あのカレー店に通う理由って。
「足繁く」と言っていいくらい、通っている店がある。
くねくねとした道、幾分古い住宅地にある、
カレーとごま豆腐デザートが美味しいあの店。
夏にできた、かなり人気の店。
店の名前は石本商店。
週末にしか立ち寄れないのに、毎週末ウキウキ通っている。
行列も混雑も大嫌いなのに、開店前から列に並んでワクワク待っている。
開店前に並べない時は、売り切れが心配でずっとソワソワしている。
店で食べる時間がなくても、何とか寄ってテイクアウトしている。
家や近所の公園で、テイクアウトしたカレーとごま豆腐をニコニコ食べている。
あの店との出会いは確かこんな言葉。
「知り合いのごま豆腐屋さんが、スパイスカレー屋さんを開くんです!」
いつもお世話になっている人が言った。
自分のことじゃないのに、何だか誇らしげな声音だったんだ。
ごま豆腐には小さな思い出がある。
遠い親戚のばばちゃん。
ごま豆腐を作るのが上手だった。
たまに頂いて食べるツルツルピカピカした甘いごま豆腐。
作り方をいつか教えてもらおう。
そう思っていたのは、ずっとずっと前の話だ。
教えてもらうことなく、ばばちゃんは遠いあちらの住民になった。
ごま豆腐、食べたいなあ。
ちょっと行ってみようかな。
そんな風な出会いで今日まで毎週末、ランチはあの店のカレーとごま豆腐。
先週末も、先々週末もあの店に行ったし、
今週末はもちろん、
来週末も、再来週末もあの店に行くと思う。
なんでだろう。
カレーは好き。
普段からあちこちのカレー店を食べ歩いている。
出されたお皿の最後の一口が評価の分かれ目。
「また食べに来よう」の店か、「もう来なくていいや」の店か。
また行きたい、カレーが美味しい店はいっぱいある。
それなのに最近、週末のランチは決まってあの店なんだ。
あの店のカレーは、最後の一口が「なくなっちゃう」カレーだ。
味や野菜が週替わり、ちょっと和風のスパイスカレー。
キーマと魚介カレーのあいがけ、どちらが好みか、先週のカレーとどちらが美味しいか、いつレモンを絞って味変しようか、混ぜてみようか。
考えているうち、
「あーあ、なくなっちゃった。また食べに来なきゃ。」
でも、あの店に通う理由はこれだけじゃない。
ごま豆腐の名前は「ごまうふふ」
うふふ。
ちょっとくすぐったい。
店主がおじいちゃんから継いだごま豆腐作り。
ナッツとアイスの下に作りたての「ごまうふふ」
一番のお目当てなんだ。
ばばちゃんのごま豆腐よりもヤワヤワふわり甘い。
習えなかったピカピカしたごま豆腐。
もう会えないばばちゃん。
スプーンからトロンと逃げる「ごまうふふ」を追いかけるうち、
「あーあ、なくなっちゃった。また食べに来なきゃ。」
でも、あの店に通う理由はこれだけでもない。
子どもの頃、アイスを買いに通った近所の何でも屋さんのような店構え。
夏の終わり、入店待ちの列に並んでいたら窓から差し出されたうちわ。
ガラス戸に丁寧な字で手書きのメニュー、その向こうに見えるオレンジ色の丸いライト。
レジ前のキラキラした彼女の透明な声とことば。
お年寄りにひとつひとつメニューを説明する横顔。
コロンとしたグラスとカレーの盛り付けを「カワイイ」と喜ぶ若い女性客も可愛い。
銀色のスプーンに彫られた「enjoy!」。
テーブルの真ん中の花の佇まい。
畑の片隅で見た菊やケイトウがここでは主役。
もう会うことのない彼の車のトランクに隠してあった花束のガーベラ。
隣席のお兄さんから聞こえた「いただきます。」の小さく低い声。
いつもより大盛りの付け合わせ。
ジンジャーシロップソーダの向こうに透けて見える作り手。
大嫌いなコーラも不思議、おいしいんだ。
カレーの中から出てきた星形のスパイス。
ごま豆腐を説明する店主の口調。
丸いグラスに入って丸い味の紅茶。
「バイバイ」手を振る子ども。
穏やかなスタッフの距離感。
「ありがとうございます。」まっすぐな目線。
レシートに刷られたメッセージ。
「いいね」の赤いハート。
店内に流れるスピッツのメロディ。
この歌を歌っていた頃、何を思い何に迷っていたかな。
『あいしてるの ひびきだけで つよくなれる きがしたよ』
あの頃と『あいしてる』の響きも『つよさ』の意味も、もう変わったな。
タイムスリップからの帰還。
旅した気分。
そんなことも理由のうち。
あの店に通う理由はひとつじゃないんだ。
誇らしさも、優しさも、あこがれも、くすぐったさも、後悔も、なつかしさも、そして、未来も、みんなお皿に乗ってこぼれそう。
スプーンで追いかけるうち、
「あーあ、なくなっちゃった。」
またあの店に食べに行くんだ。