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「もうええわ」で終わらない人生

なんか、もう、ええわ。とずっと思っている。
もう、ええわ、人生。もう、終わりにしよや。と誰もいない部屋で何にもない天井に投げかける。
なんかもうしんどくないか?人生。

深刻に悩んでいるとか、心を病んでいるとかそういうことではないと思う。多分。でも、なんかもう、ええわ。と思い続けている。

「死にたい」ではない。どうしようもなく追い詰められているとかそんなわけではなくて、これはもっとポップでフランクな感情だ。
「死にたい」ではなく「消えたい」ともちょっと違う。
誰かがSNSで言っていた気もするが、感覚としては、漫才を終わらせる感じで「もうええわ!どうもありがとうございました~。」と人生を終わりにしたいのだ。
「雨が降り出したから買い物行くのやめよ」とか、「一日部屋にいたから、別に今日はお風呂はいいや」とかの「まあ、もうええわ」ぐらいの気持ちだ。

とはいっても誰かに伝えるには、空気を凍らせかねない話題ではあると思うので、ここに吐き出そうと思う。
以前、保険の勧誘をされたときに、「いや~別に長生きする気がなくて、将来のことがピンと来ないんですよね~、もう別に今終わってもいいし。」みたいなことを軽く言ったら「いろんな事情はあると思いますが、生きてください。」と熱を持って言われた。それが普通の感覚なのかもしれない、と思いつつ、かなりうんざりした。
だからひっそりと今思ってることをここに記していく。

「死にたい」とは少し違う。
ありがたいことに家族は私を愛してくれているので、私が死ねば悲しむ。誰かを悲しませたいわけではない。
それに私に自らの命を絶つ勇気はない。
理想は、はい、という瞬間に私の存在ごと消えることだ。そのあとには、私が生きていた証拠も、記憶もこの世から消える。それが理想だ。
でも、もちろんそんなことはありえない。
私たちは社会の中で生きて、生かされている。誰かと繋がりながら、自分というものを作ってきた。
社会や繋がりは、私を無かったことにはしてくれない。それが苦しい。
何がそう思わせるのかはいろいろある。社会情勢、政治、毎日目に飛び込んでくるニュースは「もうええわ」とうんざりするものばかりである。
でも多分それだけではなくて、言葉では説明できない何かが奥の方でぐるぐると渦巻いている。

多分私は恵まれている。だからこんなことを思えるのだとも思う。
支えてくれる家族がいて、信頼できる友達がいる。仕事をしばらくしていないが、問題なく生活できている。
多分何か一つが欠けていたらそうは思えない。そんな選択肢を考えることがないか、もっと深刻に「死」について考えるだろう。
でもそうではない。そうではないからこそ、もういいのである。もう自分の人生を生きていたくはない。

人生100年時代。現在、20代半ば。単純計算であと80年近く。
気が遠くなる。本当に嫌だ。

スマホを開けば転職サイトからのメールが大量に届いている。
私は今締め切りが迫った履歴書と近日中にある面接対策をほっぽり出してこれを書いている。
働くとは生きることである。生きるために働かなくてはならない。
もう終わりにしたいと思っていても、終わらせる度胸はないのだから。
これだけ文句を言っても私はこれから仕事を探すし、情けなく生きていく。
もうええわ、と思う人生はこれから続いていく。

いつかこの文章を笑い飛ばす日が来てほしいと思うが、多分そうはいかない。まっすぐな希望を持って生きることはおそらくない。
というか多分、これからも「もうええわ」と思い続けていく自信がある。
もしも、「もうええわ」と思わなくなったときがくれば、どこかで追記してほしい。意外と人生捨てたもんじゃないぜ、なんて。

少なくとも2023年時点の私は、自分の人生に対して「もうええわ」と思っている。

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