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意味のある人生だった

あるnoteの記事で、とても感動した言葉がありました。

死ぬときにどういう人生だったと思って死にたいか

・学びたいことをすべて学びきった人生だった。
・これまでの出来事すべてに意味があった。
・周りの人のことが大好きだし、私も彼らにいい影響を与えられた。
 →私の生きていることに、意味はあった。

何度読んでも、いい言葉だと思います。

地震があった12年前、僕は「死ぬまでにしたい10のこと」を数えました。

1.今の仕事で、それなりの人になる
2.妻に、僕の妻で居てくれてありがとう、という
3.友人に会って、友人で居てくれて有難う、という
4.最高の音楽を聴く
5.最高の酒を飲む
6.息子と娘と、おいしいものを食べる
7.妻と二人で旅行する
8.新しく服を誂える。
9.グスタフ・マーラーの「復活」をコンサートで歌う
10.いい親父である

それから、何人もの旧友に連絡を取り、会い、酒を飲みました。テーラーに行き、ジャケットを誂え、行きつけのバーを作り、いくつかのオーケストラとホールの会員になりました。息子と娘は私が喜ぶならと飲み屋のカウンターの横に座ってくれ、妻は1年に一度の旅行を楽しんでくれました。

声楽の先生につき、レッスンを受け、いつ来るかもしれないチャンスを待ち続けました。その僕に、今年、アマチュアオーケストラの「復活」の合唱団に参加する機会が巡ってきました。そのことに、実は今驚いているところです。

でも、「いい親父である」ことに死ぬまで終わりはないでしょう。死ぬときに、「いい親父であれた」と思いたいものです。


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