オキナワンロックドリフターvol.41
コウさんたちと別行動になったことで時間は十分にできた。
10時半に、俊雄さんに会えないかなと未練がましく電話したもののやはり空振りに終わった。俊雄さんはどこにいるのだろう?もしや居留守?フランさんに俊雄さんのサインをプレゼントしたかったのになと少し悲しくなった。清正さんのサイン以外に何かお土産をと思い、オーシャンの常連であるヤスシさんが任されているオレンジレンジのオフィシャルショップに寄ることにした。ヤスシさんは私の来訪を歓迎してくださり、あれこれ勧めてくださった。お財布と相談し、小さなビニールのナップザックとメモ帳を買い、フランさんへのお土産にした。ヤスシさんがサービスとノベルティグッズのボールペンをおまけして下さったのが嬉しかった。
中の町のローソンでちんすこうや亀せんべいを買い、これもフランさんのお土産にと買ったばかりのナップザックに詰めた。
そうこうしているうち正午近い時間になった。お昼にするか。
コザ食堂で牛こまと刻んだピーマンの入った、黒胡椒のきいたチャーハンをぱくつき、栄子マーマーとゆんたくしていると携帯にメールが入った。イハさんからだった。
「今どこ?あと1時間くらいしたら会おうよ」
不安はある。メールの文面からややシニカルな印象のあるイハさんと喧嘩になりはしないだろうか。しかし、会ってから考えようと思い、返信した。
場所はパークアベニューにあるバンブーカフェを指定された。待ち合わせまでまだ時間があるからとしばらくパークアベニューをうろついた。
地球雑貨やアジアンフレイバーズのような面白い店はあるものの、全体的に人通りなくがらんとしたパークアベニュー。インド屋のビクターさんやドリームショップ企画で出店した店のひとつである一銭洋食の店『ゆゆや』の大将も手持ち無沙汰な様子だ。
コリンザも覗いては見たものの、100円ショップとベスト電器以外は相変わらずの機能停止感が漂う雰囲気ですぐに引き返した。
そうこうしているうちに約束の時間がきた。イハさんのお土産はいくつか用意したものからふりかけが数種類あったのでそれを袋に入れた。
しばらくして、キョロキョロ辺りを見回しているTシャツ姿の男性がいた。イハさんだ。
私はイハさんに手を振った。お土産を手渡しながら一礼すると、イハさんもお辞儀された。さあ、サシオフ開始だ。
イハさんは無造作な髪と黒ぶち眼鏡が印象的な男性。やや童顔で、遠くから見ると専門学校生と見間違えるくらいだった。
とりあえず、バンブーカフェに入り、お茶にすることにした。私もイハさんも食事を済ませたということで、名物のジャークチキンは食べず、私はグァバジュース、イハさんはアイスコーヒーをオーダー。
開口一番、イハさんは店の正面を指さしながら、「ここね。前はボイデンってロック喫茶だったの。正面見てご覧、ここにでっかいスピーカーが置かれていたわけ」と、かつてあったロック喫茶ボイデンについて色々話をしてくださった。
イハさんはメールの文体とは裏腹にとてもユーモラスな方だった。
私の猜疑心を解してくださり、臨場感あり、なおかつ軽妙な語り口で80年代のオキナワンロック界隈の話をしてくださった。
アイランド時代の城間兄弟の栄枯盛衰を語る時も私の状態を気遣いつつ話してくださり、大変うれしった。しかし、イハさんが気遣いと弾むような語り口のオブラートでくるんでもやはり驕れる者は久しからずとしか言い様のないアイランド時代の城間兄弟のエピソードとアイランド閉店後の荒みきったエピソードを聞いた時は傷口に塩どころか醤油を立て続けにかけられたような痛みが走った。
項垂れる私を見てまずいと思われたのか、イハさんは話題を変えた。地元の人の目線から見たコザやオキナワンロックの現状は大変興味深く、イハさんが語るかつてあった店の数々は、99年に来沖していれば行っていたのかもなと思う店ばかりで、ため息をついた。
イハさんとは3時間近く長い話をした。
グァバジュースを気に入り、そればかりオーダーする私をイハさんは大笑いしながら「バンシルーじょーぐーか!」とツッコミを入れた。
イハさんのお陰でコザやオキナワンロックに関する疑問のパズルのピースが少しずつ埋まっていく。
目をかっぴらき、一字一句逃さないよう聞き入る私に苦笑いしつつもイハさんはできる限り私にいろんな話をしてくださった。最初にメールがきた時は、悪意なのかと警戒したものの、イハさん曰く若くしてオキナワンロックやコザの深い部分に足を踏み入れてしまって……と心配したからだそうだ。(……その割にはかなり濃すぎる情報を提供しているイハさんなのだが)
あと、イハさんは懐かしさに目を細めながらこんなエピソードも教えてくださった。イハさんのご実家の稼業は清正さんのご実家がお得意さんで、イハさん自身も幼い頃はちょこちょこ清正さんのご実家に行っていたそうだ。清正さんは既にその頃にはミュージシャンとして活動し、ご実家を出ていたそうだが、清正さんの義父であるアメリカ人の男性は清正さんのパネル写真を指差しては“My son”と清正さんを自慢に思っていたこと、イハさんが部活動で吹奏楽を始められた時、清正さんのお母様が「音楽好きな人に悪い人はいない」と手紙を添えたアップルパイを焼いてプレゼントしてくださったこと。
さらに、私のサイトをトミーさんとマッタラーさんは知っており、トミーさんに至っては私のアイランドの音源レビューを読んで、アルバムを聴き直したとイハさんは教えてくださった。それを聞き、ああ、もう永遠にトミーさんとマッタラーさんに会っても口をきいてもらえないなと確信し、遠い目をした。
かなりのダメージは食らったものの、それを差し引いて余りある充実感で満たされたイハさんのサシオフだった。最後に聞かされた情報を聞くまでは。
「ねえ、まいきー。沖縄、特にコザにはね。ハーフでもどの人種の元に生まれてくるかで扱いがだいぶ違うって知ってる?」
「知りませんでした」
なにも知らない私にイハさんは丁寧に教えてくださった。
さらにハーフのヒエラルキーにまつわるエピソードまでレクチャーしてくださり、私にそれが小さな水槽で気に入らない魚をいたぶる魚の群れのように思え、気持ちが滅入った。知らなかったとはいえ、イハさんから教わった話はハーフ残酷物語と比喩したくなる暗澹たる気分になる話ばかりで危うく熱が出そうになった。
それでも、知らないよりはいいと思い、私はイハさんにお礼を言った。しかもかなりがぶ飲みしたグァバジュース代をイハさんが全て支払ってくださったからなおさらだ。
私は去り行くイハさんにお辞儀し、後ろ姿が小さくなるまで手を振った。
ゲート通りまで歩き、ベンチにまた腰掛けながら思った。沖縄に行くのは最後にするべきかなと。
自分の過剰な知りたがりからくる自業自得とはいえ、磨り減った心を擦りながら、もうコザやオキナワンロックを忘れて安穏と生きていくか、まだ正男さんや下地さんに会ってないしもう少し頑張ってみようかと2つの選択肢にぐらぐら揺れた。
さんざ悩んでも答えは見つからず、むしろ悩みは無限ループし、心にさらなるダメージを加えていた。
そうこうしているうちに8 8 rockdayの時間が近づきはじめた。
私はバスに乗り、着替える為に嘉間良のゲストハウスまで一旦戻ることにした。
(オキナワンロックドリフターvol.42へ続く……)
文責・コサイミキ