悔しがり方を間違うな(#182)
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お風呂が沸いたのに作業に夢中になって、すぐにお風呂が冷めてしまう、熱しやすく冷めやすい男にぴったりなしうちをお風呂に受けるイシグロファクトリーです。
「悔しい」という感情を抱く瞬間ってありますよね。
僕もよくあります。
しかし、この悔しい感情ってなぜ悔しいのでしょうか?
例えば、僕の趣味のビリヤードに置き換えると試合に負けると「悔しい」という感情が当然のように芽生えます。
ではなぜ負けると悔しいのでしょうか?
なぜ勝ちたいのでしょうか?
こう考えると「悔しい」って感情って割と安易に使っているなと感じます。
じゃあ負けことが悔しいと思って、翌日から練習に明け暮れて1週間後には、その熱が冷めて、すっかり練習をしなくなる…
こんなこともよくある話です。
これを見ていた周りの人間からすると「あいつの悔しさってそんなもんか」って思う人もいるかもしれません。
そう考えると、人の感情なんて案外あてにならないものなんです。
なぜそう思うのか?ここが大切です。
昔、同年の経営者が同じ経営者仲間に色々言われて、こんな状態に陥っていました。
「あぁ、悔しい…言い返せなかった」
相手に論破されたことが悔しかったのだ。
そこで問う…
「あの人に、ぎゃふんと言わせるために今のことをやっているの?」
「違うけど、言われっぱなしだとムカつくじゃん」
この時点で目的がすり替わっているのだ。
もし悔しいと感じたひと言を経営者以外の人に言われていたらどうだろうか?
もしかしたら立場が違うからって相手にもしなかったかもしれない。
つまり、発言内容ではなく「誰に言われたか?」「どのシチュエーションで言われたか?」ここに左右されている時点で、その言葉自体に悔しがる必要性はなくなるのだ。
リスペクトしている経営者に言われたら納得していたかもしれない。
このように、ついつい目の前のことに気を取られて本来の目的を見失ってしまうものなのだ。
こんな時こそ「何のために?」という目的意識を再確認することって大切です。
そうじゃないと、悔しがらなくていいところで、その感情と闘いモヤモヤすることになります。
ひどいケースだとブレたまま本来の進みたい道とは違う道を進んでしまう。
それってすごくもったいないし、そんなつもりなくても、客観的にみていて、あぁ目的ずれたところで間に受けているなって人をよく見かけます。
そんな人をひとりでも救いたいって思っているからこそ、新しいコミュニティを創ろうと思っています。
それはある意味、僕なりの理論の証明の場でもあるのです。
こういうチャレンジはワクワクしかしないのだ。
あなたの悔しいは、どこから?
#まさかのベンザブロック締め
てこと。