退職したし、「百年の孤独」を読むだけの旅をしよう
0 茶番
さあせっかく退職したし、退職記事でPV稼ぎがしたいぞ。と言うわけで、導入の代わりにこの度の退職についてのお話でも。
まず退職日なんですが、これが今年の6月末のことで。去年の4月1日入職だったんですが、その二か月後には既に辞める決心がついていました。早いすか? いやいや。やべえもん、あそこ。何がやべえかは言わんけど、とにかくもう、居てらんない。
まあ、それでもお金は何かと入用ですからね。結局それからずるずる一年も居てしまいましたよ。その間にストレスで体重は12kg増え、デブがオオデブになりました。だもんで、ジャージ以外の服は殆ど入らねえし、血圧も上が170を超えましたとさ。あーあ。
ついでに年齢もとうとう30のデッドラインを超えまして、あら、いつのまにやら再就職も厳しいご時世じゃございませんか。でもほら、2017年のことを思い返してごらんなさいよ。あのアベノミクスの追い風の中で内定ゼロで卒業したのなんて、学部で多分あーたくらいでしょ? ねえ、もう社会で生きていく道はないかもよ? どこからともなくそんな声が聞こえる。ハイハイそうですね。もう、いいです、それで。
……あのね、退職関連の話、終わりましょう。悲しくなってきたんで。でもこれで、ちょっとはPV稼げますかね。ほんのちょっとでも有名になりたい。そんで、出来ればお金、欲しいんです。無いので。
もちょっと、楽しい文章が書きたいんですよね。何かないかねえ。
あ、そうだ。この前の旅行。その時読んでた小説と、現実の旅行の経験をごちゃ混ぜにして書いてみたら、面白いかも知れない。少なくとも自分は面白い。でもこれ、読者の方には面白がって貰えるかなあ。まあいいや。
1 旅立ち(p0)
8月末。仕事辞めてからもう二か月も経ちそうなんだけども、残念ながら何も、する気が、起きないんである。だから7月の、発売日当日に18きっぷを買ってたのに、一か月以上も放っといたままだった。
そういえば仕事してる間は、頻繁に「どっか行きてえ」と口走っては、薄汚えブラインドの向こうの空を見上げ、その先にあるであろう理想郷に思いを馳せていたものだ。そう、思い出した。だから18きっぷを買ったんである。でも、いざ自由な身空になってみると、家から出る気がしないんだなあ、これが。
つまり、理想郷は家にあったわけだ。いや、すばらしいね。エアコンは壊れているけども。
とは言え、買ってしまったものだから、使わなきゃ意味がない。どうしたもんかねえ。あ、そうだ。電車内はエアコンがきいているじゃないの。周りさえ気にしなければ、本がいくらでも読めるってもんだぜ。というわけで、電車で本を読むために旅に出ることにした。
行き場所より先に図書を選定する必要に駆られる、いつだって旅はそんなふうに始まる。本当か? しかして積読は常にうず高く積み上がり、いつでも僕の机の一部を占領しているので、選び放題だ。選ばれたのはこの記事のタイトルにある通り、「百年の孤独」である。退職間際に買ったこともあって、積読の比較的上部にあった。
ジェンガの要領でそいつを引き抜くと、他の本が恨みがましくこちらを眺めているような気がした。ごめんね。いつか読むからね。
出発当日、気持ちのいい朝だった。適度に曇っていて、気温もほどほど。絶好の二度寝日和である。計画していた旅行をすっぽかして貪る惰眠ほど気持ちのいいものはない。粉々に砕かれた社会性が、枕を高くしてくれるからである。読者の皆さんも一度やってみればわかるはずだ。
起きたら外はカンカン照りで、心はバッキボキ折り。にも拘らず僕の背中を押したのは、18きっぷの「12050円」の数字だった。吝嗇のデブとかいう情けない人種であるから、お金がかかると行動するのよね。偉いのか、意地汚いだけなのか。30にして、自分の行動原理が読めてきた。そんな夏。
結局それから13時まで何もせず、いい加減出かけようと思い立ったころには14時を回りそうな頃合いだった。すがすがしい馬鹿だね。荷物をまとめ急ぎ出奔、最寄りの群馬県某駅にて旅は始まった。
で、行く場所なんだけども、これは占いで決めた。昨今のインターネットには便利なものがあるのだ。タロットカードを二枚引いて、いわゆる「どっちにしようかな」が出来るっていうサイト。贔屓にさしてもらっている。こんなん指でやっても一緒だとは思うが、どうせ選択を運に任せるなら、それに伴うコンテクストの多いほうが、面白いでしょう?
まあ占いなんか信じちゃいないけどもね。でも、これからの旅は半ば本の内容に埋もれながらの幻想と現実を往復する旅になる。それを思えばどうだ、御誂え向きじゃないかね。
ということで、北が右、南が左。占いを信じてないから、結果が悪いほうに行く。結果は北が「節制」の正位置、南が「恋人」の正位置だった。どっちも悪かないではないか。んじゃ「節制」で。こっちの方が、本が読めそうだから。そも、どうせ本を読むだけの旅だ。行先で内容が変わるじゃないし、何でもいい。
2 両毛線~東北本線(p1~p200くらい)
適当な時間に来たので、次の電車には30分ほどの猶予があった。今からなら、少なくとも仙台までは行ける。その間、飯を食えないのか。途端に不安になる。デブは飯が切れると不安になるのだ。スーパーでおにぎりでも買ってくればと悔いつつ、ホームのベンチに腰を下ろす。汗で少しじっとりした手のひらで「百年の孤独」を開くと、いつもの新潮文庫らしからぬ、金色のしおり紐が顔をのぞかせる。おお、凝った装丁だ。にんまり。これでもうすでに、この本が好きになれそうな気がしていた。ただし、発売日に買ったのに二刷だったことは、絶対忘れんからな。
最初のページを開くと、早速隣のベンチにアウレリャノ・ブエンディア大佐が腰を下ろした。彼はこの前読んだ佐藤究の「テスカトリポカ」の中ではバルミロ・カサソラを演じていた脳内俳優で、古くはスティーブン・キングの「ダークタワー」シリーズでローランドを演じていたこともある、こいつにまかしときゃ間違いない、安定感のある俳優だ。
彼は軍服にサングラスのいでたちで、口元には火のついたタバコがあった。このイメージは読了まで変わらなかったので、やっぱり彼は優秀な脳内俳優であったようだ。さらに読み進めると、隣でじりじりとタバコの燃え進む音がし、ふう、と僕の横っ面に煙が掛かる。その煙の先に見えたのは、マコンドだった。
ジャングルの奥地といった風情の舞台。そう、この本を読んでいるとまるで舞台を眺めているような感じがするんであるが、その舞台の中央には、ブエンディア家始祖のホセ・アルカディオ・ブエンディアとウルスラの夫妻、それにメルキアデスが立っている。おや、ウルスラのほうは魯迅の「故郷」でヤンおばさんを務めて以来、名脇役として名だたる作品を歴任してきた脳内大女優ではないか。このキャスティングも後から思えば大正解で、このウルスラというキャラクターはお前マジでいつになったら死ぬの? と言いたくなるレベルでこの作品に出ずっぱりなのだった。
そのうちに電車がやってきた。しかしまだマコンドに駅はなかったので、どこに停車したのかはわからない。ホセ・アルカディオ・ブエンディアはその車体に興味を持ち、しきりにその動く仕組みを調べたがった。無視して電車に乗り、席に着くと、メルキアデスが隣に座ってきた。ガコンと音がして電車が動き出すと、ドアの向こうにホセ・アルカディオ・ブエンディアのしょぼくれた顔が見えた。あーお前な、そう言うとこあるよな。
がらがらの車内はジプシーたちで満席だ。奴ら、そこらで好き勝手に各々の芸だの売り物だのをおっぴろげ始めたので、あっという間に車内が市になってしまった。僕は彼らが自分の想像の産物であって良かったと心から思った。
読書に戻ろうとすると、メルキアデスが僕の肩をたたき、窓の外を指さした。彼の指さす先には、二月前まで勤めていた会社があった。彼が指をはじくと、会社が爆発し、社屋は一瞬のうちに蒸発した。なるほど、これが錬金術の力か、と僕は納得した。次、働くことがあれば、錬金術師になってみるのも悪くないかも知れない。
そうこうしているうちに、ジプシーたちは別の車両に移っていったらしく、電車は元のがらがら状態に戻っていた。周囲に居るのはブエンディア一家四人だけだった。まもなく電車は宇都宮に到着し、一家と僕は乗り換えのホームに向かった。ふいに、ホセ・アルカディオ・ブエンディアが何かに気が付いたように焦りだした。何でも例の、プルデンシオ・アギラルを殺傷したという槍を先ほどの電車の網棚に忘れてきたんだそうだ。なんでまたそんな大事なものを、と言ったところ、彼は「お前が丁度あの槍を埋めるところで読書を中断したりするからだ」と逆切れしてきたのだった。仕方ない。あの電車はまだ、出発していないかもしれないので、「僕がNEWDAYSで買い物をする間に取って来いよ」と言いつけると、彼は猛ダッシュで逆側のホームに向かっていった。
買い物を済ませるとホセ・アルカディオ・ブエンディアは槍を取り戻せたようで、満面の笑みで店先に立っていた。槍の先には今もって赤々と血糊が付着していて、それを携えた大男はそれだけで迫力のあるものだったので、ちょっと近づかないでほしいと思った。
乗り換えた電車は先ほどよりはるかに混んでおり、乗客はその殆どがジプシーだった。ジプシーたちの操る空飛ぶ絨毯に見とれていると、気づかぬうちにブエンディア一家に末妹のアマランタが誕生していた。それに気を取られて目を離しているうちに今度はピラル・テルネラが二代目ホセ・アルカディオの子供を産んでいた。何でこうもぼこぼこ子供をこさえてしまうものかと呆れていると、挙句の果てにレベーカまでもが家族に加わったのでもう何も言えなかった。
それから間もなくしてマコンドには不眠症が流行りだしたが、僕は反対に眠くてかなわなかった。よくわからないうちにビシタシオンだのカタウレだのという登場人物が増えており、頭がさらに混乱してくる。眠気が限界を迎えたころ、僕はようやく黒磯にたどり着いた。ここからが、東北本線の始まりである。
いそいそとホームを移動する。停車場の前のベンチには、フランシスコ・エル・オンブレとドン・アポリナル・モスコテ町長が座っており、間もなくそこに町長の妻と七人の娘が合流した。いつの間にやら旅の一行はとんでもない大所帯と化しており、さしもの僕も登場人物の全容の把握をあきらめざるを得なくなった。特にややこしかったのはオンブレとマナウレとカタウレであり、僕はこの種の名前が出てきた途端に蕁麻疹が出る体質になってしまった。もし、アンドレカンドレまで出てきていたら、僕は死んでいたかもしれない。
黒磯を過ぎたあたりで日が沈み、周りが真っ暗になったのでより読書に没頭できた。一行にはピエトロ・クレスピまでもが加わり、アウレリャノ大佐がロリコンに覚醒した。大佐は僕が本を読んでいようとお構いなしでロリ語りに興じ、レメディオスと自分との相性が気になると言って僕のスマホを勝手に使い、占いサイトを巡回し始めた。あー厳ついガタイしといてお前、本当乙女みたいだな。結婚後のレメディオスのほうがよっぽど大人だよ。
白河を過ぎたあたりで、メルキアデスが死んだっぽい。その辺、どうも記憶があいまいだけど、多分あいつ阿武隈川で死んでる。南無。
一方ピエトロ・クレスピのほうはというと、登場早々おらが村の二大美人を同時に篭絡せしめ、隣の車両でアマランタとレベーカの二人から黄色い歓声を一身に浴びていた。お前ら平和だね。と思いきや、二人の間に女の確執が生じ始めたではないか。あー関わりたくない。
郡山を過ぎたあたりで、大佐がレメディオスと結婚した。いいね、レメディオスちゃん。今のところ、君がこの作品で唯一の癒し枠だよ。視線の端にチラチラ見えてる初代ブエンディアこと栗の木おじさんだったりレベーカとアマランタの女の闘いのことはもう考えたくないよ。とか考えてたらレメディオスちゃんすぐ死ぬし……やっぱりこの本殺伐としすぎだろ。
福島に到着するころには、僕はもうこの本による毒気で若干中毒気味になっていたんであるが、それでもページを繰る手は止まらないし、電車も止まらない。よし、仙台まで行こう。と決めたころにはアルカディオお兄ちゃんが帰宅していたし、今度はアウレリャノ大佐がグレて出奔していた。お前ら自由だね。そしてアルカディオお兄ちゃんに鞍替えするレベーカ。……お前ら、自由だね。
こうなったが最後、癒し枠はピエトロ・クレスピ君しか居ないわけである。レベーカはNTRれたけど、お前なら幸せになれるよ。多分。マコンドじゃなければな。しかしここはマコンドである。マコンドではいい奴から死んでいく。彼もまたその例に洩れなかったんである。これがこの物語の鉄則なのだ。ね、栗の木おじさん?
にしても、常磐線から合流した、あのサンタ・ソフィア・デ・ラ・ピエダって人は何だろうね。何かすげえ地味だし、マコンドで生き抜いていけるだけの、キャラの濃さみたいなものが全く感じられないんだけど。ウルスラおばあちゃんを見習うことだな。ほら、飴ちゃんをお食べ。
仙台へ着くと、開いた扉の向こうで待っていたのはアウレリャノ大佐だった。久しぶりなような、そうでもないような。彼はやたら疲れているようで、一緒に入った牛丼屋で頼んだ卵入りの大盛り牛丼をうまいうまいと言って食べていた。僕もまた、うまいうまいと言って食べたんである。
時刻は23時を回り、僕は快活クラブの仙台店へ向かう。明日も一日電車に乗って読書だ。疲れた体を休めねば。
なお快活クラブはこの時が初めてであったため、無人配席機に若干初狩られた。しかしながら無事、席だけは確保した。ただし、その席は就寝環境としては最悪の部類で、かた一方は壁際だったのだが、もう一方がアウレリャノ大佐の部屋に面しており、向かいの部屋は確認していないんだが、多分ピラル・テルネラとかが居たんだと思う。
大佐のいびきとテルネラの咳とに大分やり込められながら、フラットにならない微妙な椅子の上で三時間程度の睡眠をとった。起き抜けには、何とか元を取ってやろうと腹がたぽたぽになるほどドリンクバーで炭酸入りアクエリアスを飲み、野崎くんの新刊に目を通した。また、出発前に洗濯も済ませた。以前より聞き及んではいたが、やはり快活の設備は素晴らしい。
3 東北本線~北上線~奥羽本線(p200~p400くらい)
二日目、さらに北上を続ける。北上しすぎて北上駅まで行ってしまった。しかし時間はまだ8時台。いろいろ余裕だ。駅内でうどんをすする。
大佐が後ろから早く続きを読めとせかすので、僕は北上線に乗り換えてすぐ、本を開いた。昨日まで読み進めた時点で作中では割と幸せな結婚生活を送っていたアルカディオお兄ちゃんとレベーカ夫妻。しかし幸せには必ず冷や水を浴びせるのがこの作品のルールである。早速お兄ちゃんが死に、レベーカは引きこもりと化した。折しも、車窓から見えるのはほっとゆだ周辺の雄大な自然である。正直この辺を読むよりは窓の外を眺めるほうがおもしろかった。
横手に到着したあたりで、栗の木おじさんが死んだ。ひ孫が誕生してすぐのことである。てか、まだ生きてたの? 確かに死んだとか聞かなかったけど。ってことはウルスラも生きてる? ……生きてるじゃん。てかもう百ページほど先まで見ても生きてんじゃん。生気盛んなウルスラおばあちゃんが僕の肩に手をかけて親指を立てて見せる。はあー、さっすが。その生命力、見習いたいっす。
横手からまた北上してみることにした。時間はまだ12時くらい。そこそこ余裕がある。では、秋田まで行ってみよう。僕は東北きりたんが好きなんである。きりたんはかわいいからな。UTAU配布のころから応援してるので、僕は大分古参のきりたん推し勢だと思う。
ん? 何だよ大佐。ロリコン? は? 幼女に実際に手を出したお前とは違うんだよ。ロリコン扱いするなよ。てかお前、何その大勢の男たちは。ひいふうみい……17人!? え、全員息子!? すごいね。恐れ入るわ。
気づけばマコンドも大分デカい都市になっていた。多分秋田市くらいある。おや、駅前も発展したじゃない。雨の日も過ごしやすそうだね。とりあえず今日はあの横手の駅前にあった快活クラブに泊まろうか、と今後の予定を決め、マコンド駅周辺を散策する。さっきまで大分血なまぐさいことになっていたこの周辺も、ネールランディア停戦協定以降は落ち着きを取り戻した感じがする。第四世代の双子も元気に育っているな。二代目レメディオスちゃんも可愛いね。新しい癒し枠だね。ブエンディア家も一時期色々あったけど、大分立ち直ってきたな。物語が明るくなってきた気がする。
ところが、フェルナンダ・デル=カルピオがブエンディア家に嫁入りしたことで状況は一変する。このフェルナンダはこの作品に登場する女性キャラの中でもトップクラスのキャラの濃さで、むしろブエンディア家を蹂躙する立場についたんである。あなおそろしや。
ところで、駅から歩きで行ける県内にブックオフのマコンド店があるっぽいのでそこまで向かった。本の補充である。既にあんなに積読があるというのに。そうそう、ここはドンキが併設されてるので、何か昼飯になりそうなものを買おう。そうしよう。
ブックオフは正直、微妙な品揃えだった。まあマコンドだからな。あいつら本とか読まなそうだしな。しょうがないか。と言うことで少し早いが、今夜の宿に向かうことにする。この本も明日には読み終わるだろうし、帰途に就くとしよう。
マコンドから横手に戻る途中、マコンドに鉄道が敷設された。頭が混乱する。はて、僕は鉄道でマコンドまで行ったはずではなかったか? まあ電車が先で線路が後、のような、時空間的逆転現象はこの作品においてしばしばありうることである。考えるな、感じろ。
横手に帰ると、そこは既にアメリカ人たちの手により、一面のバナナ農園と化していた。ブエンディア家はまるで快活クラブのように多数の客でにぎわい、ごった返していた。
僕は寝不足だったので一番上等の部屋でたっぷり睡眠をとることにした。つまりフラットの鍵付き個室である。隣室はかつてメルキアデスが研究をしていたあの部屋である。しばし休んだが、非常に快適だった。小一時間後、荷物を置いて付近のドンキ……いや、バナナ農園で二、三房のおにぎりや総菜を購入し、部屋に戻って食べた。食事後は二代目レメディオスが昇天した後の風呂で汗を流した。ブエンディア家は一層の混迷を極めたが、これ以上読み進めるのもおっくうなほどの眠気に耐え切れず、僕は九時を回る前に床に就いたのだった。
4 奥羽本線~両毛線(p400くらい~最後)
朝5時、自然に目が覚めた。北上線の始発は一時間後である。とりあえずドリンクバーと部屋を往復し、昨夜の残りの総菜や菓子等を飲み下す。一時間後、北上線の車両に乗り込み、一路帰宅を目指す。一応計算上は夕方には帰れるはずだ。それまでに読み切れるか。微妙な残ページ数である。それに何よりマコンド線はこの雄大な自然が素晴らしい。朝の光に照らし出されるこの風景、見ずには居られないものがある。
一方、ブエンディア家は殆ど死にかけていた。最年長のウルスラおばあちゃんは視力を失ってるし(ただしそのお陰で超能力的なものを身に着けけたので転んでもただじゃ起きないあたりやっぱこの婆すげえなと思う)、大佐もかろうじて生きてるけどよぼよぼだし、サンタ・ソフィア・デ・ラ・ピエダはいるんだかいないんだか分らんし、第五世代の双子はどっちもアホだし、フェルナンダは鬼嫁だし。何だこいつら。栗の木おじさんと旅してた頃がよもや懐かしく感じることにすらなるとは。
和賀仙人駅まで来たあたりで、急に電車が止まった。何でも、東北本線内で七十二個のおまるによる人身事故が発生したんだそうだ。大変だね。と、僕は涼しい顔でいたが、この遅延のせいで後々とんでもない遅れを食うことになるのである。しかしそのおかげで帰宅までにこの本を読み終わったのだから、人生何が有効に働くかはわからないものである。
マコンド線内で立ち往生を食らっている間にブエンディア家では立て続けに死人が出た。大佐とアマランタ。今生きているのが不思議なくらいの古強者。第二世代の二人である。世代交代を感じさせる市の連鎖だったが、相変わらずウルスラおばあちゃんは生き続けている。おめえナニモンだよ。
メメこと三代目レメディオスは割と女の子してる女の子だった。まあ、さすがブエンディア家のレメディオスちゃんなだけあって、末路は悲惨というか、前二代の因果を引き継いだような形で退場してるのがまた……。死に際も悲惨だし。てか、テルネラさん久しぶりっすね。仙台あたりで別れたんじゃないでしたっけ。この辺りまで来てたんすね。
電車が動き出し、北上に到着する。前にここまで来た時と比べると、ブエンディア家は大分みすぼらしくなった。フェルナンダ、お前のせいじゃないの? と聞くと、彼女はそっぽを向いた。こっちからも敢えて言ってやることは特にない。さあ、東北本線に乗り換えだ。
一ノ関で降りて、少々早めの昼飯とする。アウレリャノ・セグンドがまたうどんかよみたいな顔をするので、食べなくていいんだぞ、と言っておく。
そういえば、ホセ・アルカディオ・セグンドが居ないな、と思ったら、奴は駅前でバナナ農園のストを先導していた。はあ、ようやるね……と思っているとふいに機銃掃射の音がし、次の瞬間、駅前が血の海と化していた。僕もまたうどんに七味掃射を行い、真っ赤な唐辛子の海にして食べた。
小牛田についたあたりで雨が降り出した。奇しくも作中においても大いに雨が降り始めた矢先のことだった。東北の侘しい風景と衰退しつつあるマコンドの姿が再び重なり始めた。
仙台を通り過ぎたあたりでは、電車内はそれなりに人がいたが、今や社内の空気はどんよりと滞留しており、雨粒をはねのけながら走る電車の外の風景は逆に嘘みたいだった。物語中では双子のセグンド兄弟が死に、いよいよブエンディア家は風前の灯火であった。
メメの私生児のアウレリャノだけが異様に目をぎらつかせ、僕の向かいの席で羊皮紙に目を通している。おお、お前そんなものを解読しようってのか。がんばれ。何というか、お前ならできそうな気がするぞ。僕も負けじと物語の先を追う。
福島駅に着いたあたりでサンタ・ソフィア・デ・ラ・ピエダが電車を降りた。この人は本当に縁の下の力持ちというか、目立たなかったけど多分、ブエンディア家の最後の防波堤だったんだろうと思う。彼女が居なくなって、ブエンディア家は崩壊が明確に加速したようだった。間もなくしてフェルナンダが死に、第四世代までの全ブエンディアが死滅し、今度は大雨のために電車がしばらく停車した。マコンドでは雨は5年近く降ったが、こちらでは10年も降ったような感じがした。最早電車はがらがらで、埃と蜘蛛の巣と、七十二個の便器だけが残されていた。
フェルナンダと入れ替わりで現れた第五世代ホセ・アルカディオだが、まあ殆ど言うこともない。キャラも薄いし、気づいたら死んでいた。何だお前は。
白河駅を目前にしたあたりで雨が止んだ。既に日没は近く、わずかな間だったが、車内に日が差した。そこで現れたのが、アマランタ・ウルスラだった。数十ページ前では第六世代アウレリャノとウルスラおばあちゃんいじりに興じていた彼女は何とも非常に現代的な女と化してマコンドに舞い戻ったのであった。マコンドは最早出涸らし以下のくそ田舎と化していたが、彼女の存在はこの地にそぐわないほどに眩しかった。
間もなく日が沈み、外の風景が遮断されたために読書にラストスパートが掛かった。そういえば最後に飯を食ってからもう6時間以上が経っている。腹が減っていた。作中には鶏の頭とスベリヒユとオレガノのスープの描写があったが、それすら旨そうに感じてしまうほどだったので、まあ相当腹が減っていたようだ。まあスベリヒユは生でいけるくらい美味いからな。気になるならその辺に生えているから一回食べてみると良い。
宇都宮を目前にして、アウレリャノには四人の友人ができたようだった。関東に入ったからか車内には次第に人が増えていった。人々の雑踏に紛れながら彼らは論議に精を出していたが、気づけばアウレリャノはあのアマランタ・ウルスラといちゃつき始めていた。まあ、マコンドではよくあることだよな。
そしてようやく小山に到着したところで、待っていたのはやはり、ピラル・テルネラだった。お前、まだ生きてたのか! という思いと同時に、懐かしい顔との再会に移動の疲れが少し和らいだ気がした。
間もなくピラル・テルネラは死んだ。僕もその葬儀に参加し、彼女の墓に椿の花を供えた。両毛線にはブエンディア家最後の二人、アウレリャノとアマランタ・ウルスラだけが乗り込んできた。アマランタ・ウルスラは妊娠していた。僕は二人に優先席を勧め、自分はドアを挟んだ反対の席に腰かけた。僕が本を開くと、二人は幸せそうにしていた。多分、ブエンディア家の夫婦の中で最も幸せな二人だったんじゃないかと思う。
最寄り駅が残り数駅に近づいたころ、アマランタ・ウルスラが死に、最後のアウレリャノが誕生した。時間は8時を回っていた。すっかり暗くなった車外に、父アウレリャノが飛び出していった。ああ、あいつは世間知らずだったからな。残り数ページ。結末の予想がついた。赤ん坊には早くも蟻がたかり始めていた。
次の駅で父アウレリャノが乗り込んできたので、僕は彼に羊皮紙を渡した。最後のアウレリャノは声もあげずに死んだ。たった一駅で無残な肉と骨の塊と化していたが、父アウレリャノは目もくれなかった。
電車はマコンドに到着した。僕は羊皮紙を読み続けるアウレリャノを車内に残して電車を降りた。その後を肉片を咥えた蟻たちだけがついてきた。
電車が行って、がらんとした暗いマコンドの夜に、砂塵を含んだ激しい風が吹いた。この旅を彩った数々の幻影が根こそぎ剝がされ、飛び去り、その後には見慣れた最寄り駅のホームがあった。それだけだった。
5 帰宅
いや、疲れた。家に帰ったら9時でしたよ。結局ずっと電車に乗ってるだけでしたね。どういう旅なんだか。
てか何だろう、この文章も。面白いのかどうかもわからない。公開する意味もあるのか? でも、考えてみれば、優れた作品ってのはそれについての多くの付随した文章を生み出すものじゃないですか。その文章がゴミであるかどうかにかかわらず! だからこの文章は、「百年の孤独」という作品が優れたものであることを証明する、一応その為には役立つんじゃないかと思うんですよね、僕は。
……それでいいですかね? まあ何にしろ、こうして文章にしておくことで、僕はこの旅とこの小説を紐づけて思い出せるわけです。これ、ある意味で貴重なことじゃないですかね。行ったことのない東北の街を、読んだことのない小説と共に、その世界と交じり合いながら巡ってみるっていうのは、唯一無二の特殊な読書体験と言えないですかね。自分としてはそれでいいんですよ。旅なんて自己満足ですからね。所詮。
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