オキナワンロックドリフターvol.26
清正さんからのまさかの電話に心臓が止まりかけ、私は清正さんに何かしたんだろうか。清正さんを怒らせたんだろうかと蒼白になりながら電話に出た。
「コサイさん?久しぶりだね」
電話から清正さんのよく通る低い声が聞こえた。
「は、はい。ど、どうされました?清正様」
怯えながら返答すると、清正さんから笑われてしまった。
「どうしたの?なんでそんなにびくびくするわけ?こないだココナッツムーンに予約の電話入れたでしょ?明日だったよね。おいちゃんに会わせたい人がいるんだよね」
そうだった。話は前後するが、沖縄は糸満在住の方からサイトに書き込みがあり、掲示板のやり取りからそのうちメールでやり取りするようになり、私が来沖するということで、オフ会をしようという話になった。
まじきなさんと名乗られたその方からココナッツムーンを指定されたので旅行の一週間前にココナッツムーンにて予約の電話。しかし、その日は清正さんがおらず、厨房担当のスタッフの方が応対されたのだった。
そして、オフ会として予約していた日の前日であるこの日、清正さんが確認の電話をくださったのだ。
まさか、清正さん自ら確認の電話をされるとは思わず、何かしたのかと不必要に怯えた自分が馬鹿らしくなった。
取り越し苦労だったことがわかり、ほっとした反動なのか、久しぶりの清正さんの電話に、その後は私にしては緊張せずに話せた。
「お会いできるのを楽しみにしています、清正様」
「待ってるよ。あと、様はつけなくていいから」
清正さんの低い声を心の中でリピートさせて、小さくガッツポーズをした。
明日は清正さんに会えるし、まじきなさんとオキナワンロック談義ができる。
チビさんに会えず、俊雄さんを誘っても断られる寂しい旅行だったので清正さんからの電話は暖かな光となった。
私は大きく伸びをすると、荷物の整理をした。簡易ナップザックに、2日分の着替えをまとめて、お土産と重いコートやらかさばるものが入った鞄は郵送することにして、ナップザックの代わりに、念のために入れていたトートバッグに写るんですやメモ帳を入れてとにかく荷物を簡略化させた。
買ったお土産の整理をしようとしたら、まだ渡していない熊本土産が3つあった。
1つは清正さんにあげる分、もう1つはまじきなさんにあげる分、そして、もう1つは俊雄さんにあげる分。
俊雄さんに会えないのなら、せめてお土産だけでも送ろうと思い、私は鞄を自宅に郵送するついでに俊雄さんへのお土産を城間家に郵送することに決めた。
俊雄さんへのお土産には、熊本土産のふりかけとラーメンとお菓子、コンビニで見つけた、俊雄さんが吸っていた煙草バイオレットに短い手紙を添えて。
「俊雄さんに会いたかったなあ……」
どんよりとした空を見上げながら、私はパークアベニューをうろつくことにした。途中、中古レコード屋を見つけ、私は何かないかじっくり吟味し、好きなバンドであるBlind Melonのファーストアルバムを格安で見つけたので得した気分になった。
パークアベニューはすっかり寂れており、人気は殆どなかった。当時、コザで行われていたチャレンジショップの中で、ブラジル居酒屋のオ・ペイシと後に北谷に移転する寿司ロールの店、スススーンはガイドブックにも載るくらい健闘していたものの、チャレンジショップのひとつであるビートルズをメインにしたロックバー“A hard days night”は力尽き、閉店のお知らせが貼ってあった。そして、その近くのライブハウス、“Cotton Club”も閉店のお知らせがあり、店の最後のライブとして、元コンディショングリーンのシンキさんのライブのフライヤーをドアに貼り散らしてあるのがまるで最後の一花を咲かせるかのように見えた。
アジア雑貨店や、ヴィクターさんというインド人が営むインド屋という雑貨店、スポーツショップや、すっかり寂れて閉店したストリップバーを横目で見ながら通りすぎた。
途中、何かあるかなと思い、パークアベニューの奥にあるショッピングセンターに立ち寄ったものの、正直な話、控えめに言って“まるで機能していない”ショッピングセンターだった。
かろうじて機能しているのは100円ショップと電器店だけで、全体的に陰気な雰囲気を漂わせ、二階の沖縄そば屋とレストランは手持ちぶさたなのか店の前で従業員がうろうろしていた。
全体的に漂う閉塞感にどん引いて、コリンザを後にしてゲート通りを歩くことにした。
パークアベニューからゲート通りまでの道を見回すと、フィリピン料理店のサンパギータからタガログ語の歌謡曲が微かに流れ、その近くには手頃な値段の中華料理屋があり、テイクアウトするのか何人か並んでいた。
桜餅を食べたからかお腹もあまり空かないし、お茶でも飲んで帰るかとゲート通りまで足を早め、“カカフェ”に入ることにした。
“カカフェ”は、当時のゲート通りでは珍しい、本土出身のカオリさんという女性がオーナーのベトナムカフェで、成功している移住者の店として雑誌にも紹介されていた。
ベトナムの雑貨が展示された店に入るとアオザイ姿のカオリさんがにこやかに応対してくださった。
艶やかな黒髪にアーモンドの形をした瞳が印象的なカオリさんはぱっと見、台湾のアイドル女優のようだった。
少し肌寒いので、さんぴん茶をオーダーすると、カオリさんは菩薩のような笑顔で、「あら。ちょうどいいところにチーズケーキが今届いたところなんですよ。お茶にも合いますよ」とチーズケーキを掲げられた。
カオリさんの典雅な笑顔と、掲げられたナッツと林檎のぎっしり入ったチーズケーキが心を揺らす。どうしよう。
私のぐらぐら揺れる心に反して、胃袋は別腹を形成しだした。
「……ち、チーズケーキもお願いいたします」
あっさり陥落してしまった。カオリさんはぱちっと目配せして、普通の1カットより少し大きめにケーキを切り出した。
熱いさんぴん茶も注がれ、ジャスミンのいい香りを漂わせている。
さて、チーズケーキだ。美味しい。見た目に反して甘さは控えめだが、チーズの濃厚さがよい意味でインパクトがあり、林檎の甘酸っぱさと側面にぎっしりまぶされたアーモンド、カシューナッツ、ヘーゼルナッツの香ばしさが甘さ控えめのケーキにアクセントを加えている。笑顔でカオリさんが勧めるだけあるなあと思いながら大きなケーキを堪能した。
カオリさんにお代を払い、大きめに切られたケーキのお礼を言い、カカフェを後にした。
さて、どうしようか。
沖縄滞在まであと3日しかないからしばらく街を歩こうとゲート通りから島袋三叉路、島袋三叉路から銀天街まで長い散歩をすることにした。
銀天街は薄暗く、まるで時が止まったような場所だった。一番街やパークアベニューも寂れてしまっていたが、銀天街は何故か怖さだけしか感じられず、少しだけ歩いて、結局きびすを返してしまった。
仕方ないのでコザ十字路近くにあるブックオフで、沖縄情報誌“うるま”のバックナンバーを何冊か買って、ゲストハウスに帰ることにした。
ゲストハウスの玄関に入った途端にパラパラと雨音がした。また雨かと肩をすくめながら、買ったばかりのうるまを読みながら雨が止むのを待った。
しかし、雨はなかなか止まない。
そうこうしているうちに夜になってきた。チーズケーキは歩き回ったせいかすっかり消化し、お腹がすいてきた。
ゲート通りの南京食堂は開いているだろうか。
白塗りの建物に赤い文字で書かれた屋号が香港のカンフー映画に出てきそうな厳めしさを放つこの店は、上海出身のご主人と、台湾出身の奥様という老夫婦が切り盛りされていた。
当時の沖縄旅行サイトはもちろん、じゃらん、るるぶ、マップルにも紹介された隠れた名店で、聞くところによると、ユーミンこと松任谷由実さんも来沖する度に通っていたそうだ。
空きっ腹を抱え、どしゃ降りの雨の中を歩き、南京食堂へ。
門に書かれた営業時間を見ると……。良かった!開いていた。
私はそっと門をくぐり、階段を上って店内に入ろうとしたのだが……。
いきなり、奥様が般若の形相で台湾語で私を叱咤するではないか、どうしてだろう? 奥様は険しい顔で私の持っていた傘を指差している。
しまった。濡れた傘を持って店内に入るなというわけか。失礼なことをしてしまった。私は店の外にある傘立てに傘を置いてまた入店した。
(オキナワンロックドリフターvol.27へ続く……)
文責・コサイミキ