度変えることとなったのである。
 本当に、たった一曲で度肝を抜かれる経験というのをしたのは、たまくらいだろう。人生が変わった、と言っても良い。というのも、僕は作曲をするのだが、たまを聞く以前と以後では、作るものが明確に違ってきた。明らかに影響を受けている。今まで自信をもって「良い音楽」といえるものはたくさん聴いてきたが、心から「やりたい音楽」と思えたのは、今でもたまをおいて他にないのである。
 さてそんなこんなで2時10分を迎え、顔のYシャツへ戻ると、そこには予想だにしていない光景が広がっていた。……人が、居る。居たのだ。

夜2時15分の待ち合わせ

 結局、その時は自分を入れて4人ほどが集まったようだった。別に何か企図してのことではない。偶発的に集まった四人はそれぞれ好きなように写真を撮って、さしたる交流もなく三々五々散っていった。当然のことである。その場にいた誰もが待ち合わせたのは、「顔のYシャツ」そのものであって、そこに待ち合わせた自分自身であったからだ。
 僕はそうせざるを得ないままに、持ってきたギターを取り出した。それは気晴らしでもあって、追悼でもある。自分に向けたものであって、誰に向けたものでもない。まさに感情の空費行為であった。
「ギターですか」
 ギターを取り出しているところで、声をかけられた。先ほど集まっていた方々のうちの一名が僕のギターを見て、何をしようとしているか見当がついたようだった。
「ええ、自分にとっちゃ大事な場所なので、ちょっと歌ってやりたいなと思って」
「そうですか。では、少し、空けますよ」
 ありがたい。流石、同じ志を持って集まっただけあって、物わかりの良い方だったようだ。そう、これは一人でやらなければいけないのだ。僕が待ち合わせたのは「彼」なのだから。

 小声で「まちあわせ」を歌い、深々とお辞儀をする。これが「たま」流である。便利より不便のほうが大分いい。今は、良く分かる。こんなにもいい曲だったかな、と思う。徐々に感情が凪いでいく。ああ、ここが自分のニュートラルだ。溜まり切ったものすべてが消化され、夜に溶けてなくなっていくようだった。
 先ほどの同志は少し離れたところで待っていてくださったようだった。急ぎ、会釈をして、心づかいに感謝する。どうやら彼は、この後も「彼」との待ち合わせに興じるようだ。彼には彼のやり方があるのだろう。
 同志とのつかの間の交流を終え、そのまま夜の街へと歩みだしていく。東京は眠らないが、それ故に、寂しいところは一層寂しい街である。行き先のある人間にとっては、いつでも明るい街であるが、行き先のない人間にとっては薄暗く、空虚だ。それでも、行く。そこに何があるかはわからないが、それは今後の人生も一緒である。良いだろう。何しろ、人生もまた空費なのだから。

北千住まで、寄り道しつつ、夜が白んでくるまで歩きました。ローソン100、見なくなったよね。

追伸:「顔のYシャツ」店舗はその後、6月4日夜に取り壊されたとのことである。3日までは「まちあわせ」出来たんだな。「顔」は4日のうちに取り外され、今は建物もなく、空き地に資材があるだけの場所となっているそうだ。

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