『可哀想』からの卒業
10年くらいまえかな
そのときくらいからまたイラストを描いたり漫画を描くようになった
SNSがすきでそこに載せると反応も返ってくるから楽しい時代になったな〜と思っていた
元来人付き合いが苦手でそこでできた人間関係もリセットしてまった
そのつもりはなかったけどそうせざる得なかった
疲れていた
30代の妊娠出産は思いの外大変だった
そして35歳で4人目を妊娠していた
想定外すぎて気づくのも遅れて気づいた頃には4ヶ月に入っていた
そして36歳になる前日、妊娠5ヶ月の終わりに子宮内胎児死亡と診断された
36歳になって三日後
小さな小さな第4子を出産した
初めての産声のない出産
名前はカズハ
妊娠に気づいた時点で名前は決めてた
男でも女でもカズハ
死産、死亡届みたいなのも書いた
あれからもう1年半くらい経ちやっと赤ちゃんが見られるようになってきたかな…
妊婦さん見るのはまだ辛いかな
すでに子供が3人いる身
でもやっぱり赤ちゃん欲しい
抱っこしたい
死産した直後はがむしゃらに欲しがって深く傷ついた心を埋めたかった
若いわけではない
欲しいなら不妊外来に行ったほうがいい
でもそこまでできる?
頑張れる?
結果そこまでは頑張れなかった
頑張れない自分にもがっかりだった
自分の傷を埋めるのに今いる3人の子たちよりいない子を追いかけることに疲れてしまった
カズハを失ってから1年経った頃にあかちゃんはやっぱり欲しいけど自分たちの今の生活も大切だから初心に帰ってゆっくり待とう
そう夫と2人ではなした
わたしは38歳
夫は43歳
そんな悠長なことを言ってられないというの分かってる
でも私たち夫婦にはこれが一番しっくりくる
今年に入って運動を習慣化することに成功した
運動なんて縁のない生活だったのにすごい快挙だ
毎日カズハを想う
何かあると心で話しかけて名前を呼ぶ
わたしはようやくこどもを失った可哀想な母親から卒業しようと覚悟を決めた
あの頃を振り返りそして絵を描いて言語化するのはとても怖いし苦しいこの文章を打ってるだけで喉が詰まって息苦しい
けれどあのときの、死んでしまってると告げられて心も体も全てをえぐられた状態のわたしを一番に抱きしめてあげられるのは今のわたしなんだ
だからまた描こうと思う
絵を描くのが大好きで漫画を描くのが大好きな子供の頃のわたしの夢と
最愛の子を亡くして絶望したわたしに
今のわたしが大丈夫だよ幸せだよと言ってあげたいから自分と向き合って頑張ってみる
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