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「成長すること」を成長させる

みなさま、あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。


年が改まったところで、「書き初め」といきたいと思います。
新年の計は元旦にあり。

はい。抱負を述べさせて頂きます。


昨年末に、「キチンと書く」といったようなことを申し上げてました。

「独りよがりでいいんだ!」

同じようなことを、別の言い方で述べてみます。それが、

「成長する」ということ。
「成長すること」を成長させること。

「独りよがりでいいんだ!」では、抱負になりませんからね...



ぼくたちは一人ひとりの存在として生きていて、それぞれに「好きなこと」があります。

それぞれの個性によって、

 「好きなこと」が表に出てくる人
 (「好きなこと」が思い浮かぶ人)

と、

 裡に秘めた形になる人
 (応援することが好きな人)

とに別れたりしますが、とにかく、
生きているかぎりは「好きなこと」を抱えるのがヒトという存在のアルゴリズムです。

このヒトのアルゴリズムに従うなら、

「好きなこと」は「できるようになりたいこと」

です。すなわち成長への欲求

そして成長への欲求は、そのまま認知への欲求となります。

 「好きなこと」
 「できるようになりたいこと」
 「できると認められること」

の三つの欲求は三位一体で、しかもそれには裏表があって、

 「(好きなこと)を応援したいこと」
 「できるようになってもらいたいこと」
 「できると認めてあげたいこと」

がそれぞれ裏表になっています。

個性によって「表」が表に出て来やすい人と「裏」になりやすいタイプとがあって、またもちろん両方のタイプが一人ひとりの中にもあって、この裏表がヒトをして「人間」という存在を作り上げている。

「認められたい」と「認めてあげたい」の裏表の欲求を抱えているということが、ヒトという存在の特徴。すなわち社会性というやつです。


社会性のある生き物はヒトだけではないでしょう。ヒト以外でも社会性がある生き物には、同じく「認められたい」と「認めてあげたい」の裏表の本能的な欲求があります。

本能的だということは逆に言うと限界があるということですが、ヒトの場合は限界を設定する本能的な部分がないようなところがあります。「認められたい」も「認めてあげたい」も、どこまでも成長していくといったようなところがある。

「欲求に限界がない」ということが、ヒトという存在のアルゴリズムだということです。


本能的であるならば、そもそも「好きなこと」という欲求の形が存在しません。「好きなこと」がないならば「(好きなことを)応援したこと」もないし、「できるようになりたい」も「できるようになってもらいたい」もない。ただ「認めてもらいたい」「認めてあげたい」があるだけ。

「好きなこと」という欲求の形が存在するということがヒトという生き物の大きな特徴で、それはおそらく、ヒトが非常に未熟な存在としてこの世界に生誕してくることと深く関連しているはずです。


ヒトにだけ存在するであろう「好きなこと」をいう欲求の形。それは、ヒトにだけという意味においても「独りよがり」だし、人それぞれの中に個性として表れるという意味でも「独りよがり」でしょう。

とはいえ、ヒトの社会性が健全に機能しているのであるなら、すなわち人間が人間として健全であるから、「独りよがり」は“独りよがり”と表現されるようなアンバランスな印象にならない。そうした印象になってしまうのは、「独りよがり」を受け止めたいとする欲求の成長が不十分だから。

すなわち、どこまでも成長していく(はずの)ヒトの社会性の成長が、裏表の「表」だけが突出して成長した歪な形になっているということ。


欲求が歪んでいるから社会が歪んで、「よがり」が生まれてくる。それが、ぼくが「キチンと書きたい」と考えていることであり、今年の抱負です。


持って生まれたアルゴリズムに沿って健全に成長していくならば、すなわち表裏のバランスが取れているならば、個々に不運な出来事があって小さな不均衡が生まれたとしても、それらは大きなアルゴリズムへの流れに回収されていくことになるでしょう。そうした状態が、ぼくが考える〈しあわせ〉というものです。

生き物は自身が抱える能力を十全に発揮することに悦びを覚える。その能力の発揮がたとえ「独りよがり(表)」であったとしても、「独りよがり(表)」を認める他者の「独りよがり(裏)」の欲求と共鳴することで、全体として均衡する。「独りよがり」を認めたいという欲求の発現もまた、その生き物の個性に沿った能力の発揮に他なりません。

それが歪な成長の仕方になるのは、そこに何らの理由があるからです。アルゴリズムの一方の発育を促進させ、一方の発育を阻害するメカニズムがあるからでしょう。


アルゴリズムがなぜアルゴリズムなのかは、その構造上言い表すことができません。「語りえないもの」として沈黙を持って受け入れるべきもの。一人ひとりの裡に存在する神秘として尊重すべきもの

一方でメカニズムには理由があり、それは言い表すことができるはずのもの。言い表すことができるのであるならば(キチンと)言い当ててみたい。


「言い当てたい」という欲求は、ぼく自身の成長への欲求です。

この欲求はぼくの「好きなこと」であり、だからすなわち「できるようになりたいこと」であり、「認めてもらいたいこと」。

そしてそれは同時に「(他人の好きなことを)応援したい」ということであり、「できるようになってもらいたいこと」であり、「認めたあげたい」こと。

これら三位一体裏表の六つを、自身の「好きなこと」として言い表したい。言い表したことを認めてもらって、それぞれがそれぞれに「好きなこと」としてもらいたい。

そうなれば、言葉通りに、

「(一人ひとりの)成長すること」を(みんなで)成長させていくことができるようになる

と考えるからです。

感じるままに。