オキナワンロックドリフターvol.121
朝5時半。足に何か刺さった感触とその後にきた猛烈な痒みで目が覚めた。マットレスが古く、どうやらダニかなんかいるのかもと思いながら痒み止めを塗り、朝食にした。昨日、城間兄弟に渡された袋いっぱいのグァバである。グァバの赤い汁で汚れてもいいようにと、パジャマ代わりの古いTシャツに着替えて一気に食べた。グァバは甘酸っぱく、瞬く間に食べ終えた。
まだそんなに日が照っていないし、散歩するにはいい時間だと思い、長めの散歩をすることにした。プラザハウス近くを歩いた後に引き返し、ミュージックタウンまでてくてく歩く。
途中、園田まで歩いたときには足がすくんだ。2年前の春、俊雄さんのことを、味方のふりをしながら内心は侮蔑していたフレネミーであるコーキーこと西銘広樹の店“Our wish”が通り道沿いにあるからだ。
エンカウントしませんようにと祈りながら歩き、店のある場所を見た。すると、看板は取り外されており、見上げると店の窓に敷き詰められたように飾られていた風船とアンティーク人形はなく、すっかり殺風景になっていた。
「潰れたんだ。なるべくしてだよね」
人の不幸を願ってはいけないと思いながらも、溜飲が下がり、ミュージックタウンまですたすた歩くとまたホテルに引き返し、シャワーを浴びて部屋の冷房をきかせて一眠りすることにした。
そして、午前9時。二度寝から目覚めるとまた散歩ついでにサンエーで買い物をすることにした。 祖母からのリクエストである減塩スパム、19thホールタコスで食べて以来好きなキャンベルのマッシュルームスープ、空港で買って以来病みつきになった丸真の塩せんべい、個人的にはバタークッキーみたいな味わいがあり他社のちんすこうより好きな名嘉真製菓のちんすこうや、琉神マブヤーのパッケージが鮮やかな琉神マブヤーキャンディ等を買い込み、段ボールに入れて郵送した。
そうこうしているうちにお昼になった。お腹が空いたし、お昼にしよう。
行き先は、いつものコザ食堂。
相変わらず栄子マーマーは手早くそばやチャンプルーを作っている。
私の顔を見るなり栄子マーマーは「あいっ!今年もまたきたね。俊雄さんと正男さんに会ったでしょ?顔でわかるさ」と笑顔でおっしゃった。
ばれたか。そんなに顔に出やすいのか私は。
「わかるよー。顔色がいいし嬉しそうだからね」とマーマーに即答されて苦笑い。
私は、城間兄弟とリマレストランで会食したことをマーマーに話した。すると、マーマーは自分のことのように喜んでくださり、チャーハンと一緒に頼んだアイスティーの代金をおまけしてくださった。マーマーなりの「おめでとう」なんだなと思い、うれしさとこそばゆさが混じった気分になった。
さて、腹がくちくなり、中央パークアベニューを散歩することにした。驚愕したのはコリンザの無残に変わり果てた姿である。
ベスト電器が撤退し、ダイソーも撤退したので1階部分はがらんどう。サバゲーでもできそうな廃墟と化しており、上の階にあった古着屋やお土産屋は既に撤退、そば屋やレストランもいつ廃業してもおかしくない寂れっぷりだった。
見てはいけないものを見た恐怖から私はまたコザ食堂へ引き返した。
栄子マーマーがきょとんとした顔で「あんた顔が青いよ!どうしたね?忘れ物?」と尋ねるので、私は正直にコリンザの現状にすくみあがったと話すと、マーマーはふっと笑いつつも遠い目をし、「あそこは曰く付きの場所だからねー」と独り言のように呟かれた。私は追加オーダーをしたブルーシールのチョコミントアイスクリームを食べながらなんとも言えない気分になった。
栄子マーマーに「また来ます」と別れを告げ、照屋まで歩き、ブックオフでホテルハイビスカスの原作を見つけたので買ったり、グランド通りにかわいいカフェができたという話を聞いたのでその場所を訪ねてみたら、既に閉業したのかがらんどうとしていた(後にその跡地はima cafeというカフェになり、コザでも息の長い店となっている)
ホテルに戻ると携帯が鳴った。さっちゃんからだ。さっちゃんは就職し、独り暮らしをされたとのこと。さっちゃんのご好意で翌日から2日間彼女が住むアパートに民泊することにする予定を組んだのだ。
「まいきー、久しぶり。明日の予定を計画しようか」
さっちゃんの声に心弾んだ。
まず、ミュージックタウン横のローソンで待ち合わせしてココナッツムーンへ向かい、清正さんに表敬訪問、そして恩納村の道の駅で食糧を調達してからゆんたくして就寝。
2日目は、出発前に琉神マブヤー好き繋がりで仲良くなったラプラスさんから連絡があり、彼女から諸事情により卒業(離脱?)することになった琉神マブヤー第一期キャスト送別会のお誘いがあり、さっちゃんと一緒に行くことに決めた。しかし、さっちゃんは琉神マブヤーを見たことがないという。しまった。那覇空港でDVDを買えば良かったと悔やんだ。
露骨に悔やみのうめき声をあげる私にさっちゃんは苦笑し、「それなら、キャンパスレコードとか照屋楽器店とかにあるかもしれないから買おうよ」と提案してくれた。
なので、翌日。さっちゃんに会う前にキャンパスレコードと照屋楽器店でマブヤーのDVDを買おうと決めた。
さらに、さっちゃんとの電話を終えるとメールがきた。アイランド好き繋がりで仲良くなり、7月のApacheでの正男さんライブを観られたカイさんからだった。明日来沖するとのこと。それならばとココナッツムーンで待ち合わせすることに決めた。カイさんは「ココナッツムーンだね。わかった。俺、清正さんに会えるのか……」と返信。感慨深さが文面から伝わってきた。
しばらくは部屋でだらだらしていたものの、通りがだんだん騒がしくなり、そうだった。今日から3日間全島エイサーなんだと今更ながら思いだし、意を決して外に出ることにした。
お恥ずかしながら、コザ通いをして6年目にして、初めて見るエイサーである。
初めて見たエイサーが、全島エイサー大会の初日、道ジュネーだったのはラッキーだったと思う。
人の波をそれこそクロールでもするように掻き分けた。いつもは寂れたコザの街がこの全島エイサーの時期になると華やぐという。実際、コザ信用金庫近くのビルにあったカフェるーめい(現在は閉業)で夕飯を取ろうとしたら、満席かつメニューがすぐできるカレーかサンドイッチか焼きそばに限定され、がっかりして飲み物だけオーダーした。
その夜、コザはエイサー隊で盛り上がった。
私は人の熱気に気圧されながら、屋台で焼き鳥やフライドポテトを買い、それらを頬張りつつ、エイサーを見て、青年会毎の個性に圧倒された。
例えば、久保田エイサーは優雅かつゆるやかな舞で、園田エイサーは重厚さがあり、登川エイサーはハイキックとバチさばきを重視した激しさがあり、東エイサーは足腰の動きを重視したヒップホップダンスのような今時感がある。
それぞれのエイサー隊に継承された「型」そして、心意気があるのだなと人々の歓声と勇壮な掛け声の入り交じる通りを歩きながら思った。
道化役のチョンダラーも個性的だ。椰子の実で作ったちょんまげがバカ殿さまを思わせるのもあれば、独自のメイクをしているとこもある、梱包用の紐でモヒカンみたいな髪を作り、ファーのようなものをまとっていて、それらがチョンダラーの演者の体躯と相まって『ジョジョの奇妙な冒険』第5部に出てくるペッシのコスプレに見えるチョンダラーもいた。
特筆すべきは、照屋エイサーのチョンダラー。
白塗りにソフト帽にスーツとどことなく「なるほど・ザ・ワールド」に出てきたトランプマンを思わせるおしゃれなチョンダラーだった。
さらに照屋エイサーの踊りは他の団体より個性的かつどこかソウルフルなのは、以前、照屋がアフリカ系アメリカ人の特飲街だったことも関係しているのかな?と町の歴史に思いを馳せた。
典雅、勇壮、コミカル、素朴、たおやか、ダンサブル、スピーディー、アグレッシブ……。
エイサーはこんなにも違うのかと道ジュネーを生で見て改めて思った。やはり一度は見るものだなと、それまでエイサーに微塵も興味を持たなかった自分を恥じた。
しかし、コミュ障故の悲しさ、あまりの混雑に人酔いしてしまい、すごすごとホテルに帰ることにした。ホテル近くの自販機からさんぴん茶を買って飲み、ごろりと横たわると気分が落ち着いた。
いつもはしんとしているコザが人混みと熱気に包まれた夜。ホテルの窓の外からは未だに三線の音が鳴り、勇猛な掛け声が響いている。
頭の中にはパーシャクラブの「十五夜流り」が延々と流れ、窓の外のエイサーとシンクロし、やがて眠気がくるとそれらはフェイドアウトしていった。
(オキナワンロックドリフターvol.122へ続く……)
(文責・コサイミキ)
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