退路を断たせるな(#261)
どうも、「楽しい」のキッカケをつくる、ご縁をつなぐ異端児イシグロファクトリーです。
よく、行動する為に「自分を追い込む」なんて退路を断たせることで成果に繋げるなんてことを言うかたがいます。
それはそれで、ひとつのやり方なので決して否定しないですし、実際に退路が断たれたことで尻に火がついて行動出来ることもあるでしょう。
しかし、それを半強制的に「覚悟が足りない」なんて形で追い込むような持って行き方はどうなのかな?って思ってしまいます。
それを伝えた側が、どんなことがあってもとことん関わる覚悟があれば、退路を断たせるくらいのことをしてもいいのかもしれません。
しかし、退路を断たせるだけ断たせて、あとは本人次第…なんとも無責任ではないだろうか?と感じる。
それこそ、言った方も、その相手にとことん関わる覚悟を持つために退路を断つべきではないだろうか?
そうじゃないのであれば、他人の人生を左右するかもしれない言葉を無責任に浴びせる権利はないと思っています。
十人十色…
追い込むだけでは行動に移せないタイプの人だっています。
#昔ガチガチに緊張していた先輩が100人10色っていってた
#10人1色じゃん統一感すごい
野球で言えば、全員が4番バッターではない、サッカーで言えば、全員がフォワードではない。
#ふざけるから例えが入ってこない
それぞれの特性に合わせたアプローチをする必要がある。
つまり「正解は1つ」ではないということだ。
人はつい自分の成功事例こそが成功する唯一の方法だと思い込んでしまう。
でもそれはあくまでその人にとってのことなのである。
所詮、そんなものは1つのキッカケにすぎない。
最後やるのはその人次第なのだ。
だからこそ、無責任に追い込むレベルまで言う権利は誰にもないと思っているし、言うならとことん付き合おうかって話。
話は逸れるが、誹謗中傷だってまさにそうだよね。
無責任に言葉を浴びせることによって、他人の人生を狂わせてしまうかも?なんて冷静な判断が出来ない人たちが「そうだ、そうだ」なんて攻撃し始める。
よほど自己肯定感が低く、ストレス過多の状態で、自分に自信がないのだろうなと感じる。
#いちいち攻撃的
#でもたぶんあってる
言葉には責任が伴う
そのことを肝に銘じてオンライン、オフラインで発言をしていこうではないか。
言葉はブーメランってよく言うでしょ?
てこと。