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嵐で折れた枝が助けてくれた、反省の嵐からの復旧作業のこと

木削り場を開くことに向かって、すこーしずつ準備を進めているわけですが、ようやくハード面での準備が少し整ってきたので、ソフト面の準備に入りました。

すなわち、自分の心の準備と、それからもろもろの段取りの準備です。

それで先日、スプーンを削りたい!という友人が来てくれて、相方と3人で木削りセッションをしてみました。

自分ひとりで削るのと、木削りを分かち合うのとでは、やっぱりだいぶん違います。

とりあえず、人数分のはつり台を用意して、刃物をよく砥いで、おやつの用意をして、工程をおさらいして、とそこまではよかったのですが、なんというか準備はそこ止まりでした。前日まで外仕事などで忙しかったこともあるんですが。。。

■なりゆきにまかせてしまいました

当日はなんとなく、ゆるく始めました。事前のリクエストは「食事用スプーン」だったのに、台風で折れたソメイヨシノの枝と、イロハモミジの剪定枝と、どちらがいいかをきいて、ソメイヨシノを選んでもらったところから、ぐんぐんコース外れになっていきました。。。

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△10月の台風の後、川沿いを自転車で走っていたら落ちていたソメイヨシノの枝。

というのも、このソメイヨシノ、いい感じで曲がっている部分があって。そしてそこそこ太さもあって。これを活かすと丈夫なサービングスプーンができそう、とつい思ってしまったのでした。

材のありようにひっぱられてしまった。そもそもこのソメイヨシノの状態をちゃんと見てなかった自分もいました。当日になってちゃんと見て、「あら、これ、いい曲がり材。。」と思ってしまったのでした。

スウェーデン式の、曲がり材からつくる大ぶりのサービングスプーン。これはグリーンウッドワーク初めてさんにはちょっと無謀では?と冷静になった今はわかるのですが、そのときはもう、この材を一番いいように、というメンタリティになってしまい💦

それでもちろん、まず半分に割るところから一苦労。木口が台と並行にならないのでトリッキーなのです。

友人と二人がかりで奮闘して、無事割れましたが、もう割れただけでなにか一大仕事を成し遂げた感じでした。。。

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そのあとは斧で樹皮を落とし、成形していく作業。大きいのでそれだけ時間がかかりました。ただ、友人は斧での作業をすごく楽しんでくださいました。そもそも部屋に入った彼女が最初に手にとって「わー💕」と目をハートマークにしてたのは、斧。

革カバーに入った斧を胸に抱いて「これ、欲しい!」と使う前から言いだすくらい斧と相思相愛だったせいか、初めての斧でのカービング(はつり)なのに、すぐにいい感じになりました。いい音をさせて、のびのび振り下ろし、ときには休憩に踊ったりしながらはつる彼女。。。

そのあとおやつをはさみ、フックナイフ(スプーンナイフ)とストレートナイフでの作業に移りましたが、斧での作業を攻めすぎた(時間をかけすぎた)せいで、ナイフの作業は時間切れに。。。

わたしもだんだん「時間が足りないかも💦」と焦ってきてしまい。。。説明がとびとびにもなるしで。。。しかもフックナイフ(スプーンの匙面を彫るナイフ)の使い方を上手に伝えられなくて苦労をかけてしまったすえに、匙面に小さな穴が開くアクシデントも。

ご本人は「これもいいですよねー♪」と陽気に言ってくれましたが。。。サイズダウンして食事用スプンにするかこのままいくか、迷いどころに。いずれにしてもスプーンは完成には至らず、続きは次回、ということになってしまいました。

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■自然現象というか、過去からの反射運動というか。。。とにかく、反省の嵐

そして、その夜から、私の中で反省の嵐が吹き荒れました。もうこうなると、反省という名の自分いじめです。

「やっぱり私がひとに何かを紹介するとか手ほどきするとか、無理なんだ。。」と、激しく後ろ向きになりました。実はもうこれはずうっと前から、10年くらい前からのパターンで、自分にとって大切なものであればあるほど、うまく伝えられない、うまく分かち合えないという信念(?)がわたしにはあるわけです💦

お先まっくらになって、その反省の嵐が来たことを友人と相方に伝えたのですが、そうしたら当人たちは「ほんとに楽しかったよー!」と言うのです。友人は「ほら、この目を見てもらえばわかる!」と顔をぐっとこちらへ向けてくれました😿 

つくろうとしていたものができあがらなかったばかりか、匙面に穴もあいてしまった、そんなアクシデントがあったのに、とにかく楽しかった、幸せだったと言ってくれて、やさしいなあ、と思いましたが。。。なかなか2人を信じるのは難しく。。😿

■ひたすら休みました

とりあえず翌日は丸一日、よく休みました。とにかく家の中でごろごろして、どうでもいいものを読んで。。相方が仕事をしつつ、洗濯もお昼ご飯をつくるのもみんなやってくれて、私はその日は「入院患者」(=寝てるだけでいいひと)になってていいことにしてくれました。

音楽も「あれがききたい」といえばかけてくれて。。こんないい病院があったら、ほんとに入院したいくらいの過剰サービスをしてもらって、おかげさまで気が済むまでごろごろしました。相方は二言目には「昨日はすごくがんばったんだからね」と言ってくれて。。😿

しまいには、温泉に行こう、と連れ出してくれて、わたしは温泉の湯舟につかったまま死んだように眠りました(温泉につかったまま寝たのは初めてかも。自宅の浴槽ではよくやりますが。。)

そうやってよくよく休んで24時間ほど過ごしたら、不思議なことに、あれほど後ろ向きだった気持ちが、少しニュートラルになっていました。

木々たちと刃物たちの”代理人”としての仕事をまっとうできなかった、木々と刃物のいいところを伝えられなかった、印象を悪くしてしまった。。と嘆いていたところから、「過程をあそこまで楽しんでもらえたんだから、それはそれでちょっとはよかったんじゃ」と思え始めました。

そしてそもそも、時間が限られてる中で、いきなり曲がり材で大きめのものに挑んでもらってしまったのは無謀だった、、ということに思い至ることができ、そして、「でも大きめのものを目指したからこそ、彼女は斧の作業をこころゆくまでやれた部分もあったのかも」とさえ思えたのでした。

少しニュートラルに考えられるようになると、わりと客観的に、次回はここはこうするほうがよいね、というのがいろいろ見えてきました。「次回なんてもうありえない!」と思っていたのだから、すごい進歩です。

次回こうしよう、というのを書きだすと同時に、今回の「よかったところ」も書きだしてみることさえできました。同じ現象でも、見方がかわると、いいところがあるように見えてきたりして。。

3日後には、次へ向けて、やる気がまた少し戻ってきました。反省の嵐を避けられはしなかったけど、嵐の後のリカバリーが、以前と比べるとずいぶんと早くなったように思います。ぱちぱち。

■反省を避けようとするんでなくて、反省を暖かく迎えてみた。。。

「反省は思考の癖なだけだよ」と相方も言ってくれてたのですが、そうだとわかっていても、ほぼ自動的に発動してしまうし、渦中にいるときはなかなか歯が立ちません。

「反省はしないよー」と自分に声かけをしてみたけどだめでした。すったもんだした挙句、「反省はもうすでにしている、すでにしていることに対して『しないよー』と言っても遅い。すでにどんどん湧き出てきてる反省の考えを、出てくるがままにいったん暖かく迎え入れて、それから、成仏するみたいに上へあげてみよう、蝶を放すみたいに放してみよう」と発想を転換したら、だんだんラクになっていきました。

そして、あの木削りの場がそこに出現したこと自体が、それを喜んでくれる人がいたこと自体が、自分はとても嬉しかったんだーということをかみしめました。

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それにしても、最初のお相手が彼女でよかった、と心底思います。自分の友人知人の中でも、特に心と体に嘘のつけない、まっすぐな言葉づかいをする彼女が、「本当に楽しく、幸せな時間でした。斧最高でした😚ナイフのいろんな切り方もマスターしたくなるほど奥が深くて、スプーン🥄作りを通して人間ってすごい、身体の構造ってすごいって思いました。こんなに身体が喜ぶんだ〜ってソウルも満足してました・・・続きを作るの楽しみにしています」と言ってくださったのは、もうハンパなく心強いのです。

おかげさまで、今回の自分の学びを活かして、次へつなげていこう、、と今は思えています。相方と友人に、ほんとうに感謝しています。。!

しかし、果たして次はどうなるのか。。。💦 未知数です。。

後日談:
おどろいたことに、4日後の朝には、起きぬけにはっと、「なりゆきまかせにした」と否定的にしか見えてなかったことが、「それって、木のありように沿ってたってことでない? 人間の都合よりも、この木を活かしきることを大事にできたってことでない?」と思い至りました。

それって、自分が常々大事にしたいとと思っていることではないかー、と。。

台風のあと、復旧に向かう中で拾ってきたソメイヨシノの枝だったわけですが、そこには、(反省の)嵐の後の(心の)復旧作業へのドリーミングがすでにあったのかなあ。やっぱり今回も、木に助けてもらった。。!

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ぐり と グリーンウッドワーク:https://guritogreen.com/


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