AIをどう規制するか、コントロールするかみたいな話よりも…
Xがポストを学習するという改訂を行ってからまたぞろ反AIが勢いに乗っているわけなんですが、AIを規制したりコントロールしたりする話というのが今とても活発にされている。
それはそれで確かに、"少しは"意味があるとは思いますが、むしろ規制とコントロールによって一社(あるいは一国)がある種のAIを独占することの方がよほど警戒すべきであると私は思っています。
規制の話というのは要するに人間のそれと同じくらいにしかできないだろうと思う。だから、今犯罪であることはAIを使ってやったって犯罪ではある。
アイコラを作ると名誉毀損で訴えられるのと同様にディープフェイクだって新しく議論する必要性が特にない。AIの大量生産や精巧さは別に本質的な話とは関係ない。
犯罪が単にAIを使った犯罪になるだけで、例えばAIの自動音声を使った詐欺とかはもAIを使うことが本質ではなく単に詐欺が悪いというだけである。
絵も学習すること自体が犯罪でないのなら、それを人が学習して1枚出力しようが、AIが学習して100枚出力しようが無問題である。
そんなことよりも、まずもって全ての人があらゆるAIを自由に使える権利の保証の方がよほど大事ではないかと思う。
我々の中でAIが一般化していけば、それが前提となって我々は生きていくことになる。
それが、規制によって使用料が高額になったり、ある国が独占的に使用して、他国には使用を認めないなどとやり始める方が危険であろう。
みんなが自由に使えればAIというのは、特段なにか恐れるものではない。