【映画】アニメを侮ることなかれ【イノセンス(攻殻機動隊)】
おはこんばんちは!
アップが遅れちゃいました。というのも、気持ちわかってくれる人たくさんいると思うんですが、緊急事態宣言が明けて今までの「仕事をする」に身体がついていかないんです…汗
完全に「ステイホーム慣れ」してしまった身体と脳を元に戻すにはもう少し時間がかかりそうです。
映画を観る本数も格段に減ってしまったここ最近。今回はちょっと前に鑑賞した映画をご紹介。
ステイホーム習慣にハマって、その全シリーズを制覇した「攻殻機動隊」より、『イノセンス』という映画をご紹介します。
まずは、「攻殻機動隊」とはなんぞや、というところからだと思うのですが、そこから話すと『イノセンス』にたどり着くまで時間がかかりすぎてしまう…簡単に世界観だけ。
舞台は近未来の日本。科学技術が進化し、人間の脳が直接インターネットにつながることができる「電脳化」や「サイボーグ化」が進んだ世界において、テロやなどの犯罪を事前に察知してその被害を最小限に抑えることを目的とした内務省直属の公安警察組織「公安9課」(これを通称『攻殻機動隊』と呼ぶ)の活動を描いた物語。
つまり、人間が常時ネットに繋がった状態になるため、位置情報を共有したり、喋らなくても意思疎通ができたり。いわゆるSF系の物語と捉えていただけたら(ファンの人たちに怒られてしまいそうですが…)
生きているってどういう状態なんだろう
アニメシリーズや数ある劇場版シリーズなどがパラレルワールドになっていたりするので、背景はかなり複雑です…。今回はとりあえず、この作品単体で考えるものとしていきましょう。(ちなみに、僕はアニメシリーズを一通り見てから鑑賞しましたが、この作品単体で観ても大丈夫!なはず。笑)
ということで、『イノセンス』では、アニメシリーズで第1サブキャラの立ち位置だったバトーが主人公となった物語。
生身の人間や完全にサイボーグ化された人間、脳だけネット化(電脳)されている人間などが入り混じる世界の中、バトーはほぼ全身電子化。
そんなバトーの相棒は生身の人間であるトグサ。全身電子化され、身体はサイボーグ化しているバトーはどれだけ銃で打たれても、「修理」すれば元に戻ります。反対に、トグサは生身の人間ですから、当然銃を向けられれば「怖い」わけです。この、生身とそうでなくなってしまった人間という2人の価値観の差がこの作品の一番のテーマだと思います。つまり、「ヒューマニズム」への問題提起。身体と魂。「生きている」ということはどういう状態なのか。かなり哲学的だが、当たり前のその疑問にスッキリ答えられる人はそういないのではないでしょうか。
物語のあらすじとしては、『ハダリ』という少女型のアンドロイドが持ち主を殺害する、という事件を上記の2人が解決するというものですが、その中で、僕が一番印象的だったシーンが、検視官を訪れるシーン。
ハラウェイ検視官
「…子供は常に人間という規範から外れてきた。つまり確立した自我を持ち自らの意思に従って行動するものを人間と呼ぶならね。では人間の前段階としてカオスの中に生きる子供とはなにものなのか。明らかに人間とは異なるが、人間の形はしている。〜中略〜つまり子育ては、人造人間を作るという古来の夢を、一番手っ取り早く実現する方法だった、そういうことにならないかと言ってるのよ。」
トグサ
「子供は…人形じゃない!」
バトー
「人間と機械、生物界と無生物界を区別しなかったデカルトは、五歳の時に死んだ愛娘にそっくりの人形を、フランシーヌと名づけて溺愛した。そんな話もあったな。」
赤ちゃん、子ども、青年、大人、おじいちゃん、そして、男と女…。「人間」と一括りで言っても、それぞれは全くの別物のような生き物ですよね。いつか自分も結婚して、子供を産んだときに、自分の赤ちゃんをどう捉えるのか。愛すべき存在だが、不思議な生き物だと感じることもあるだろう。そんな美しい生命体である「人間」がという存在がどういう存在であるのか、そんなことを考えさせられるような映画になっています。
アニメーションという魅力的な世界
この作品は2004年に公開された映画ですが、映像のクオリティがとても高く、観ていてその世界観に引き込まれることは間違いありません。そして、映像のクオリティはもちろん、アニメだからこそ描ける世界観や問題提起がとても奥が深い。
「アニメだから」と敬遠する人がいたら、ぜひ、日本のアニメーションの世界に足を踏み入れてほしいな、と思います。
と、映画だいありーでは、「アニメ好き」の立ち位置をとらせて貰っているので、これからもアニメ作品を定期的に紹介してこうと思います。
現在、世界では人種差別が大きな問題になっていますね。同じ「人間」にどうやって差をつける、優劣をつける、のでしょう。みんな生まれた時は赤ちゃんで、同じように歳をとっていくんです。そこに差や優劣なんてありません。
no to racism
see you next time.
ぐっさん。