オキナワンロックドリフターvol.62
さっちゃんとサンライズホテルのレストランでしばらくお茶を楽しんだ。熱い紅茶を飲みながら他愛のない話。
さっちゃんのお陰で、俊雄さんを誘っても空振りに終わった寂しさは解消された。
「時間はまだあるね。まいきー。ドライブしない?どこか行きたいところある?」とさっちゃんから尋ねられたのでハンビーナイトマーケットをリクエストした。
さっちゃんの車に乗り、いざ、ハンビーナイトマーケットまで。しかし、昨年の春に比べて出店は激減し、うら寂しいものだった。
フードワゴンの並ぶブースに集合ということで一旦解散。
歯抜けしたようにまばらになったブースをあちこち歩き、物色したものの、ハンチング帽とウッドビーズのネックレスくらいしかめぼしいものはなかった。
さっちゃんもアクセサリーを数点買ったくらいで終わったようだ。
ハンビーで買い物をし、宜野湾は普天間にあるオスカーの店へ。
……しかし。店は見つかったものの、駐車場がわからない。さらに私のへまでさっちゃんに迷惑をかける始末。どうすればいいのだろう。
パニックになりかけてあわてて携帯で電話してオスカーに迎えに来てもらう。
テンパっている私とあきれるさっちゃんが振り返るとビターチョコ色した肌のジャマイカンがにこにこと微笑んでいた。オスカーである。
「駐車場はここダヨー」
そうナビゲーションする彼の日本語は流暢で朗らかだった。
店のスタッフもウチナーンチュとブロンドにグリーンアイのフランス系アメリカ人と様々だ。オスカーがキッチンに入っている間、彼らと話をした。
特に印象に残っているのはフランス系白人アメリカ人のスタッフ。
オスカーの日本語に比べて日本語がなかなかうまくならないことに悩んでいるのか彼は漢字の本を持ち歩いていた。
気休めにしかならないが、とある映画のセリフから引用して"Oneday , You'll be cool!"と慰めたら、「僕はキャメロン・クロウなの?」と笑いながら返された。お。「あの頃、ペニーレインと」をご存知でしたか。
頼んだ料理が運ばれてきた。
さっちゃんは、見た目がクリームシチューのようなココナッツシュリンプ。
私はジャークチキン。
パリパリに焼かれたチキンはスパイスと炭火焼き独特の香ばしい匂いがした。さて、お味はいかがなものか?……うまい。炭火で焼かれたチキンはパリッとしていて、それでいて噛むと肉汁が溢れ、ふんだんに使われたスパイスの旨味と相まって口が幸せになる、そんなチキンだった。
とても好きな味だったのでうれしかった。
あんまり美味しそうにたべていたからなのか、さっちゃんから、ココナッツシュリンプの皿を差し出され、一口ずつ交換しようとせがまれた。さっちゃんの皿にチキンを入れ、私の皿にさっちゃんがココナッツシュリンプをひとすくい入れた。
さて、一口。おお、クリーミー。ミルキー感ある煮物だけれど後からココナッツの風味が広がっていくらそんなココナッツシュリンプだ。
食べながら、ふと、さっちゃんの皿を見るとさっちゃんの皿にはご飯が別皿に、私はごはんとチキンが一緒にプレートに。
ははは、私は炭水化物大好き人間というのがオスカーにはばればれかと苦笑い。
オスカーが「料理どう?気に入っター?」と私たちの皿を覗きこみ、さっちゃんの皿のご飯が減っていないのに気づくと「ご飯たべないと元気出ないヨー」とさっちゃんの髪をわしゃわしゃ撫で、私の皿を見て、うんうんと頷きながらも「炭水化物はほどほどニネー」とダメ出しした。
食事を終えて私たちはオスカーと話をした。
オスカーはすっくと立ち上がり、カチャカチャと厨房で何かを作り、2杯のグラスを運んできた。
見ると、その飲み物はやたら赤々している。なんだろう。
「ノンアルコールカクテルの試作品。味見シテヨー」
オスカーに差し出されたそのカクテル。近くで見るとさらに赤々としている。恐る恐るさっちゃんと目配せし、一気に飲むとタバスコの辛さが口に広がり、大炎上した。オスカーには、罰ゲーム用のカクテルとして需要があるかもねと批評したら、「それイイねー」とオスカーは考えこみ、私たちは顔を見合せて笑った。
さらに、オスカーのジョークを真に受けてしまい、オスカーに大笑いされ、反撃としてオスカーにチョークスリーパーしたら、さっちゃんに大笑いされたことなど楽しい思い出が増え、2004年の出来事や正男さんの事件からくる疲れや鬱屈がだいぶ軽減された。
私たちはオスカーがかけてくれたレコードから流れるボブ・マーリー、ジミー・クリフ、アスワドを聴きながらゆったりした時間を過ごした。
心残りは強いて言えばオスカーお勧めの"Amon's Deva"が休みだったこと。
オスカーはオーナーのアモンさんの携帯に何度もかけたのがアモンさんは出ず、「せっかくまいきーたちを連れて行きたかったのにナー」と肩をすくめた。
次は城間兄弟と一緒に行けたらいいなと思いながらオスカーの店でさっちゃんとともに食事を楽しみ、"Amon's Deva"に行くことをJasonと約束した。
土産にとオスカーはターキーハムを手渡してくれた。
「またおいでー」
オスカーは満面の笑みでずっと手を振ってくれた。
帰りの車でさっちゃんと私は顔を見合せて笑った。
「楽しかった!また行こうね」
わたしがそう言うとさっちゃんは頷き、微笑んだ。
さて、話は少し飛び、お土産のターキーハムだが。
熊本に帰った翌日に冷蔵庫にあった食パンとレタスの残りでハムサンドを作り、もしゃもしゃと食べた。
ハムはいかにもアメリカのターキーハムだなという味がした。けれど懐かしい味だった。
そして、噛み締める度にオスカーの笑顔やさっちゃんの笑顔が浮かんだ。
また、オスカーが築き上げた城であるあのジャマイカ料理店で好きな人たちと笑いあえたらと切に思ったそんなサンドイッチの味になった。
閑話休題。サンライズホテルでさっちゃんと別れた。
「来年またくる!日にちがわかったら必ずメールするから」
さっちゃんと握手をし、そう約束して別れた。
振り返り、手を振るさっちゃんに私はさっちゃんが車に乗り込み、遠ざかるまでずっと手を振った。
さて、今夜は4回目の沖縄旅行最後の夜だ。どこに行こうか。
私はそのまま、コザの街を歩くことにした。
ゲート通りをてくてく歩いたものの殆んどの店が閉まっていた。カカフェが店休日なので、私はオーシャンへ足を運んだ。しばしの別れの挨拶のためである。
オーシャン店内では、ヤッシーさんと長髪のどこか古い時代劇の素浪人を思わせる風貌と目つきをした男性が談笑していた。
その夜はいやに冷え込んでいたので熱いさんぴん茶をヤッシーさんに所望すると、ヤッシーさんは露骨に嫌そうな顔をして「おまえ、贅沢さあ」とひとりごちつつもさんぴん茶を淹れてくださった。
さんぴん茶を待っているとかなり酔っているのであろう赤ら顔の素浪人氏は私に気さくに話しかけてくれた。
聞くと素浪人氏もオキナワンロッカーであり、本業の傍ら、再結成したとあるバンドのメンバーとなり、ギターを弾き、CDを出しているという。
そして共通の知人であるギタリストの活動縮小へのもどかしさを口にされた素浪人氏の話に頷くと素浪人氏は「だろう?」と食いつかんばかりに返され、私たちは長い話をした。
そして件のギタリスト氏が現段階で残した音源でのギターの音色について討論した。
素浪人氏は「よろしく!」と笑顔で名刺を差し出した。
名刺を見るとうるま市にある食堂の屋号が印刷されていた。行こうと思った店の名である。
今度行くことと行ったらサイトを紹介することを約束して名刺をしまおうとした。
すると、素浪人氏は尋ねられた。サイトはどんなものなの?と。私はありていにサイトの名と内容を話した。
素浪人氏からすっと笑顔が失せ、すぐさまに名刺はひったくるように奪われた。
どうしてなのかわからない。
「ひどい。どうしてそんなことを?」
抗議する私に素浪人氏は聞き取れないくらいの小声で呟いた。
「あんたに紹介されるのが怖いから」
どうしてと問うと、素浪人氏は返された。
なんと、偶然にも私がサイトにupした2004年の8 8rock dayライブレポを素浪人氏は見たらしい。
それについての抗議へと素浪人氏の話は変化した。
考えが浅い、俺はあいつらを見ているからわかる。
君は間違っている。
それに君は文献や資料を読まずに正直さを売り物にして浅い意見を書いているのだろうが大間違いだ。勉強しろ、と。
さらに素浪人氏は唾を飛ばさんばかりに捲し立てた。
オキナワンロックにはおまえらヤマトンチュにはわからない重い歴史がある。それは不可侵なんだ。誰も傷つけないサイト作りに励め、励めないなら閉めろと。
……なんて暴論だよと、私は自分のことを棚にあげて素浪人氏を睨みそうになった。
素浪人氏は酔いが回っているのもあるのだろう。別のサイトでもオキナワンロックについての批判を読んだのだろう。
素浪人氏の強い口調とは裏腹に暴論を唾を飛ばさん限りに話すその素浪人氏の瞳は泣きそうに潤んでいた。
そこに脆さを見た。
フラジャイル・ロッカー。
そんな言葉が頭をよぎった。
と、同時に好きな映画の台詞が浮かんだ。
「俺たちは世界を変えようとして自分が変わってしまった」
素浪人氏ももしかしたら本土に挑み、挫折した過去があるのかもなと推測した。
ヤッシーさんも私たちのやり取りを見ながら苦笑いしている。
しかし、素浪人氏には素浪人氏なりの意見があるのだろう。
いがみ合っても仲間は仲間。その仲間を守りたいがためにこうして私を批判しているのだろう。
だが。素浪人氏には言わなかったがこう思う私がいた。
吹き溜まりだな。そうやって小さな庭で守りあっても何も進展しないよ、と。
しかしそれを素浪人氏に面と向かって言ったら、あっという間に噂が広がり、次に沖縄に来たときに見知らぬ人に石をぶつけられるかもなあと思い直し、必死でその言葉を飲みこんだ。
しかし、名刺は奪われたが素浪人氏は本業である食堂にはいつかおいでと言ってくれた。そばといなり寿司のセットが一番人気なんだと照れ臭そうに呟かれた。
そこに彼の純朴な朗らかさと憎めなさを感じた。
すっかり冷めたさんぴん茶を一息で飲み干し、ヤッシーさんと素浪人氏に一礼してオーシャンを去った。
寒々とした外の空気を吸った途端に大きくため息をついた。
日曜の夜のゲート通りはしんと静まり返っていた。
19thホールタコス、南京食堂、マリアは今はもうない。パルミラ通りを歩くとコザクラは店休日らしくシャッターが降りていた。
北風がやけに冷たく、体温を奪った。
コートの襟を立てて私は夏の終わりの蛍火のように物悲しいゲート通りのネオンと道路を横切る車のライトをずっと見ていた。
(オキナワンロックドリフターvol.63へ続く……)
(文責・コサイミキ)