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どれも正しいけど、どれも正しくない。

「群盲(ぐんもう)象を評す」というインドの寓話があるそうです。
こんな内容です。

あるとき、群盲(目が不自由な人たちのグループ)が、生まれて初めて「象」というものに触れる機会がありました。彼らはそれぞれ好奇心のままに象に手を伸ばし「象」とはどういうものなのか理解しようとしました。
ある者は象の足を触り、ある者は象の鼻を触り、ある者は象の耳を触り、ある者は象の牙を触り、ある者は象のお腹を触り、ある者は象の尻尾を触りました。
その後、別の人から「象とはどんな生き物だった?」と尋ねられ、彼らは答えました。

足を触った人は「象というのは、柱のような生き物だった。」と答え、
鼻を触った人は「いいや、象とは木の枝のようじゃった。」と答え、
耳を触った人は「いえ、あれは扇のようなものだった。」と答え、
牙を触った人は「いやいや、あれはパイプのようなものだと思うよ。」と答え、
腹を触った人は「え? あれは壁みたいなものだったよ。」 と答え、
尻尾を触った人は「いや違う。象とはロープのような生き物だ。」と答えました。

鼻や牙、耳、それぞれのパーツは象という生き物を構成するものであり、その意味では各人の回答は間違ってはいません。ただし、象という「全体像」(シャレではない)を理解しようとするとき、個々の回答は正しくありません。

この話、似たようなケースが思い浮かびます。
介護・福祉の多職種協働です。
利用者さんという「人」をそれぞれの職種の立場でサポートするんですが、それぞれの専門分野の知識や経験で、それに偏って見てしまうことありません?
相手はロボットではありません。人間は、体の健康、心の健康、生活環境、生い立ち、人間関係など、様々な要素が複合的に合わさって、状態や症状として現れます。
それぞれの職種が、象の耳や牙のように部分で捉えず、人として全体を捉えることができれば、きっと良いサポートができるんだと思います。

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